- ベストアンサー
苦手や不得意なことはやらなくていい?
- 人には得手・不得手があるのは当たり前。それは個性なんだから大事にして得意なことを一所懸命やって伸ばせばいい。
- 苦手や不得意なことがあるなら、なおさら積極的にチャレンジして克服したほうがいい。逃げるのはよくない。
- 好きなことや得意なことをやるのは楽しいが、苦手なことを克服することで自信がつく。しかし、克服できないとストレスが溜まる。どちらの考えに従うべきかは個人の選択だ。
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
基本的には得意な事だけしてればいいんじゃないでしょうか。 支障が出る場合のみ、苦手克服に努力する、それでいいと思います。 例えば、浅田真央ちゃんはルッツジャンプが苦手でした。エッジの使い方が採点に関わるようになってしまったので、苦手なルッツを猛練習しました。 また、ダイエットや食事制限が苦手な人も、体重や健康に支障がなければ、する必要は無いと思います。 スポーツで例えても、得意な陸上競技をして、球技が苦手ならしなくていいと思います。どうにも人数合わせで頼まれた時なんかは別にして。 逆に仕事では、支障が出るなら、苦手でもしなくちゃなりません。 また、料理や掃除が苦手でも、家庭の事情や結婚相手によってはそれなりにしなくちゃなりません。「「苦手だからやらなーい。」で通ればいいですが。
その他の回答 (10)
- sonieri01
- ベストアンサー率18% (51/283)
一般的には、10代の義務教育中は広く浅くで後者。 これは可能性を広げる為ですね あと、すぐ投げだすなという意味もありますね で大学や成人してからは前者。 専門的に学んで、特技を伸ばして職に繋げます。 つまり臨機応変。その時その時で変わるものではないでしょうか
- ni_si_ki
- ベストアンサー率19% (302/1586)
私はもう直ぐ48歳になります。 若い頃は意地でもやってやる、今に見ておれと意気込んでいましたが、もうそんな馬力も精神力もありません。 それは過去やっぱり無理だと思った瞬間が沢山あって、それでも恙無く暮らしている実体験をもとに悟ったからでしょう。 ポイントは「若い内は」にあると思います。 あなたの周辺でそのように仰る人は概ね今の生活に満足しておらず、あの時こうしていたらなどの後悔の念が先立っているのでしょう。 だから「私みたいにならないように」と自戒の意味も込めて、そのように言うんじゃないでしょうか。 しかし人生のターニングポイントを自分の意志で決めてきた人は、回り道をしてきたと実感しています。 だからそんなに無理しなくても良いと言うのでしょう。 言葉に矛盾があるのは、それぞれの生き方が違っているからだと私は思っています。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
肺と心臓どっちが大事かと聞くようなものですね。
両方のバランスをとる事が大事なのではないかと考えます。楽しさも辛さも人生を過ごす中で大切なものなのではないのでしょうか? 世の中には表と裏があって表裏一体です。楽しさが存在するから辛さが存在し、辛さが存在するから楽しさが存在するのだと思います。 得意な事も苦手な事も両方やってみてはいかがでしょうか? 得意な事をやる事で個性を伸ばし、苦手な事をやる事でチャレンジ精神を養うこうゆうスタンスでは駄目ですか?苦手な事ばかりやって憂鬱ならその時、得意な事をやって自分に自身をつけてあげてストレスを軽減させる。ストレスが軽減し、また、余力が出てきたら、苦手な事にチャレンジする。少し憂鬱になってきたら、また、得意な事で、自分を励ます。このサイクルを循環させていったらいいのではないかと考えています。そしたら、ほんの少しずつかもしれませんが、成長していけるのではないでしょうか? あくまでも、私の現時点での考えですので、気に入らないところがありましてもご容赦していただけると幸いです。
- blue5586p
- ベストアンサー率27% (1611/5842)
>『人には得手・不得手があるのは当たり前。それは個性なんだから 大事にして得意なことを一所懸命やって伸ばせばいい。』 これは、いわば、きれい事であり、学生時代は、誰もがそう思っていても、社会に出れば、そうは行かないということを痛感させられる。 >『苦手や不得意なことがあるなら、なおさら積極的にチャレンジ して克服したほうがいい。逃げるのはよくない。』 これが、現実であり、社会人になれば、誰もが痛感させられることと思います。 > 好きなことや得意なことをやるのはとても楽しいです それが「趣味」なら、全くその通りです。 誰も好き好んで、嫌いなことを趣味とはしません。 ただし、それが「仕事」となれば別です。 よく、野球が本当に好きな方は、プロ野球選手になろうとはしない。社会人野球を選ぶ方が多い。と言われることがあります。 いくら野球が好きでも、プロの道は厳しい、プロになれば、結果を出すことが出来なければ、年俸の大幅ダウン、他球団への移籍、最悪の場合、現役引退を余儀なくされる。 好きなこと、得意なことは、仕事とせず、趣味にとどめておくのが、良いかも知れません。 >一方、苦手や不得意なことは楽しくないですが、克服できれば嬉しいし 自信になります。しかし克服できないと逆に疲れてストレスが溜まるだけです。 それは、全くその通りです。 社会人になれば、嫌なことであっても、不得手なことであっても、しなければならないことが、山ほどあります。 それを克服できれば、確かに嬉しい。そして、そんなときに、仕事のやりがいというものを、感じるものです。 しかし、克服できなければ、疲れやストレスが溜まるだけ、この「疲れ」「ストレス」は、社会人として、避けて通れない問題と言えます。 サラリーマンとして働いている者は、原則、仕事を選べません。会社から指示された仕事は、どんなに不得意であっても、出来るようにならなければならないのです。 そのため、疲れ、ストレスも溜まりますが、それを避けるのではなく、上手く付き合うこと、すなわち、自分なりの、ストレス解消法を見出すこと、これも大切なことと思います。
- ne160257
- ベストアンサー率20% (4/20)
重要なのは自分の事を知ることかなぁと思います。 苦手なことも、できないと諦めたらそれで終わりかもしれないですが、 チャレンジしたら克服できるかもしれませんよね。 子供にはこちらが大事だと思います。 ですが、大人が仕事などでできないことをいつまでも克服しようと努力し続けるのはどうかなと思います。 大人になったら、何ができて、できないのか自分を理解して、 得意なことで苦手をカバーしていく力が求められるんじゃないでしょうか。
お礼
頑張ってもできないことをどこで見切りをつけるのがいいのかが非常に難しいです。 「いくら頑張ってもできないんです」と言っても「努力が足りないからだ」 と言われると困ってしまいます。
- hirotan1879
- ベストアンサー率20% (512/2470)
克服する事により 道が拓ける。新しい視点で世界が広がる。という事を知れば努力が継続出来るようになります。 より 大きな楽しみが待っていると信じて克服する努力を行う。 というのが正解だと思います、 例えば 自動車の免許証。 ヨットの帆走手順の学習、 サーフインのテイクオフまでのパドリングの練習 本気で遊ぶためには努力しないと駄目なのです。
- Gusdrums
- ベストアンサー率39% (699/1787)
人間は得て、不得手が、あります。 当然のことです、人間はスーパーマンじゃありません。 しかし、苦手だと、食わず嫌い的なものもあり、やってみないと解らない、つまり潜在能力に働きかけて、実は出来た、は本当に嬉しいことだが、失敗しても又、トライしてみるというのもあり。 苦手だから積極的にチャレンジしなさいというのは、出来るのでは?の可能性を示唆することであり、失敗した時、最も悪循環なのは、そこで自信を無くしてしまう、ということなのです。 例えば、職場で管理する側が、成果を出して評価も高く人望もあり、現場仕事が出来るか、というと、些か疑問でもある。 現場仕事が出来ても管理能力が無ければ、管理職としては低劣である。 例えば分業制に限るが、管理と現場は同化するものだが、職種が異なる、昔、現場作業からの叩き上げも管理側に回ると、そちらの仕事に重点を置き、現場作業までは片手間となる。 全て、何でもこなせる人間がいるこそ自体が希である。 個人事業主なんかは、多種多用な実務をこなしますが、どれに主力を置くかをきちんと分けて考えているのですね。 私的に、不得手なものも克服するのは理想論に近いと感じます。 得意で好きなもの程、吸収力が向上します。 一芸に秀であれ、ともいいますね。
- fuukakou
- ベストアンサー率22% (200/870)
どんなことか、が重要かなぁ?と。 普通に生活するのに支障が出るような事ならある程度までは頑張った方がいいでしょうし、克服が無理そう・・・と思う事にはそれを補う出来る事を考えてそっちを頑張った方が良さそうだし。
お礼
克服が無理そうと諦めるなら、どのへんで見切りをつけるのがいいでしょう? もし一生かかっても無理なことなら、早めに見切りをつけてその時間を 得意なことを伸ばすのに費やしたほうがいいですよね。
ケースバイケースで使い分ける。 何でもかんでも「いつでもたった一つの正解のみしかない」と考えるのは学校教育の悪しき影響です。 実際の世界は、もっとフレキシブルで曖昧でいい加減なものです。
お礼
どういう場合は、どっちに使い分けるのがいいでしょうか。
お礼
肺と心臓の関係は矛盾しないのでこの問題と同じではないではないと思いますよ。