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水の都 ベネチア。

水の都と言われるベネチアですが(最初聞いたのはベネチアでは無く、ベネズエラ?同じでしたらすいません)、自動車の代わりが船のような街並みですが、これは、初めから水の上?浅瀬にに建てたのでしょうか?それとも、元は普通の街並みだったものが、水没してしまったのでしょうか?どっちにしろ凄いとは思いますが?

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  • xiansui
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回答No.3

ヴェネチアは、日本で言えば有明海のように、潮の干満によって干潟が出現する「泥湿地帯」の上に建設されています。 しかも、土台は木の杭だったりします。 なので、近年は土台の浸食が激しく、徐々にですが水没し始めています。 そもそも、なぜこんな所に都市の造ったのか?ですが、 この地にベネト族がやって来たのは5世紀の事です。 元々は、イタリア半島とバルカン半島の付け根辺りに住んでいたのですが、アジアから攻め込んできたフン族の脅威にさらされていました。 そこで目を付けたのが、アドリア海の干潟です。 ベネト族は、操船技術が巧みだったので、干潟であればフン族から逃げられると考えたわけです。 こうして、ベネト族が住む「ヴェネツィア」が誕生しました。 その後、場所をわずかに移動し、現在の位置に新都市を建設しました。 しかし、その場所は「泥湿地帯」だったので、まず干潟に木の杭を打ち込み、その上に石を敷いてから、レンガで家を建てました。 かつては、地盤が沈下すると石を積み上げて補修していましたが、20世紀以降は間に合わなくなってきました。 (地下水の汲み上げと、ゴンドラからモーターボートに代わったために、その立てる波によって土台部分の浸食が急激に進行し、地盤の沈下が早まりました) すでに住居の1階部分は、ほぼ使用不可能で、人々は次々と内陸部に移り住んでいるそうです。 このままでは、あと2000年もすると、4~5階建ての家屋も水没し、街自体が地球上から消えてしまうと言われています。 (ただし、絶えず補修されているので、私たちが生きている間は急激に沈む事はなく、現在のような状況が続くと考えられています)

ytz500sec
質問者

お礼

ありがとうございます。形あるものは壊れるとは言いますが、あれほどの景観が勿体無いですね。かと言って現代技術を駆使すると、値打ちも無いかと思います。となると日本の伊根町の船屋敷というのはよく出来てますね。まぁ美観がありませんが。

その他の回答 (3)

  • sagamit
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回答No.4

湿地帯に木の杭を大量に打ち、その上に石を置いて作られた島がベネチアです。 時代を考えるとかなりの大工事ですね。

ytz500sec
質問者

お礼

ありがとうございます。凄いですよね、昔の人は。当方も滋賀県大津なのですが、琵琶湖の反対側(守山市)は、概ね埋め立てと聞いた事があります。思わず【嘘!】と叫んでました。

noname#208392
noname#208392
回答No.2

最初っから水の上(干潟の上)に立てたのです。 ローマ帝国末期、ゲルマン民族やフン族が侵略してきたときに、ほかに逃げ場がなくて、干潟に逃げたのがヴェネツィアの起源です。 これは後から見ると、とても良い選択で、その後の長いヴェネツィアの歴史の中で、この干潟を活用して防衛に成功したこともたびたびありますし、なにより、海洋国家として飛躍するきっかけになりました。 だって、農業ができないでしょう?それで、通商国家としての道を歩むことになったのです。 いまでこそ、ただの観光都市ですが、ヴェネツィア共和国は中世ヨーロッパでは列強国の一つでした。

ytz500sec
質問者

お礼

ありがとうございます。究極の選択ですね。当時としては凄い事だったんでしょうね。

回答No.1

もともとあった島を中心に、干潟を干拓して作った地形だったはずです。 それが海面上昇と地盤沈下と高潮で水没する街になったんじゃなかったかな?

ytz500sec
質問者

お礼

ありがとうございます。なるほど、中心部は陸地でしたか。そうでしょうね。そうでなければ起点も無いわけで、納得です。

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