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やりたいことを
人を傷付けても自分のやりたい事をやるべきなのでしょうか?という質問があったとしたら、きっと多くの人が「それはいけない」と答えると思います。 しかし実際には多くの人々が他者を傷付けてでもやりたい事を通しているように自分には見えます。 「それはいけない」という気持ちはこの時どうなっているのかと言えば、見ぬ振り、知らぬ振りで通ってしまっているのでしょう。 自分はこの見ぬ振り、知らぬ振りが難しく、有体な言い方をすれば不器用な生き方になってしまっています。 見ぬ振り、知らぬ振り。これはどうすれば身に着くのでしょうか?参考になるような本等があれば併せて教えて頂けませんか。よろしくお願いします。
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補足
自分も全くその通りの考え方でした。しかしそれは今までの話。 やりたい事をやり、人を傷付けても知らぬ振り、見ぬ振り、報復を恐れず、信念を持って生きるのではなく楽な生き方をする。 食卓の例に倣って言うなら牛の肉を食う割に牛が死ぬ所を見ると「可哀そう」と口にするような感覚です。 それを口に出来るような感覚が欲しいのです。 自分は牛が死ぬ瞬間を見て受け止めてしまいます。しかし実際現実ではその感覚はアウトローです。何も「人を傷付ける」だけに限った話ではありません。 自分の見たい物だけを見て、知りたい事だけを知って、そうやって都合良く自分勝手になりたいのです。 自分と自分の近しい人間だけの安全と幸福を願い、他者は他者でどうなろうと関係無い。そういった感覚を今心の底から欲しているのです。