- 締切済み
同音異義語が存在する理由
日本語には同音異義語が多い気がします。 漢字にも音読み・訓読みがあり、この違いについては理由も納得できるのですが、中には違う意味の単語なのに同じ綴りを書くものもありますよね。 それだけでなく、そもそもなぜ一つの漢字についての訓読みが音読みよりもべらぼうに多いのでしょうか?それが例えば歴史的に古い言葉であった場合、その読みの違い、意味の違いが同じ音であるという事実は、昔の人はその意味の違いを認識せず(もしくは存在せず)、同じ意味として認識していたのでしょうか? 例えばこれはぱっと思いつきの例えですが、日も火も同じ音なのは、昔の人が同じものだと認識していて、漢字の輸入により字で意味を区別するようになったのか。 それとも音が同じなのはただの偶然ですか?それならなぜこれほど多くの同音異義語が存在することになったのでしょうか? よろしくお願いします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- marisuka
- ベストアンサー率38% (657/1685)
理由としては、日本語には音節(アとかクとかレとか、俳句で1コとして数えるヤツ)の数が少ないことが考えられます。ただ、昔は今よりもっと多かったとはどこかに書いてありましたが。 そして昔は物の認識がもっと単純だったのではないでしょうか。これもどこかで聞いた話ですが、昔は1音節の単語がたくさんあったとか。目は「ま」だったそうです。「ま」の蓋なので「まぶた」、「ま」の毛なので「まつげ」というように、周辺の単語を増やしていったんだとか。 それでもやっぱり同じ音節の単語はできてしまいます。「日」と「火」とか。ここからは勝手な想像ですが、アクセントで区別したのではないでしょうか。ちょうど中国語の単語のように。関西弁では「日」はヒィで、下降調です。生返事の「はぁ…」のような感じです。関西弁の「火」は同じくヒィですが、上昇調です。聞き返すときの「えぇ!?」のような。だから、同音異義語があってもそんなに不自由がなかった。こんな事情があったのではないかと推察します。 このアクセントの違いで、音節数の少なさがカバーできた。それは今でもよく似た状況があると言えます。「根気」と「婚期」は、話の流れとアクセントで聞き分けられます。
- mekuriya
- ベストアンサー率27% (1118/4052)
日本語の発音は長い歴史において、ひたすら単純化の一方通行を歩んでいます。昔は発音、アクセント、抑揚の違いで多様な意味を表現していたのが、漢字を導入することで、そこまで発音に拘らなくても済むようになったということなんです。 ここでは日本語と表現していますが、現実には地域によって数多くの方言があって、発音も違っています。それでも幕藩体制の江戸時代までは、さほどの不都合は無かったんです。武士は武士言葉で意思疎通できましたから。 ところが明治時代になって、様々な弊害が出てきた。地域が違う人の言葉が聞き取れないようでは話にならない。 そこで教育によって発音の標準化、単純化を政策的に推進したのです。小学校の国語の授業はひたすら先生の後をついて教科書を復唱するだけです。 火事は昔は「くゎじ」と発音していたのです。決して日も火も同じ音だった訳じゃないんです。 現代は単にお馬鹿な現代日本人の脳みそのレベルに合わせて同じ発音にしているだけの話なんです。
お礼
回答ありがとうございます。参考にさせて頂きます。
お礼
回答ありがとうございます。 中国語は自分も少し勉強したのですが、四音のようにアクセントの種類が豊富だと他国の言葉でも聞き取れる音の種類が増えるわけで、そうすると日本語よりも自国語への置き換えがやりやすくて被りにくくなるでしょうね。 最近になってますます外来語が多くなってきましたが、今の日本はそれを日本語に置き換える能力を失っていますね。中国では、例えばパソコンは電脳というようにちゃんと言葉を当てますが、日本語ではそのままカタカナ表記ですし、今後もそれが続くようならその内言葉としての意味がなくなってしまうのではないでしょうか。