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他人の病気や怪我に対する恐怖
私は昔から身近な人の病気や、怪我に強い恐怖と不安を感じます。 身近な人が精神的に落ち込んでいたり、体調を悪そうにしているだけで、できるだけ助けたくなります。 心理的には、他人のためというより、自分の不安のために介入してしまいます。 私自身、そういった利己的な部分を強く認識して、いつも自己嫌悪します。 それが異性の場合、深入りしすぎてしまうこともあり自分の生き方に疑問を感じてしまいます。 同じような感じ方をする方はいらっしゃるでしょうか? どうやって助けたい、なるべく気を軽くしてあげたいというエゴに対処していますか? 教えてください。
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対処っていうか、私は「エゴ」を認識し、受け入れちゃってます。 「自分のため」でなく、「他人のため」のみの行動って現実的にありえないって思います。他人を助けることが、自分の満足、喜びなどの「利益」に一切繋がらないケースが具体的に思い浮かびません。 極論かもしれないけど、人間って自分のため以外の行動はできないんじゃないでしょうか。ですから、あなたの言う「エゴ」は悪いことではなく、人として当然(自然)なことだと思いますよ。 「エゴ」を否定してしまうと、人間の言動や行動に矛盾を感じてしまい、結果、悩むことになっちゃいます。 「他人のため」っていうのは単なる思い込みに過ぎず、そのような思い込みが強い人ほど、「やってやっている」って意識も強く、さらには「やってやってるのに」っていう不満につながりやすいと思います(現実的にそんなケースが多い)。 あなたのように、「自分のため」をきちんと認識していれば、行動も「他人事」にならず、不満にもつながらず、その行動の結果も、「他人のせい」にすることなく、自分自身で受け止めることができるのだと思います。 あとは、「自分のため」を否定(嫌悪)せず、もう一歩進めて考えてみてはいかがでしょうか。
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- ととかる ちょっぷ(@totocalcio-p)
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私も多分貴方と似たようなタイプです。 他人が妙に心配というか・・・。 「人のことよく見てるね」と言われますし、 人から見ると、私は「すごい世話好き」だそうです。 対処法としては、 気になると、まず、他の人に聞いてます。 自分のことや身内のことは、自分で判断しますが、 他人の場合、どこまでかかわるべきなのか、 自分で判断できなくなることがあります。 だから、信用できる人にできるだけ聞いて、 「これはやってもいいことなのかな?」と相談します。 判断を仰いでるというより、一度冷静になりたいからです。 その場合に、「関わっちゃいけない」と言われたら、 手を止めますね。 それでも気になるようなら、再度他の人にも意見をもらいます。 ひとりで怖いと思ったら、相談したらいいと思います。 人間、完璧じゃないです。
お礼
私も大人なので、必ずしも他人が困っているからといって手出助けしていもいいわけではない ということはわかっているのですが、その線引きをあいまいなまま手を出してします。 信用できる誰かに一度客観的にアドバイスをもらうのは良いかもしれません。 不安に突き動かされて動くよりはよっぽど良いかも知れません。 回答ありがとうございました。
お礼
お礼大変遅くなり申し訳ありませんでした。 非常に参考になりました。 質問の悩みのせいでいつも人間関係に苦しんできましたが、ひとつの答えをいただいた気がします。 ありがとうございました。