53歳男性です。
簡単なようで難しいと思いますが、何も考えなくても自然とモチベーションがあがるというのが大事かなと思いますし、秘訣かなと思います。
24歳で大学院を出て研究職と言われて企業に就職したのですが、1ヶ月の研修後に配属された仕事は、材料の秤量(重さを量る)作業でした。来る日も来る日も工場で重さを量る。やめると言った結果半年後に転勤となりましたが、ここでも単純作業ではなくなりましたが、決まった製造業務。1年ちょっとでやめてしまいました。
1ヶ月の修活の後、入った会社で研究業務に携わりましたが、ここでもストレスがたまる毎日、1年ももたずに退職し、田舎に帰りました。
田舎に帰って、何をする気も起きませんでしたが、バイトをはじめ、すぐにこんなことじゃいけないと思いまして、公務員の試験勉強を始めました。数ヵ月後に県の上級試験に合格し(この年度の残期間はバイト生活)、翌年から公務員(県の研究機関の研究員)として働き始めました。
しかし、すぐに県の研究機関にも飽き足らなくなり、その夏の国家公務員I種試験を受験し合格、この年度の残期間は県の研究員)、翌年から国家公務員(国の研究機関の研究員)として働き始めました。国の研究員を始めて1年もたたないうちに、出先機関での技術指導業務が主務となりました(合間を縫った研究業務はできる。実際途中からは研究所からの依頼で、出先機関で共同研究を実施)。しかし、このような中途半端な研究ではいやだと思って働きながら、国立大学の教育職技官(先方の教授は教員である助手として雇いたいが、ポストの関係で教員としては雇えないとのこと)の話に乗り、3年で転籍(書類上は省間の移動ということで某省から文科省への出向ということで処理)しました(この時31歳)。
大学に移り、6年間教授の下での下働き的研究の後、教授の定年退職とともに言われたのが、行き先を探してくださいとの退職勧奨。国立大でそんなのあり?と思ったが仕方ない。もといた省に頼み込んでみたが、何を今さらといわれる始末。ここまでは自分勝手に過ごしてきたが、すべては自分で蒔いた種かなと思い、転職先探し(この時37歳)。さらに、1年半、その職にはとどまれたが、働きにくく、前教授から誘われていた(1度は断ったのだが、他に行き先もなく)Fランク私大に講師として転職(この時、38歳)。
私大に移り、2年半後、教授が退職(この時41歳)。ここまで教授の下働き的研究で、まったく論文が書けていない(書くことすら許されない状況)。この時から自らに睡眠時間の制限(体力の許す限り、結果的に5時間睡眠とした)を科し、論文作成に取り掛かった。昼間は大学での講義と学生の卒論指導。そして夜中に学生の卒業研究指導で出た結果を英文の国際学術誌に出すための論文作成作業に当てた。このような生活をしているうちに勤務している大学の経営者が大学の廃止を打ち出した。論文を書き始めて6年、大学の廃止が決定し、自分も転職先探しと平行しながら博士号取得決定(47歳)。日本の南部から北部への移動が決定した。
そして、2つ目の私大生活も6年がたち、今を迎える。今も生活は変わらず、5時間睡眠。年をとりたまにちょっと寝過ごすこともあるが、それでも6時間程度。相変わらず昼間は大学の講義、卒研指導。そして大学の委員や担任業務などをやりながら、夜はできる限りの論文作成。そしてできるだけ毎年海外での国際学会発表をやることにしている。
長い間それなりに頑張ってきたがモチベーションは自然に保てている。自分に不満なことがあれば、やれる努力を続ける。今ではさすがに転職は難しいが、今の私大も学生の減少にあえいでいる。いつまた大学がなくなるかわからない。しかし今度なくなったときは再就職は難しいかも。
しかしそんなこととは関係なく、卒研の指導と論文作成、国際学会発表へのモチベーションは下がらない。自然とモチベーションは保てています。
お礼
ご丁寧にありがとうございます。素晴らしい経歴をお持ちですね。 才能ある方や、頭の良いか方が羨ましいです。 現在勉強は、なんとか少しづつやっています。 昔のようにがむしゃらに無理してやろうという気持ちは無くなっていますね。^^;