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至福のときと安らぎのときを教えてください。
1)あなたの至福と感じるときを教えてください。 私は温泉に行って、ゆっくりあったまった後、 のどがかわいた状態で飲むビールが最高だったりしますが。。。。 2)あなたはどんなとき安らぎを感じますか? 私の場合は、自然に囲まれたところで目をつぶって深呼吸しているとき。。 夜空を眺めながら星を数えているときが安らぎますが。。
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お礼ありがとうございました。 >新たな発見・閃いたときとはやはり、至福とは究極気づきなのでしょうか。 究極の気づきは、自分を知ることです。 自分を理解すれば、すべての物の見え方や捉え方が変化し すべてがより明確化します。 自分自身を引き上げることができ、成長し続けることができるので 究極の気づきだと言えると思います。
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- hekiyu
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1)あなたの至福と感じるときを教えてください ↑ 私の腕を枕にして、嫁さんが寝息をたてている ときです。 2)あなたはどんなとき安らぎを感じますか? ↑ 嫁さんと肩を寄せ合って、TVを視ているときです。 2002年のノーベル 経済学賞を受賞した米国の心理学・行動経済学者 ダニエル・カーネマンは、数十年にわたって幸福を 研究してきた成果を、 次のように総括しています。 「幸福とは、自分の愛する人、自分を愛している人と ともに時間を 過ごすことだと言っても、あながち言い過ぎではない」
お礼
ご回答ありがとうございます。 お嫁さんのこと誰よりも、愛してらっしゃるのですね。す晴らしことですね。 ていうか、ちょっと羨ましいかな(^-^) >「幸福とは、自分の愛する人、自分を愛している人と ともに時間を 過ごすことだと言っても、あながち言い過ぎではない」 共に愛するとき、それが永遠に変わらなければ、ある意味神ですよね。 お幸せに(^^
(1) 子供の時は、玩具をもらって、それでどう遊ぼうかと考えている時が至福でしたね。同じことで、今は良い仕事のアイディアを思いついた時でしょうか。しかし実際にやり始めると…使えるアイディアは少ないんですけれどね。完成した時は、「まあ、これでもベストを尽くしたんだよなあ」という言い訳が多いです。 (2) 良い音楽を聴いたり、絵画を見たり、仕事以外のことに没頭している時です。安らいでいるから音楽を鑑賞するというより、音楽をじっくり聴いているうちに、心が安らいでくるという順番です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >子供の時は、玩具をもらって、それでどう遊ぼうかと考えている時が至福でしたね。同じことで、今は良い仕事のアイディアを思いついた時でしょうか。 なるほど、道具が変わっただけで、子供の頃から至福とは行動における気づきなんですね。 >安らいでいるから音楽を鑑賞するというより、音楽をじっくり聴いているうちに、心が安らいでくるという順番です。 1つ気づきました。私は安らぐために音楽を聴いていましたが、 逆に、安らいでいるから音楽を聴くという方法もありなんだなと思いました。(^^ ありがとうございました。
- kanto-i
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1)問題が片付いたとき・事が進んだとき・いい仕事ができた後・新たな発見をしたとき・閃いたとき 2)休憩中 多忙なので、あまり多くは望んでいないです。 区切りがついたら、旅行にでも行きたいですね。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >1)問題が片付いたとき・事が進んだとき・いい仕事ができた後・新たな発見をしたとき・閃いたとき なるほど、現在は、お仕事にウエイトがあるようにお見受けします。 新たな発見・閃いたときとはやはり、至福とは究極気づきなのでしょうか。 面白い発見(至福)です。(^^ >2)休憩中 なるほど、お忙しいわけですから、相対的に考えまして、休憩中がすでに安らぎなのですね。 毎日、休憩中では安らげませんからね。 率直なご回答より、2つ気づきをいただきました。ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
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1) 創造的思索により、それまで見えているつもりで見え ていなかったものが、見えていなかった事が見える ようになった時。 2) そうして深まる認識により、自己の身の回りの感受の 階層現象性の奥底が感得でき、その原理的自覚に おいて自我の宇宙全体への敷衍が感じられた時。
お礼
回答ありです。 >1) 創造的思索により、それまで見えているつもりで見え ていなかったものが、見えていなかった事が見える ようになった時。 なるほど、至福とは創造による気づきですか。 >2) そうして深まる認識により、自己の身の回りの感受の 階層現象性の奥底が感得でき、その原理的自覚に おいて自我の宇宙全体への敷衍が感じられた時。 なるほど、安らぎとは宇宙との一体感を得ることの意でしょうか。 そこまでいきますと、至福で目覚め、安らぎで悟り(無我の境地) を啓くというところでしょうか。 いずれに致しましても、スケールのデカイ御回答、 ありがとうございました。 私もおかげで、気づきを得ることができました。(^^
似たようなものです。 友達と馬鹿なこと言ってわらっている時とか、夜、一人で静かに窓の外を眺めている時など、です。
お礼
ありがとうございます。 共感、シェアしていただきありです。(^^
- Y Y(@yy8yy8az)
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考えてみました。 至福のときと安らぎのときの違いを。 ひとことで言ってしまえば、「至福のとき」は身に“余る”状態のとき。「安らぎのとき」は心の休息状態のとき。 言葉を変えてみれば、「至福のとき」は何かがプラス状態のとき。「安らぎのとき」は、、、うまく言えません。 でもこれで何となく分かってもらえるのではないでしょうか。
お礼
回答ありです。 至福と安らぎの違いを教えていただきありです。 yy8yy8azさんの具体的に感じるとき、どんなことかも聞きたいです。(^^
ははぁ。。。 「至福の時」と「安らぎの時」ですか。。。 確かに、微妙にどこか違う気がしますね。 哲学カテですので、あくまで抽象的哲学の観点で言えば、自分の中での「至福」とは、「頂点」を実感するような、「縦」の存在を意識した時でありますし、対して「安らぎ」とは、「芯」を実感するような感覚を意識した時の心理状況でありますかね。 分かりづらいかも知れないですが(汗 これは、全く別の異なるものではなく、同じ一つの事例で見ても、違う観点で説明が出来る事でもあります。 例えば、自分は食べる事が大好きな人間です。 美味しくないものを食べるよりは、美味しいものを食べた時の方が幸せですし、それが自分の好物だったり、今まで味わった事のない素晴らしい味に出会えた時などは、安っぽい話で申し訳ないですが、本当に幸せだと思います。 後、一日の終わりにふとんに入って寝る瞬間も、「あぁ、なんて幸せなんだ。。。」と実感します。 これが、自分の「至福」の瞬間の一つです。 そして、「そういう事で喜べる自分がいる」という事を「意識した」瞬間、また一方で「安らぎ」を覚える事も確かなのです。 あなたもそうではないですか? 自然に囲まれた所で目をつぶって深呼吸している時や、夜空を眺めながら星を数えている時。 その大き過ぎるまでの、広大な大自然という空間の中で、例えちっぽけではあっても、確かに「自分の存在も同時に意識している」はずです。 人は、自分自身が「認めている存在」の中で、「自分の存在」や「自分の居場所」を確認したり発見したりした際に、例え無意識であっても「安心や安らぎ」を覚えるそうですよ。 そういう意味では、「至福」と「安らぎ」は、似て否なるものでありながら、また一方で、確実に根底で繋がっているという事かも知れませんね。 変な方向に話が流れてしまい、質問の意図とずれてしまったかも知れませんが、カテを見ての回答として、少しでも参考になれば幸いです。
お礼
ご回答ありです。 >哲学カテですので、あくまで抽象的哲学の観点で言えば、 自分の中での「至福」とは、「頂点」を実感するような、 「縦」の存在を意識した時でありますし、対して「安らぎ」とは、 「芯」を実感するような感覚を意識した時の心理状況でありますかね。 なるほど、言葉を変えれば、至福とは目指した結果、得られるもの、 安らぎとは本来自分にある真実に出逢う瞬間ということですか。 かなりロマンチックですね。 今、気ががつきましたけど、 哲学が好きな人って、ロマンチックなんですね。私もそうですが。。。。(^^
お礼
ご回答ありがとうございました。 >究極の気づきは、自分を知ることです。 自分を理解すれば、すべての物の見え方や捉え方が変化し すべてがより明確化します。 ありがとうございます。はっきり言って涙が出ました。 私もそのとおりだと思っていましたから。。 魂が共感し、震えました。 こんな形で、真実に出逢えたこと嬉しく思います。 感謝!!感謝