多分、有酸素性運動ではダメ。気楽に会話が出来ちゃう心拍数にしかならぬものを運動と言うのはおかしい。動物としての最小限活動と言うのが正しかろうと思う。または、老人、病人、肥満女性がやるべき最低限の身体操作運動と言うのなら分からなくもない。
おそらく、解糖系運動の時代が次に来る。無酸素性運動としてのウエイトリフティングに次いで、もともとマラソンランナー経験のあったケネス・クーパー博士が有酸素性運動を提唱し、それが一気にアメリカやカナダで流行、シューズメーカーと商業ジムに多大なる恩恵を与えた。しかし、この博士の「有酸素性運動フログラム」ってのは、アメリカ空軍専用に作られたもの。空軍用であり、宇宙飛行士用であるところがミソ。操縦席に座ってりゃ好い人や無重力空間で行動する人たちのプログラムということ。そういう真実を知ると、有酸素性運動って、ちょっと、ばかばかしいと思う。
でもまあ、女性でも当たり前に60kgの米俵を担いでいた時代、男子ならば、兵役検査で「俵さし」が実施されていた時代から、まだ100年も経過していない。そういう世情的にも身体的にも過酷な時代を反省する意味もあり、我国にも、気楽な有酸素性運動がダンスやジョグによって流入したということ。
で、ばかばかしい時代のあとは、解糖系運動の時代。クロスフィットとか、ケトルベルとか、400m走の時代。40ヤードスプリントは無酸素だが、いま、こういうものに接近しているような気がする。長距離をノンビリ走ることにどんな実用性、日常生活上の効能があると言えるのか。実生活上の行動として、それが生かされると時などあるとは思えぬ。
それに、運動の習慣化については、「一発芸」的な発想が宜しいと思う。
バーーベルを持つ女性なら「アタシ、100kg担げます」と言い、何時でも担いで見せる。また、ダンベルを持つチョット力自慢男子なら、「オイラ、ダンベルベンチ30kg×2個だぜ」と言い、自重筋トレする人なら、「片手腕立てできるぜ」、「片足スクワッとできるぜ」、「ドラゴンフラッグできるぜ」、鉄棒好きなら「マッスルアップできるぜ」という感じ。そういう一発芸を何時でも見せられるよう日夜練習しておくべし。世はキャラが立っていることを求められる時代。ふとしたときの自己紹介に、そんなことをさらっと言えれば面白いわけで、そういうのをモチベーションに頑張る。水泳とかジョグを最後まで見ていてくれる人はいない。冗長なのは笑いがとれない。一瞬芸としての筋トレが宜しい。
お礼
ご回答ありがとうございます。 毎日が理想なのは言うまでも無いのですが「面倒くさい」(苦笑) >理想的、というのはないですから、自分のペースで楽しく続けるのが一番です。 そうですね。 無理のない範疇でやって少しずつ量を増やせれば理想かと思います。 私は80代になっても普通に歩ける人(階段もそんなに苦痛なく登れる)になりたいです。 とにかく死ぬ時はポックリ行きたいです(汗)