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勇気の作り方

臆病で何をするにも怖く、先のコトばかり考えてしまい、いつまで経っても行動できません 人間の武器は太古の昔から「勇気」だけだと思っているにも関わらず、どうしても二の足を踏んでしまいます 今すぐに勇気100倍・・・というのは今までの積み重ねの無さから、無理だと思いますが、これから度胸を磨いたり、気持ちを奮い立たせるのは、どのようなコトから始めて行けば良いと思いますか?

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回答No.8

貴方が臆病と思ってしまう原因は、貴方の心の奥底で、物事を『好きとか嫌いとか、或いは良いとか悪いとか』の計算(分別心)で物事を見分けているからです。 物事を見た瞬間に『良し悪し』と言う心が働くからです。その心の働きによって『行動が制限されています。』 人生一寸先は闇ですから、そう云った不安が貴方の行動を制限しています。先の心配をする事は人間にとっては良い事でも有るし、悪く作用する場合も有りますが、貴方の場合では悪く作用しているようです。 貴方がこう云った悪く作用する原因を知ってそういう場合の対処方法を学ぶ事によっておおらかな人間になるために『どのようなコトから始めて行けば良いと思いますか? 』と言う事を書いてみます。 始めに学ぶ事は『心の成り立ちと、人によっての、勇気有る場合と勇気が無くなっている人の違いです。』 心の成り立ち、詰まり『感情や考えが、人間の心に如何して湧きあがっているのか?』と言う話からです。 その理由は、心に感情や考えを湧き上がらせている者が存在しているからです。この話は脳の機能を説明する事で、理解しやすいと思いますので、科学的な文献で紹介します。 『”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』 この話を、要約するなら『心』と自分が思っているものは『自我意識』=『左脳の人格』と言う事になります。その心に感情や考えを湧き上がらせている者が『右脳の人格』と言う事になります。 脳卒中の為に自分の脳の機能を内部から観察出来た脳科学者が、自らの体験を語っている動画がありますので先に良く見て下さい、話の続きははそれから又したいと思います。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM この中で語られている事は、科学的な話と見えていますが、実のところは『究極的には宗教の話になっています。』人間の苦しみの解消と言う話になっています。『魂の救い』と言う事を説明しています。 貴方の場合では、臆病な人間がその性格や気質はそのままでありながら『豪放磊落、或いは泰然自若』と言う行動が出来る人間になるという、物事の見方を変える事、詰まり人間革命とでも言うべき発想の転換を促す事を意味します。 とても簡単な方法です。 今の貴方は不安になり易い、或いは神経質な性格と言う事になりますが、それは『自分自身に対して敏感』と言う意味です、その場合はこの動画に有る『右脳の自分』に敏感と言う意味になります。 右脳の機能をもう少し具体的に説明して置きます。右脳の機能は『無意識の時の自分の身体と心を支配している機能(自分)です。』 意識と無意識は交替制を取っています、ですがその交替制があまりにも巧妙に出来ているために、殆どの場合では分かりません。この事にが付く場合を『神経質な性格』=『自分自身に敏感』な性格といっています。 全く分からない場合を『健常者』と表現しています。 右脳の機能は『生命を働かせる機能』です。命の働きそのものが右脳の機能です。この事を聖書では『天国に一番近い存在は幼子』としています。その理由は『自分の命を働かせている機能と一つの者』として、一体になって生きているからです。 心としての働きで説明するなら、『見ている自分しかいない』と言う意味です。思春期頃に脳の機能分化はほぼ完成します。その完成によって『見ている自分に、もう一人見られている自分が付け加えられるからです。』 この脳の機能が二つになった証拠が『イチジクの葉で自分の裸を隠す』と言う意味です。知恵が付いて神に背くという意味は、脳の機能分化によって『見られている自分』が新しく誕生したために『自分の裸を人に見せる事が恥ずかしく感じてしまう事』を意味します。 自分の心が二つになって、相争う事が多くなると言う意味が『失楽園』の意味するところです。そうして『幼子』では思いもよらない『自分は何者か?』『人生とは何ぞや?』と言った『失楽園』と言う謎に満ちた世界に入ってゆきます。 この苦しみの世界を『一切皆苦』とお釈迦は言っています。この意味は『意識地獄』と言う意味です。幼子のように『意識しないで居る事』が出来なくなってしまう事を言っています。 意識しただけでも『生き難さや、苦しみを感じてしまう』現象ですが、その解消方法も説いています。 字数の関係から簡単に書いて置きます。 自我意識と無意識の関係は、眠りのメカニズムで説明すると分かりやすいと思いますので、眠る事で説明します。眠る事は『自我意識はしていません』自我意識は只無くなっているだけです。自我意識がなくなっているときは『無意識の自分が』身体と心を支配しています。 朝になった時、無意識の自分は『身体と心の支配権を』自我意識に返しています。 こう云った交替を毎日何百回もやっています。ですがこの事には気が付かないでいますが、分かる時があります。この体験を禅では『見性体験』としています。『自性を徹見した』自分自身を知ると言う体験です。 ソクラテスも同じ事を言っています、『汝自身を知れ!』です。 今の話は只読み進める事にして置いて下さい、分かる時が来たらぴたりと分かるからです。 『どのようなコトから始めて行けば良いと思いますか? 』と言う方法を書いてみます。 今の貴方は『湧き上る感情や考え』=『雑念』に振回されてしまって、現実の行動が出来にくい事になっていますので、『湧き上る感情や考え』=『雑念』に振回されない人間像が目標となります。 如何に困難な状況になっても『湧き上る感情や考え』=『雑念』に振回されない人間像が豪放磊落や泰然自若と言う意味になります。 その為に、『良い事があっても喜び過ぎないようにして、悪い事があっても落ち込み過ぎないようにする事が大事です。』 たった是だけを心掛けて下さい。 頭の中の雑念の世界を大事にして生きるのか?或いは目の前の必要事『現実の世界』を大事にして生きるのか?の違いだけです。 意志が弱い人でも必要に応じて相手に必要な事を言う場合では、相手にとっては『意志が強そうに見えています。』 必要に応じて必要な事が言えたり、行動ができる人間になる事で、別に勇気など無くとも、仕事が見えるようになるなら、必要に応じて何でも出来てしまう人間に育っています。

gaitu
質問者

補足

非常に勉強になり、またとても興味深く、私の初めて聞く話しばかりでとても興奮しました 難しい話を啓蒙する能力も素晴らしく、とても分かりやすかったです もちろん動画も見させていただきました あなた様のように物事を深く色々と知りたいとおもうのですが、初心者でも入りやすいお薦めの書籍などありましたら教えていただけないでしょうか? リアルでの知り合いなら先生と呼ばせて頂きたいほどです 有意義な回答、また私の為に長文を真摯に回答して下さいまして、本当にありがとうございました また何かあれば宜しくお願いします

その他の回答 (8)

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.9

勇気と恐怖という二元論では恐らくいつまでたっても行動には結びつかないでしょう。 恐怖に対して必要なのは勇気ではなく理解ではないでしょうか。 恐怖の対象を理解すればいたずらに恐れる事はなくなります。 理解によって不安や恐怖が消えれば勇気は必要ないのです。

gaitu
質問者

お礼

確かにそれは一理も二里もありますね!!

  • zebura23
  • ベストアンサー率30% (252/820)
回答No.7

新しいことを始めるのは誰でも躊躇しますよね。 私が普段から心がけていることですが、お役に立てればいいのですが。 毎日何か新しいことにチャレンジするようにしています。 と言っても、めったにしない場所の小さい掃除であったり、片付けであったり、 いつもは通らない知らない車の道を通ってみることだったり、 やらないで途中で放ってあったものに手を付けることだったりします。 つまり、自分が面倒でイヤで避けていることや、 怖れて心配している小さいことにチャレンジするわけですが、 大したことではない「たわいないこと」の積み重ねばかりです。 でも私はこれで、やる気のモチベーションが維持できている気がします。 新しいことを始めるために ある日突然大きな決心をしたり、勇気を出したりするのは大変ですが、 そのエネルギーに比べれば、 少しずつ貯金?していく「やる気と勇気」もありだと思います。

  • barutokai
  • ベストアンサー率35% (14/39)
回答No.6

私は勇気を奮い立たせるより先に臆病をなくす方が優先だと思います。 臆病な状態でいくら勇気出したところですぐに勇気なんて消えます。 何かに挑戦しようとする時って怖いですよね。失敗したらやだなとか怖いとか。実はその思考がどんどん失敗した時の恐怖と後悔する気持ちを大きくさせるとおもいます。 結果なんか気にしないでただがんばるんだ!挑戦してするべきことをするんだ!という気持ちでやっていればなにがなんでも努力するというその素晴らしい自分に自信をもてるんじゃないのでしょうか。 劣等感や臆病という感情は総合的に考えた時に感じるものだと思います。だからこそひとつふたつと自信を増やしていけば、臆病なども消えて勇気を出せる人間になっていくのではないのでしょうか。 凄い数学ができて英語が凄い苦手な人って英語ができない事に劣等感を感じないんだと思います。むしろ「自分は数学タイプって感じがしてかっこいい!」とか思うくらいなのです。(私の事です。すいません。) 全部なんでもこなす人ってつまらないと個人的に思います。 最後に一言です。あまり持っている人の少ない「強み」をもつと確実に自信につながるのではないでしょうか?

  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.5

>先のコトばかり考えてしまい、いつまで経っても行動できません あ~わかります、おんなじですよ。 先々のことまで考え、よく計画してから行動して・・・ でも、結局計画倒れ/計画変更になるって、経験からわかってきて、 やっとちょっと変わってきた感じです。 大体の感じで見切り発車して、そこから軌道修正していく感じでいいのかなと思います。 目標が大きすぎても、動けなくなります。 小さな中間目標がないと・・・ 自分の場合、健康上の問題でどうしても頭打ちになるところがあるので、あんまり高望みしないことと、 ただ「始める」ことを大事にしてます。 「始める」ことは仕事の半分を終えたも同じ、みたいな名言を、ある日目にしまして、 そのときから、「ただ始める」ことが大事なんだとわかりました。 たとえば、 「お好み焼きを作る」って目標があっても、全部達成のことは横に置いといて、 「まな板と包丁とキャベツを出す」ところまででいい! そういう風に自分にいいます。 始めさえすれば、たいていは波にのれます。 波に乗れなくても、始められたことはよかったね、勇気出せたね、ってとらえます。 でっかい目標を作って、それを達成して当たり前、 みたいな減点方式だとやる気も萎えますから、 ちいさーいことでもできたらプラスとして加点方式で見てます。 自分をほめないと、やってけないです。 いまは大体なんとかなりますが、それでもたまにまた何も行動できない時期もあります。 そういうときは、なるべく、やりたいことを見つけてやります。 そうやって自己表現しているとやる気も出てきます。 やらなければいけないことばかりしていたり、自己抑圧しているとやる気も落ちます。

  • artomoh
  • ベストアンサー率0% (0/8)
回答No.4

1日2分で「自信」を付ける方法 こちらを試してください。 http://www.ted.com/talks/amy_cuddy_your_body_language_shapes_who_you_are.html 確かに不思議と自信が湧いてきますよ☆

  • rokometto
  • ベストアンサー率14% (853/5988)
回答No.3

失敗しまくることです。 その中で「意外と何とかなるもんだ」「自分はこのパターンで何度も失敗してる」と学んでいくことです。 失敗を恐れてると失敗をしない代わりに成長も成功もしません。 失敗と挫折は人生の勲章でもあり財産です。 私はそう思ってます。 失敗をせっかくしたのに活かせない人が上に上がっていかないのですよ。

  • mudpuppet
  • ベストアンサー率35% (388/1095)
回答No.2

性格というのは行動パターンの積み重ねです。 一度に変えるにはこれまでの人生のあり方を否定するほどの 多大なエネルギーが必要ですから、少しずつ変わっていくしかありません。 義を見てせざるは勇無きなりという言葉もありますから、 小さな人助けから始めてはどうでしょうか。 電車で年配の人に席を譲ったり、駐輪場で困ってる人を助けたり、 大きな荷物を抱えて駅の階段上り下りする人を手伝ったりと、 今すぐできることはたくさんあります。 本当は周囲の大人がこうした手本を見せてくれるからこそ そういった行いが身につくはずなのです。 でもそんな人は周囲を見てもいませんよね? だから勇気がない、行動に踏み出せないというのを悩む必要はなくて ほとんどの人が同じような状態に陥っているんですね。 そういう人の多い中で現状を自覚して悩むのは 成長の素晴らしいきっかけになると思いますよ。 勇気をつけるという練習を人助けを通じて行うという観点から説明しました。 そもそも日本では人のために良い行いをすることよりも 人に迷惑をかけないように良い行いすら慎むように言われ続けています。 ですからときには知人から変な目で見られたりすることもあるでしょう。 しかしそういう経験こそ勇気を付けるには打ってつけなのではないでしょうか。

回答No.1

私はムリそうな事で逃げられなさそうな時は強く思ってました。 「為せば成る、為さねば成らぬ」 と

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