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冠詞の付かない名詞は究極的観念である
厨二病的表現で申し訳ありませんが、この考えについての添削をお願いします。 Drink tea. Eat rice. Eat bread. 以上は「真似をしてください」という意味になる(『英語、わかりますか?』松香洋子著P39)。 この場合名詞の位置づけはどうなるのか。 英語では名詞単独では観念である。観念と言っても日本のそれとは違っている。 「ご飯を食べなさい」 は、 Eat a rice. であるから、 Eat rice. の示す「観念」の範囲は日本のそれより狭い。日本では「ご飯」自体が観念であり抽象的であるが、英語ではa riceとして区別される。 「真似をして下さい」ということは、日本の「ご飯」よりさらに具体性が無い、形而上の洗練形態、それが英語の名詞である。 はっきり言って、「真似をしてください」という訳も無理やりである。ただ単に“そうするしかない”からそういう結果になっていると私は推測する。「してるよ」と主張するための、単なるジェスチャーである。何故なら、本当に「真似をしてください」と言いたいのであれば、他に何らかの表現が存在する筈だから。英語では名詞そのものが具体性を一切持たないのではないか。だから冠詞なり何なりの要素が必ず付着しなければならないのだ。 Eat rice. と言う時、想念の上でそれを行えばそれで既に事切れているのだ。
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- litsa1234
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>英語では名詞単独では観念である。 >形而上の洗練形態、それが英語の名詞である。 >英語では名詞そのものが具体性を一切持たないのではないか。だから冠詞なり何なりの要素が必ず付着しなければならないのだ。 良い質問ですね。 辞書の見出し語としての名詞は「内包的定義」を適用される「概念」であり、 冠詞等を伴う名詞は「外延的定義」をされた具体的な「存在物」である。 特に英語の不定冠詞と呼ばれているものは「存在記号(存在量化子)」の役割をしています。 日本語では「仁和寺にある法師」の「ある」が相当します。 これは「在る」と「或る」を兼ね備えた言葉だということを覚えておいてください。 このようなことは「集合論」や「カテゴリー論」を勉強すれば分ることだと思います。 以上、参考になれば幸いです。
- SPS700
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補足のご質問について、 1。 そんなわけで、申し訳ありませんがご回答者様のご説明はほとんど理解出来ませんでした。 残念です。 2。そういうわけで、Eat a rice.がナンセンスかどうか、ある初歩的な英文法の解説書が良書なのかどうか、全く分からないのです。 これは簡単にわかります。英語圏の人に Eat a rice と言ってごらんなさい。オモロい反応が見られますよ。 #1さん、#2さんの方が正しい事がすぐ分かります。
お礼
もちろん私は教えを請う立場ですから、ご回答者様が間違っていると思うほど人間不信ではありません。 当然私が悪いのです。 しかし、私の添削要請の焦点に明確に答えられている内容には、まだ出会っている気がしません。 例のwikiの冠詞の説明は難しすぎてもう限界です。 現地の人がそんな難解なことを考えてaとかtheを使っているとは到底思えないのに。 苦しくて夜も眠れません。まあ、元々睡眠障害ですが。 私は精神障害を患っています。睡眠障害と不安性障害で障害者手帳3級を持っています。 もう30年も観念的考察を続けてきました。それでも東京大学を出た学者が既述したようなことは、理解出来ないようなバカです。 10代の頃からもう30年になります。 現在はマイスリー2錠とロヒプノール2錠という、現代科学最強の睡眠薬を常用しています。 それでさえ効かなくなり、さらにもう2錠づつ飲むと、精神科医にマイスリーをアモバンというのに変えられました。 Wikiには色々書いてあるけど、要は何らかの単純な一つの概念に端を発して、そこからwikiの煩雑な難解説明が派生しているものと考えています。 そうでなければ、現地に行って慣習的に習得しなければ、冠詞の慣用的使い方を習得することは出来ない。ならば日本国内において英語の習得をするという望みは経たれた。はっきり言ってwikiに書いてあることは分かりません。 そうでないと困る(元の概念が単純だということに対して)。 私は、日本ではダメでした(詳細は訊かないでください)。 ブログ云々と言っていましたが、それはカモフラージュです。 外国を試してみたい。 でも、外国でどうなるかは分かったものではありません。はっきり言って、日本と全然変わらないかもしれない。しかし、日本でダメだったという確証があるので、試してみないより試してみた方がマシなのは間違いない。 今は、ただ、かわいい赤ちゃんをこの胸に抱いて、少しでも癒されたいです。
- Him-hymn
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質問者の観念とは抽象的なモノなのでしょうか。 そして「英語では名詞単独では観念である」と言いますが、これは決めつけですね。私に言わせれば。 確かに、観念である名詞もありますが、観念でないものもあります。そして、冠詞は名詞を観念たるものか否かを峻別する記号でも、観念を取り除くものでもなく、まったく次元の違う意味合いを持っていることに、気づいていない人の文章というのが私の印象です。 さらには、eat a riceという、英語としてはナンセンスなものを土台に論を展開し、松香洋子という、英語力に疑問を感じる(実際に英語の講演会を聴いたことがありますので知っています)人物のことばに振り回されている感じがします。言葉は文脈があって成り立ちます。Drink tea. Eat rice. Eat bread.などという表現を「真似をしてください」という意味になるというのは、いかなる文脈かも示さず書き出し、ご自分の論を展開している。 「添削」とありますので、させていただきます。 1.Drink tea. Eat rice. Eat bread.が「真似をしてください」という意味になることをはっきりと示すこと。 2.名詞の位置づけとはいかなる意味かを例をもって示すこと。 3.「英語では名詞単独では」という「では」の繰り返しを避けて(これこそ「添削」ですよーーあなたが「添削」のことばの意味を勘違いしていなければ)、かつ、「英語では名詞単独では観念である」という、決めつけをするなら、その根拠を示すこと。 4.Eat a rice.という英語は誤りであり、Eat rice.と書き換える。a riceと冠詞なしのriceで、名詞に冠詞がある場合とない場合の比較を試みていると思われるが、それなら、正しい英語を使っていただきたい。たとえば、cakeとa cakeとか、an experienceとexperienceとか。 →私なりに添削を試みましたが、如何。
お礼
ご回答ありがとうございます。 質問の引用文ですが、私の勇み足で勘違いをしていたことが発覚しました。 →やってみよう! Drink milk. (牛乳を飲むまねをしてください。以下同様) Drink tea. Eat rice. Eat bread. と書いてあったのを、カッコ内が文の意味を示しているとずっと思っていました。しかし、よくよく注意すると、カッコ内は読者に行動を促す意図で書かれたもののようです。私が偶然図書館で借りてきた、中学生向けの本ですので、どうか著者の方を責めないで下さい。言い訳をしますと、私が悩み過ぎて、余裕が無いのが悪いのです。複数の回答者様全てに対して、申し訳ありませんでした。 話は変わりますが、名詞は全てそれ単独では観念です。「その」「この」「あの」または具体的事象の特定が無い限り、日本語であろうと英語であろうと、全ての名詞は観念です。観念とは想念上の物事のことです。例えば、「鉛筆」は観念です。あなたの目の前に鉛筆があったとしても、それはその鉛筆なのであり、「鉛筆」ではありません。 私は可算名詞と不可算名詞の概念が分かりません。添削要請の焦点はそこにあります。「数えることが出来ない」とはどういうことか分からないのです。あらゆる全てのものは数えることが出来ます。他にも、難解な条件がたくさんあるようで、冠詞という要素について、西洋人が一体何を考えているのか分からないのです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%81%AE%E5%86%A0%E8%A9%9E そこで、「次元の違う意味合い」ならば、可算不可算あるいは冠詞についての概念が何であるかを知りたいのです。 そういうわけで、Eat a rice.がナンセンスかどうか、ある初歩的な英文法の解説書が良書なのかどうか、全く分からないのです。 添削 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%BB%E5%89%8A ご提示の1.2.3.4.は課題であって添削ではありませんが、自らの勉強にもなるので対応したいと思います。 1.根拠は質問文に引用文献を書いてあります。それが「はっきり」だと解釈しております。しかし、読解を間違えているので根拠は崩れております。 または、以下のように答えれば良いでしょうか。言葉には成り立ちの理屈があるものでしょうが、それがそもそも添削要請の焦点ですので、私がそれを答えることは出来ません。分からないのです。 2.例えば「鉛筆」という名詞の可能範囲のことです。詳しくは4.に記載します。 3.既に説明しました。 4.それではcakeとa cakeでご説明します。私は勘違いを埋めるために次のように考えたのです。cakeはそれ単独では具体化出来ない言葉なのではないかと。a cakeは日本語の「ケーキ」に相当するから、「ケーキを食べなさい」は「Eat to a cake」なんだろう(というのは、引用文献の38ページにそのように書いてあるから〈これも同じ種の勘違い〉)。 「ケーキ」がa cakeならば、cakeとはどう位置付けたら良いのか。私はcake(または2.で示したpencilでも同じだが)が高尚な概念であると考えたのです。 例えば、現実世界に円は存在しません。存在するのは円いと形容されるものだけです。完璧な円はあり得ないのです。在るのは限りなく完璧に近い円を目指せるという可能性だけです。 西洋人はcakeやpencilについても、それを高尚な概念としていて、「cakeを食べなさい」と言っても観念の中で想定するか、真似ごとをするしかないのだ、cake単独では何の具体性も無いのだ、cakeが想念を破って現実に出てくる事は不可能なのだ、それが cakeの可能範囲なのだ、と考えたのです。 だから「真似をするしかない」ということになるのだ、と考えたのです。具体化するには冠詞他付随要素が必要なのだと考えたのです。 しかし、この考察も徒労に終わり、虚無な説明を長々としなければならない疲労だけが残りました。結局冠詞とは何なのか分かりません。 長々とお付き合い下さり、ありがとうございました。
- wind-sky-wind
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eat rice で「(米の)飯を食べる」です。 rice は sugar なんかと同じでいわゆる物質名詞で,不可算が基本。 tea も water と同じで物質名詞。 ただ,a cup of tea の意味で,a tea ということもあります。 rice は a rice で一粒となるわけでなく,茶碗一杯,ともなりにくいと思います。 こういう名詞は種類を表す場合は可算化しますので,そういう場合には a がつくかもしれません。 >ご飯を食べなさい」 は、 Eat a rice. であるから これがおかしいです。 have a talk take a walk こういう talk/walk は動作としては不可算ですが, 動詞とセットで用いると,「ひと動作」となり a がつきます。 こういうのとは根本的に違います。
お礼
>eat rice で「(米の)飯を食べる」です 本に書いてあることと既に食い違っていますね。 可算不可算の区別はwikiを参照する限り、非常に難解で現在勉強中であります。 しかし、この概念が分からない限り英語の本質は永遠に掴めないでしょう。 「どの鉛筆でもよいですから、鉛筆を一本、指さしてください」 Point to a pencil. (『英語、わかりますか?』松香洋子著P38) この場合a pencilは概念上の鉛筆を意味するのではないでしょうか。どの鉛筆でも良いということは、鉛筆という概念を意味するということです。 そんなわけで、申し訳ありませんがご回答者様のご説明はほとんど理解出来ませんでした。 ありがとうございました。
補足
英語カテに限界があるようなら、哲学カテに移行しますので、あまり気にしないでくださいね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうです。そんなようなことが言いたいのです。ただ、具体的な「存在物」はthe(定冠詞)で、どれでもいいという「概念」がa(不定冠詞)で、では冠詞の付かないものは何なのかというと、現実化不可能な「究極の概念」(例えば円のような)ということを、私は考えたのです。 ただ、引用文献の正しい解釈によれば、 Eat rice.は「飯を食べる」という意味のようで(Ano,1)、この場合のriceは冠詞無しでも、私の考えた「概念」(どれでもいいが飯。間違えていたところのa rice)と言えるみたいです。 もう疲弊しており、今回はこのくらいにして、気が向いたらまた考えようと思います。