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仲間なのに同僚や上司との認識の違いが大きいのは何故

会社員をしています。 「踊る大捜査線」や「24」の様に他部署や上司・上層部と認識の格差が開いてしまうことが多々あります。 どうしてでしょうか? 共通の目的を達成するための仲間のはずなのに。 ちなみに、「24」のシーズン7辺りでは、CTUがあまりに信用できないので、3名だけで(退職し)独立捜査をしていました。 結局会社員も、上層部との格差が深刻化するようでしたら独立するか会社を変わるかということになってしまうと思います。 日本人は仲間と協力するのが得意な民族のはずではなかったのでしょうか。

みんなの回答

  • u-lily
  • ベストアンサー率41% (307/746)
回答No.4

>共通の目的を達成するための仲間のはずなのに おそらく違います。 もちろん「大きな意味」ではそうかもしれませんが、 その目的のための手段の取り方への考え方は全然違います。 上下で言えば、上層部は「最終的に」目的が達せられればよいのであって、 その過程において必要であれば末端を切ったり、不要な面倒が下に被ったとしても問題にしなかったり、と「大局」しか見ていないことが多いです。 では「下」はそれでよいですか? 必要だからと「お前を切る」とか、現場を知らない上の机上論で利益も無い必要以上に面倒な作業が増えたりしても「仲間だから」と進んで引き受けますか?仮にこれが徒労だったとしても「損」でさえなければ「上」はそれほど問題視をしないでしょう。極論として、その過程で末端の人間が何人入れ替わろうと、関係ありません。 これだけでもお互いの利益には差があるのです。 大きな組織になればなるほど、上下の距離は広がり、この意識の差も広がっていることでしょう。 また、部署によっても随分空気が違います。これは狭い空間なだけにそこの「上司」の方針によって大分左右されます。 私はある大きい会社内で派遣をしていましたが、同じ関連部署の違う課にいっただけで、空気も人間関係も何もかもが違っていました。最初の部署では 「仲間として協力しよう」 という空気や考えをもった上司の下だったため、部署内は社員、パート、派遣関係なく、お互いが仕事を助け合い、認めあって作業していました。 ですが、違う部署に移った際はとても「仲間」とは言えない部署でした。 ミスを「共有し、なくす」のではなく、ミスを「あげつらって、さらし者にしてなくさせる」という意識。小さなグループなのにその中でも「上下」を作った上、下には何も言わせない空気。以前の部署では自分の仕事以外のことも助け合えましたが、ここでは「何でそんなことしなくちゃいけないの!!」と人との協力を拒否する空気にあふれていました。 >日本人は仲間と協力するのが得意な民族のはずではなかったのでしょうか。 これも違うと思います。 単に「空気」に流されやすいだけです。 だから、空気を作る人が良い人なら、よい空間になり、残念な人がその立場にあれば、簡単に「個人」にばらけます。 「和をもって尊しとす」 とありますが、「和」が簡単でないからこそ「尊い」と感じるのではないか、とすら感じます。 これを会社生活でも忘れずにいてくれる上司の元でだったら、 多少の損はあっても頑張りたい、と思いましたけれどね。 参考まで。

gdbnb6c
質問者

お礼

>徒労だったとしても「損」でさえなければ「上」はそれほど問題視をしないでしょう。 大局を見る上層部としては、それはそれで良いのかもしれません。 その場合、下の人間たちの統制がとれず、協力心もなくなっていきます。 それも含めて検討されているのであれば、良いと思います。 「組織の結束力を高めることの優先順位は低い」という点において、上の人と、下の人で共通認識を持てば良いです。 上の人がそれを認めたくはないから矛盾するのではないかと思っています。 ありがとうございます。

回答No.3

管理職の者です。 >他部署や上司・上層部と認識の格差が開いてしまうことが多々あります。 >どうしてでしょうか? >共通の目的を達成するための仲間のはずなのに。 確かに大きな目で見れば、共通の目的は会社のため、会社の売り上げとかになるのでしょう。 しかし、実際の日々の仕事では、部署ごとの目的があります。そして部署ごとの目的が違えば、当然認識も違ってきます。その目的の違いから、部署同士が争ったりすることも普通です。 これが組織のおもしろいところですね。 >日本人は仲間と協力するのが得意な民族のはずではなかったのでしょうか。 それもあまり当たっているかどうかわかりません。 というのが、日本企業、外資系、米国で米国企業で働いている私の感想です。 日本人は仲間と協力する場合に、突出した人間を嫌いますね。だから自分と同じレベルなら協力するという感覚が強く、スーパースターや、ある部分だけのスペシャリストを嫌います。

gdbnb6c
質問者

お礼

>スーパースターや、ある部分だけのスペシャリストを嫌います。 なるほど、よくわかりました。 私の勤める会社も同じ様なことがあります。 嫌われているわけではなく、ある分野のスペシャリストに仕事が集中しており、給与・評価がは上がらず、辞めて行くということがありました。 ありがとうございます。

noname#205122
noname#205122
回答No.2

 「共通の目的を達成するための仲間」であっても、個人、個人は別人格です。それぞれに、育った環境や受けた教育など様々です。ましてや会社の内部であれば、その上に職務上の立場(ポスト)も異なります。認識に差が生じるのは当然ではないですか。  その程度のことで「独立するか会社を変わるかということになってしまう」と思ってしまう「あなたの感覚」の方が少し変ではないでしょうか?ドラマの世界と現実の世界が錯綜しているようですね。極めて、単純というか、短絡的ですね。(*^_^*)  もっとも、独立するか会社を変わることによって、あなたが成功される見込みがあるほどに能力があるのであれば別ですが。そのような人は、会社内での上層部との認識の格差のあるなしにかかわらず、自分自身の考えに基づいて、自分自身の責任において、独立または転職をするでしょう。  「日本人は仲間と協力するのが得意な民族のはずではなかったのでしょうか。」との考え方をお持ちのようですが、何を根拠に言われているのでしょうか?分からないわけではありませんが、ご質問の「仲間なのに同僚や上司との認識の違いが大きいのは何故」とはまったく関係しないように思われます。

gdbnb6c
質問者

お礼

>独立するか会社を変わることによって、あなたが成功される見込みがあるほどに能力があるのであれば別ですが 生意気な質問をしてしまいすみません。私にはそれほどの能力はありません。 話をわかりやすくするために、テレビの例をあげました。 認識に差が生じるのは当然ですね。あまりにかけ離れているケースが発生してしまうこともあります。 そのためかどうかわかりませんが、人員の定着率が異常に悪い時期もありました。 認識あわせをするコミュニケーション努力が足りないという部分はあると思います。 しかし、それに大きな手間隙をかけないと成り行かない組織というのも変だなぁと思っていた次第です。 ありがとうございます。

  • meg68k
  • ベストアンサー率33% (1133/3386)
回答No.1

おはようございます。 同じ同僚であって目的も同じであっても、価値観(優先順位)が違 うからじゃないでしょうか。 恐らく価値観の第一位は打ち合わせしていると思うのでほぼ同じに なっていると思いますが(これが同じになってないのは協調性がな い人間か、ドラマの主人公のような物語を面白くするために配置さ れている特別なな人種だと思うのです)、価値観3位、もしくは価 値観10位くらいになれば意見別れると思うのです。 上司:決まりにうるさい(決まりがあって実行できない) 主人公:そんな決まりなんかくそくらえ(実現することが大事) この場合、同じ目的をもっていても「決まり」の優先順位がそれ ぞれ違うから、それを重視する上司と、重視しない主人公で喧嘩 になる、と思うのです。 以下雑談 ま、ドラマでは主人公の価値観第一位と上司の価値観第一位は同 じとは思えない場合も多々ありますが。出世・社会的立場の方が 上だろとか。

gdbnb6c
質問者

お礼

そうですね。会社では価値観の共有が要りますね。 価値観のすり合わせは骨が折れますね。 上司から部下へと流れるべきと思っていますので、 私は部下との価値観の共有は日常的に行っていますが、上司から価値観に関する話が出るのはトラぶったときだけです。 上司に「わかりきったことですが、行き違いのないように・・・・」と話しかけると、わかりきったことなら話すなといわれてしまいます。 組織での振舞いは難しいですね。 良いと思うことは上司の理解を得ずに実行して、成果を出しています。 未承認でも成果が出たときは褒めてもらえますが、途中で上司に見つかって、中断させられてしまうことがしばしばあります。 伝える努力が足りないといわれればそれまでですが、1日の仕事のうちの4割くらいは上司を説得するための資料作りになっていた時期もあります。 この頃は馬鹿らしくなって、伝えるための手間隙を減らしまし、実務の時間を増やしました。 ありがとうございます。

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