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『どこまで我慢する?』耐え忍ぶ美徳の限界と通報のバランス
- 日本人の耐え忍ぶ美徳について考える。耐えすぎることも問題か。
- 最悪なパターンもあるが、ただ耐えればいいわけではない。
- 我慢の限界と通報のバランスを考える。公的機関や係員の存在の重要性。
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質問者が選んだベストアンサー
仰る通りです。 適切な対処を選択すれば、最悪の事態などは必ず回避出来ますし、それはそんなに難しいコトでは有りません。 そもそも全ての人間は、自分で自分を死に追いやらねばならないほど、苦しまねばならない理由など一つも無いのですから、そんな事態の回避が、難しいコトであるワケもありません。 自殺せねばならないほどの我慢など、本来は有り得ません。 ただ逆に言えば、適切な対処が思い浮かばなかった人が、自殺など最悪の手段を選択してしまうとも言えますね。 あるいは、「それでも我慢」すれば、やはり自殺などは回避出来るワケです。 適切な対処とは正反対の方向性で、我慢をやめちゃった結果が自殺などとも言えますよ。 私も親友と呼べる様な友人などを含めて、何人かを自殺で失っています。 今でも「一言、私に相談して欲しかった・・」と思っていますし、それさえあれば、今も親しく交遊していたのでは?とも思います。 しかし自殺者は、そんなコトを全く考えないのか、考える余裕が全く無いくらい、思い詰めちゃうのでしょう。 違う言い方をしますと、自殺者の心理は、不適切な表現ですが「まともでは無い」と考えた方が良いと思います。 即ち、質問者さんの考え方は、極めてまともな正論ですが・・・自殺者にとっての正論では無いのでしょう。 端的に言えば、我々は自殺を「最悪の事態」と捉えているワケですが、自殺者にとっては、自殺が「唯一の解決手段」とか、極論すれば「最善の選択肢」に思えてしまうのです。 従い、自殺者側に、「我慢せず適切な対処を!」と言うのと同時に、自殺者の周辺者が、それを最も配慮すべき立場ではないか?と思います。 実際、私の友人・知人で自殺で亡くなった人は、「彼ならあるいは・・」と感じていた様な人もいますが、「まさか、有り得ない!」と思う様な人の方が多いです。 私自身も、普段は「大丈夫!自分は絶対に適切に対処出来る。」「自分が自殺など有り得ない!」などと思っていますが・・・。 そう言う人間でも、突如、想像を絶する窮地に陥った際には、自殺と言う道を選んでしまう可能性があるそうです。 むしろ普段の精神状態が高い所にあるとか安定している分、落ち込んだ場合や不安定に曝されたら、落差や変化が大きく、瞬間的に精神耗弱などを引き起こしやすいとも言われています。 基本的に我慢なんてのは、強い人しかやっちゃダメではないか?と思います。 我慢の先には、かなりの確度で正解とか解決に至るのですが、必ずしも平坦な道じゃありません。 どんなコトでも、そこに至るまで、絶対に我慢を貫ける人など、そんなに居ないと思います。 「我慢」は[筋トレ」みたいに考えてみられたら良いと思いますよ。 体力や筋力などを鍛えるのも、肉体的な負荷を我慢するワケですが、精神力を鍛えるのもやはり我慢です。 全く我慢せず、他人に依存すれば、それも精神力を損なう原因ですから、精神を鍛えるためにはソコソコ我慢を経験すべきです。 ただ、いきなり金メダル級の重量上げに挑戦!なんてのは無謀です。 最初は5kg,10kgのダンベルくらいから始めるべきです。 それと同様に、若い人とか経験が浅い人などは、ちょっと我慢して問題が解決しないなら、誰かにすがることは、躊躇すべきではないですね。 今から精神力を鍛える人ですから。
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- eroero1919
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>当事者同士で争えば平行線でケンカになるだけですが >第三者(公的機関や係員)を使用すれば >ルールを無視した側に必ず罰則がありますよね? そんな甘くはないよお。だってさ、他人の痛みならどんなに気が小さい人でも3年は耐えられるっていうじゃないですか。「公的機関に相談したけど門前払いされた」って話は枚挙にいとまはないでしょう? 「俺は関係ないのに、なんで俺が波風を立てないといけないんだ」って人は多いですよ。 自分の身に降りかかる火の粉は、まずは自分で振り払うのが原則です。他人をアテにすると、裏切られるだけですよ。
- hekiyu
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”当事者同士で争えば平行線でケンカになるだけです” ↑ 当事者で争えば強い方が勝ちますよ。 平行線にはなりません。 ”ルールを無視した側に必ず罰則がありますよね?” ↑ 残念ながら、必ず、とは言えません。 小さな事件などは、警察は相手にしません。 ”波風を立てることを恐れて荒くれ者に怯えて耐えてれば 最小限の被害で済むって考えることって本当に美徳なんですか?” ↑ 誤解していると思います。 怯えて抵抗できない、怖いから手が出せない、というのは 美徳でも何でもありません。 情けないだけです。弱いだけです。 やれば勝てる、勇気もある。でも相手の立場などを考えてやらない、 となって美徳となるのです。 これを「押忍(オス)」 と呼びます。
「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ」という下りは、どMになれ!と言う事ではなく、己の信念を貫け!と言う解釈もあるそうです!?