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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:あなたは何ですか?)

自己定義の意味と重要性について考える

このQ&Aのポイント
  • 自己定義とは、自分自身を明確に定義することです。
  • 自己定義をすることで、自分の存在や特徴を認識し、自己肯定感を高めることができます。
  • 自己定義を通じて、自分の価値観や目標に基づき、自分らしい生き方を追求することが重要です。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

深い質問ですね。 一般人で家庭人兼サラリーマン、導師でも何でもありませんが、個人的な意見としてシェアさせて頂くため投稿してみます♪ (1)わたしは何者か? ■問題児です。 ~ 問題があるから生まれた ~  http://hooponopono-asia.org/responsibility/ 前世で未完了だったことの“バランスと成長”を遂げるため、生まれた存在。 問題をもっているから生まれなおしており、悔悟と手放す機会を与えられたと思っています。 問題をトイレットペーパーのように汚れと一緒に取り去って小さく小さくなりながら、芯(ほんとうのジブン)に向かう。 柵(しがらみ)を一つ一つ手放して(サレンダー)全てから自由になるために、生活という“うすのろ”を乗り越えて行く。 問題児であるだけに、解消する(浄化/クリーニングする)経験や事象が数多く顕れますが、それに感謝し愛して消しこんでいく・・・その日常を受け入れていると言い換えられます♪ ○この視点で、わたしはいま、毎日毎秒クリーニングをします。問題児であることを受入、だから色々起こるのか!?と捉えています。色々起こっても怖れはさほど無くなり、平穏で居られる方法を一緒に手に入れました。誰かと一緒に居たい、というよりも、内神(ほんとうのジブン)に近づいて行きたい、そんな一念をもっています (2)わたしは何者か? ■喜ばれる、という遺伝子(魂のプログラム)をもった存在 食べる、寝る、働く、飲み、打つ、買う他に、喜ばれると嬉しいという遺伝子が騒ぐことがある生き物です。 ヒト独りでは何も成らないのですが、ヒトとヒトとの間に生きることで人間となります(小林 正観) 係わり合いの中で時代や文化の進化、宇宙の創造に携わっていますが、第三の遺伝子のお蔭で“誰かの役に立ちたい”“存在が喜ばれることを欲している”と観じます。会社勤めや家族を持っているのはそんなワケがありそうです。 お釈迦様の示された般若心経にはモノには構成要素がある、ことを教えていますが、 ワタシはそれ等ジブンを成り立たせている構成物(記憶:思いや症状)の総集大成で、 意識・潜在意識・超意識・神聖なる存在(真我とか内神とも言う)から成り立っていると言えます。 記憶の再生は次々と起こり、2度在ることは3度在るなど何がなんだか分らない中、リピート再生しないよに、記憶の源(フィルム)を消して消して、目前に再生画像が顕れないようにクリーニングします。 成長とバランスを遂げるため、魂の成長を目的とした様々な困難がありますが、乗り越えられる準備が在るから与えられていると思い、臆する事なくチャレンジしたり励んだりする毎日です。 神さまが死んだ後にする質問2個が (1)愉しんできたか? (2)誰かの役に立ったか(喜ばれたか)? だそうですが、『やり直しなさい』と戻されないように(笑)少なくとも両方クリアしたい、と思っています♪ (3)わたしは何者か? ■主語をワタシ、とするなら“愛(創造)と光(情報)と忍耐(カルマ)” 生きる意味/本質は“魂の成長か、因果(カルマ)を解消するか、どちらか”だと教わっています。 魂を成長させなくとも、因果を解消すれば良いし、もっと言うと両方解消できなければ来世があり、来来世がある。 10万回生まれ変って、指導霊やスピリチュアル・ティーチャーとして肉体を持たずに誰かの守護をする立場になる。 その過程に居るのがわたし達である、という情報です。長所とキャラ(≠短所)をもつように色んな側面がありますが、 そんな個性(特性)を活かして、やっぱりほんとうのジブンに成りたい。 単に役割やポジションでジブンを一括(くく)りにする生き方でなく、生まれた目的や魂の目的に沿って、今を積み上げたい。今世を閉じたい、と思うジブンが居ます。 ■結果的に宇宙の創造に関わっていることに気付いたので 苦しんだり、痛めつけられたりという人生を求めないため、個人のカルマを解消し、ダルマ(良い因果)に換えるため『ワタシは愛と光と忍耐です』の言葉を日々言っています。 ※斎藤 一人 著書『因果の法則』、『知らないと損をする不思議な話』、『これまでしたことのない話』 等 参照 レンコンの様に潜在意識下でつながる全ての関係者や命が持つカルマをワタシが『愛しています』と言い、クリーニングして手放すことで全体からも消せると知ったからには、いそいそと個人の課題に取り組みつつ、地球を天国にできる一助としたいと心底思っている次第です。 子供たちや未だ見ぬ孫たちにとっても、平和で安穏な世界を残せるように、自らのことはなるたけ自らで対処し尽したい♪と。 ★ジブンを定義する・・・その条件に応えるものになっていないかも分かりません(他にもFALFだとか色々ある)が、 (1)~(3)が納得している/腑に落ちている見解であり受け売り満載ながら(笑)一意見です。モノを多角的に説明しているだけで、言いたいことは(ジブンがFreeに身軽になる)一つであると思いつつペンを置きます あなた様にとってベストでなくても、ワタシにとっての現在の“わたし”到達点です(笑) 以上です ~ あなたに全ての理解を超える程の平穏が訪れ、あらゆる良き事が雪崩の如く起きます ~

noname#211865
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 割と宗教的で魂を重要で基本としている感じなのですかね。なかなか理解できませんでしたが、今はなんとなく仰りたい事が少し分かる気もします。 1つ目は、問題と感じている事も、よく考え直してると見方や状況や何かへの諦めによって、些細な事だと気付いたりする事がありますね。そういうものを取り払っていくと見えてくるものがあるという感じだったりしますかね。諦は悟り・真理という意味もあったりするみたいですが、諦めから得られるものは大きかったりしますね。 2つ目は、自己の重要感みたいな感じですかね。それは誰かに、自分の存在価値を認めてもらいたい、心からの手助けをして貰うだけの理由が欲しい、という事なのかという気がしてます。弱い生き物でも様々なものを与えてくれたりしますよね。 3つ目は、生まれ変わりたい、困難を克服して世界を良くしたい、という事なのかと思いました。多くの人と上手く力を合わせられるといいですね。 宗教的な考え・魂・死後の世界等、あまり信じられてない部分はありますが、役に立つ考えや情報等も沢山あると思ってます。 それと、ヒトラーの実験か何かで、鏡の前で「お前は誰だ」と毎日言い続けると、1週間程で自分に対してゲシュタルト崩壊し始め数ヶ月で錯乱する、というのをネットのどこかで見た事を思い出しました(^^; お礼遅くなり失礼致しました。

その他の回答 (9)

  • kotaro-h
  • ベストアンサー率40% (149/367)
回答No.10

媒介って、言葉をご存じですか。 媒体と意味は似ているけれど、少し違います。 媒体は、メディアで、マスコミ等のリレーションシップを伝える時に使われるモノや方法です。 媒介は、化学反応が起きる時に、2つの物質を単に混ぜ合わせても、反応しませんが、媒介を加えると、面白い化学変化が起きて、役に立つ化学製品が産出できるのです。 私は人間の媒介であろうと努めています。 自分の知っている人や、こんなユニークな人がいるという知識を、なんとか結実させたく、たまには失敗することもありますが、人と人を結びつけ、従来にない新しい発明や、成果が生まれないか。 日々それを考え、閃いたり悩んだり、しております。 私自身にない能力のある人を活かしたい、役に立ちたいだけです。

noname#211865
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 あまり例のない事や何か新しい事を実現するのには、失敗が付き物ですね。周到に用意し慣れきったごく簡単な事で相当集中しても、成功率は100%に近づいていくだけですね。 人間関係は誰にとっても簡単ではなく、親しい間柄だからこそ辛い過去があったりするものだと思います。 人と人が結び付いて実現される物は想像しきれない部分もあったりするとは思いますが、そのような簡単ではない事を考えてくれる人がいてくれるのは、有難いと思います。

noname#186953
noname#186953
回答No.9

あなたは何ですか? 自分を定義したことはありますか? ときかれると、実際、『何だろう?』『自分の定義…?』って考えてしまいますね。 ほかの方のように、立派な回答が出来ませんが、僕の場合は、『分からないから、探している』って所です。 河島英吾さんの歌に『時代おくれ』って曲があります。 僕は、その歌詞が好きなんで、そんな人間に成りたいなぁって思ってます。

noname#211865
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 物理的存在としては、時間・期間と場所・領域で自分を他と区別する事はできるのでしょうが、それだけではつまらないですね。 何を志向するかは僕も大事だと思います。 例えば性格・性質等では他とどう区別されて表現されるべきか、考えるのは結構難しかったりしますね。 他人は自分を映す鏡という言葉を目にする事がありますね。とても参考になりますが、偏ったりもしてますね。

noname#181883
noname#181883
回答No.8

自分を大事にしたい。 自分を無にしたい。 自分の価値を認めてもらいたい。 エゴと欲のまま生きてみたい。 誰かの役に立ちたい。 空気のように あって当たり前の存在でいたい。 幸せでありたい。 幸せにしてあげたい。 そんな気持ちを行ったり来たりしていたい。 俗っぽい人でいたい。 悟りは死んでからでいい。 とりあえずいつも愉快でいたい。そして自分を見失わないように生きたい。 20代の頃と変わらない50代の思いです。 50になって、加えられたこと。 ナチュラルでいたい。

noname#211865
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 普通の幸せを求めたり、快楽主義的だったりする感じなのですかね。 僕も10代の頃から変わらない思いがあります。 小さい頃は、普通の幸せの中の結婚とか家庭とか仕事とか友情とか恋愛とかについて、多分沢山の人と同様になんとなく期待していたけど、ある時、父の話を聞いてそれらに確かな疑問を持つようになりました。 面白くない事に目をつむり、楽しい事を思い続ければ楽しいと感じたりしますね。 しかし、幸せは不幸せがあるから感じられるものなのですかね。 運の悪い人よりは恵まれていれば、幸せ者だと愉快になるのですかね。当たり前のものを当たり前に持っていて幸せや愉快さを感じられるのですかね。 あまり考たり行動したりせずなんとなく幸せや愉快さを得たいのですかね。 正直言うと、僕はそれほど幸せや愉快さを求めないのでよくわかりませんが、参考になります。

noname#217538
noname#217538
回答No.7

再婚、収入あり、職あり、海外、子供がいる、夫がいる、ペットがいる。親子留学、念願の永住権確保の遠い記憶もあります。 でもこの流れの中で一番の優先はいつも息子でした。まだ彼にはもっと成長していく上で私を必要としていると勝手に信じている典型的な母親です。世間ではそういう母親は子離れしない哀れな存在に思えるかもしれません。でも誰が何を言おうと幸せだからそれでいい。息子も私にいつも温かい言葉をかけてくれます。再婚した夫とも大親友です。私は”我が息子の母親”と言う存在、それが一番当てはまる気がします。 生きてきた中で今振り返るとたいした事をしていないように思えます。しゃかりきになった仕事もありましたが、”我が息子の母親”と言う分類の前にはうすぼやけて見えます。子育ては本当に幸せでした。そのためにキャリアも少し削ったり変えたり自分の夢も減らしましたが、それも私の勝手でした事ですし後悔はありません。思い出してみればどんなに節約しても息子には暖かい服を着せ、おいしいものを食べさせるようにしてきたと思います。 偉そうな事を言っても、結局は私は女であり子供をやっと高齢になって一人産み、大事に育てただけがとりえなのかもしれません。たいした功績もない無名の存在です。しかし自分がこの星に存在した事は確かに子供の記憶と遺伝子に伝えました。この次世代に渡せたであろう過去からの何かだけが実際は私だけにできた事ですし、私が確かに一定期間存在した証明になっていくのでしょうね。

noname#211865
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 子孫を次世代に渡すのが自分の大きなものを占めているということですね。そこには自分だけができる事があって、大切にしているという事がとても分かりやすいと思います。子供を産み育てるというのはとても大きな事ですよね。

noname#194996
noname#194996
回答No.5

>自分を定義したことはありますか? ま、日々ふらふらと変わっているという認識がありますので、完全な定義は出来ないと思いますがそういったことを勘案した、幅を持った定義は可能だと思います。まず人間であり、日本人であり、戦後の一時期、20世紀後半から21世紀にかけて生きた無名の市民だということでしょう。名前はありますがそれは免許証やら税金徴収のために他の同じような人間と区別するだけの機能があるわけで、無名というのはそういうことです。 上記はこの面白い質問のためにいまひねりだしたものです。ですから>、うまく説明できてるなど納得した言葉はありますか? には、これまではあいませんでした、と回答しておきます。 人は死んで名を残す という言葉がありますが、死んだらおしまいでしょう。生きていてこその無名の市民です。沈香も焚かず屁もこかずという傑作な言葉もあります。多少の屁はこくのが人間ですから、我慢してもらいましょう。亡父の遺言で心にもなくいささかならず大層な墓をつくってしまいましたが、いずれそれもやがて無縁仏になって除去されるだろうというのが私の予言です。

noname#211865
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 >まず人間であり、日本人であり、戦後の一時期、20世紀後半から21世紀にかけて生きた無名の市民だということでしょう。 この辺りに触れて頂いて嬉しく思います。 この辺りの事は誰もが前提として当たり前に意識していると思いますが、その前提に何か不満を感じてしまう事があります。 誰でも生きていると時に、日本人としての自分や人間性を否定される事がありますね。 特に僕の場合は、元々そう意識させてしまうような育ちでもあったと少し思います。しかし、日本人や人間より少しは外側で、得られるものが欲しいと思っているからだとも思います。普段そうは思えなくても、多少ははみ出す事も必要なのですかね。 僕も自分を定義しようとする時、死を意識してしまいます。人生の最後までを意識せず自分は定義できないと思うからなのでしょうね。 2・3度は僕の質問に回答頂いたように思います。そうであればこれも素直に嬉しいですね。

  • e-toshi54
  • ベストアンサー率22% (728/3265)
回答No.4

面白い質問ですね。自分を(哲学的に)考えてみる機会になります。 「元気な老人の一人」ですね。ちょっと簡単過ぎますが、結局ありふれた人間だと認識していますので。 BEST ANSWERには程遠いですが、質問も決してBEST QUESTIONではないのでおあいこですね^^; まあ、(ONE  OF)INTEREST QUESTIONSには加えておきます。

noname#211865
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 やっぱりこの質問では哲学的に考える傾向があるんですね。確かにタイトルと内容の関係からは、そんな感じがしそうですね。 「元気な老人」僕も目指したいと思ってます。ありふれた人間でも社会に多大な貢献をする人もいますね。いろんな人に理解してもらえる強みはありそうです。ありふれた人間でも気持ちと意志の方向性や環境がうまく合ったりしたら、そういう事も起こるのでしょうね。そういうものを自分から上手く探していけるようになりたい気もします。 沢山質問出てますからね、あえて少し違う質問をとよく思ってしまいます。

  • NUkye
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.3

自分は宇宙そのものです。 自分以外の人間、動物、植物も宇宙そのものです。 その意味で、すべては同じ存在です。 異なるのは見ている存在者の意識レベルで違いがでてくるのです。 キリスト教者もイスラム教者も同じ存在ですが 彼らが争うのは、それぞれが信仰する教義が違うからです。 両者ともに宇宙自体であることに変わりはありません。 すべての争いは人間のその意識に違いが生じるからです。 時として社会的に役割が生じることもあるでしょう。 上司になったり部下になったり。 しかし万物すべてがやがて死ぬ存在であるということでは 同じです。 死ねば細胞は分解し自然・地球・宇宙と一体となります。 ですから植物も動物も人間も同じレベルでこの宇宙に存在しています。 原則はそういうことだと思います。 差をつけているのは人間の意識です。 お話したことはおおまかには仏法の根本思想です。 そう考えるのが最も平和であると思います。 現実社会の営みの中で自分とは何か、 というならば、その状況、環境、人間関係、所属組織によって 皆ことなります。 しかしこれらも人間が「そうあらねばならない」と意識しているだけです。 普遍の実体ではありません。

noname#211865
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 意識の違いは、有意義な多様性も生みますが争いも生みますね。植物も動物も人間も他の自然も時に同じくらい重要と感じたりしますね。 自分は、どうやって形成されて来たのか、なぜそう形成されるのか、はもう少し考えておきたいと思いました。

回答No.2

「私」は「私」です。 それは「私」が認識できる「私」です。 また、「私」は「私」にとって絶対的な主体者です。 人は「私」というフィルターを通してしか、世界を認識できません。 それは世界そのものの有り様とは少し異なるものです。 その個世界は人の数だけ、フィルターの数だけ存在します。 個世界の創造者、絶対的な主体者が「私」です。 また、「私」という意識の源である生物としての個体が、実世界での「私」です。 ただ生物としての「私」が存在していても、「私」が「私」を認識できなくなれば、それは「私」にとって「私」ではなくなるでしょう。 いろんな形容や修飾の記号は、結局他者が「私」を識別するためのものでしかありません。 「私」にとって「私」とは、そんな記号無しに認識できるものです。 だから、どこに行っても、何をしてても、自分は自分なんだな~と、つくづく実感します。 他人の感覚や感情を完全には共有できません。 同じものを見ていても、まったく違う感想を持つし、まったく違うことを考えてたりしますよね。 誤解や行き違いも多いですし…。 「私」が認識する「私」と他者が認識する「私」がイコールではないので当然ですが。 余談ですが、蟻の行列を見て、私はあの蟻一匹一匹の区別がつきません。 犬だって、犬種と色や大きさが同じであれば、個体の区別はつかないと思います。 人間だって、特定の人種、国の人を指して、「区別がつかない」とおっしゃる方もいます。 坊主頭の高校球児が、みんな似たように見えるのも同じかもしれません。 結局は個体差なんて認識する側の問題だと思います。 上手く説明できているかわかりませんが…。

noname#211865
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 哲学的な回答で少し驚きました。誰もが感じるだろう「私」について書かれた感じですね。それと物事は見方次第だと。概ねその通りだと思います。 >個世界の創造者、絶対的な主体者が「私」です。 なんとなく僕もそう思ったりしてましたが言葉にすると、何かすごい事ですよね。 ちなみに、自分について言葉にする事は、自分についての考えをハッキリさせる事ができるし、自分を見つめ直すのに必要とも思ってました。 それとこの質問も、他人への理解の為の準備として質問しておこうと思いました。

回答No.1

 こう言う「質問」を「待って」いました。  「自己」の「定義」に付いてなら「自己流」の「答え」なら持っています。只「言葉」で「他人」に「説明」するのは「難しい事」です。  「貴方」は「人」と「人間」との「違い」が「理解」出来ますか。「この世」に「絶対的」な「正義」は「存在」すると、思いますか。  「上記」に付いて少し「考えて」から「それでも」「私なりの考え」を御希望で有り、また「長文」に為りますのでそれでも「良い」のならば、「お礼メール」を入れて下さい。

noname#211865
質問者

補足

難しそうなら無理には聞かないでおこうと思います。 本当は聞いてみたいのですけどね。 興味を持って頂いて有難うございます。

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