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国際結婚や国際恋愛における違和感と他者化の問題
- 国際結婚や国際恋愛の増加により、日本社会では「違和感」と「他者化」の問題が浮上しています。
- 国際結婚をすると、異文化や異なる言語を持つ相手との生活が始まります。これにより、結婚相手の家族や友人との間には、言葉や行動の違いによる「ギャップ」が生まれることがあります。
- また、国際結婚や国際恋愛をテーマにした文学作品や映像作品が増えていますが、実際の現場での「ギャップ」は相互理解のきっかけになることが少なく、むしろ「他者化」の要素となることが多いのが現状です。
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私は国際結婚をした側ですが 親戚などからは特に何も言われませんが 仕事で周りにいた人たちには、やっぱり、変わってる人だと思ってた。 と何人かに言われました。 私の結婚相手は、日本語を話せないので私が通訳です。 親戚・親は変な人だとは思わず、ちゃんと相手がどういう行動をするかを見て この人はしっかりした人だ、と判断してくれます。 あなたは、日本語も話せるし台湾系といってもれっきとした日本人…ですよね。 堂々としていればいいのでは? で、今私は結婚した相手の国にいて、ガイジンです。 私は私、相手は相手で周囲の人で「お互いの国でいい人いなかったの?」 と言われることもありますが、聞き流しています。 相手の身内には、無意識のうちに人種差別と勘違いされる発言をする人もいます。 結婚相手と歩いている時に、外国人反対派の人がチラシを渡してきたことも。 国際恋愛・結婚が普通になってきたとはいえ どこの家族でも普通にある、というまでにはなっていません。 だから、いざそうなったらどうしたらいいんだろう?と戸惑う人たちもいて当然と思いませんか?
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- chocolat52
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2度目ですが、周囲の人が変わってる、と思う程度とあなたが受け取る程度は違うと思います。私も相手がどういう真意で言っているかは分かりませんが、「自分は考えたこともない考え方をする」という意味で変わった、と言っている場合もあるでしょう。全てがネガティブな変わってる、ではないですよ。 両親がお互いの国の言葉を話せない、ですけれど そういう国際カップルは無数にいます。お互いの国の言葉が話せなくても 共通の言語があれば構わないはずです。 私たちは相手の国の言葉が共通語で、相手は日本語は話せません。 周囲のカップルは、共通語が英語やその他、という人もいます。 「「ジャパンマネー」で 「嫁を手中に収めた」ということだったのでしょう。」という人もいるでしょうね。 それは、ご両親の関係を見れば分かると思いますよ。 カネにものを言わせ好きにやり放題、言い放題なのか。 それとも、お互いに思いやりを持っているか。 《「結婚相手と歩いている時に、外国人反対派の人がチラシを渡してきたことも。」こ のような指摘は,おそらくは,日本国内であったことでしょうか? ほんとうに,な げかわしいことです。》 →フランスです。外国人反対派、けっこういますよ。結婚相手も嘆かわしいといっていました。 日本だけではないですね。 また、自由の国とは言われているものの、フランス人と国際結婚した人の中では 相手の家族に差別されるとか、結婚前は仲よくしてくれたのに結婚したら冷たくなった、 という人もいました。つきあうのはいいけど、結婚するなら「白人」がよかった、というのが その家族の言い分だそうです。 国際結婚が日本より多い国でも、そういう有様です。 日本はまだまだこれからではないでしょうか? 私があなたの文章を読んでいて思うのは、まず他人の評価を気にしすぎないで 人を好きになればいいのに、ということです(的外れならごめんなさい)。 ご家族親族内のことは、それぞれの家庭で事情は様々ですから、どうとも言えないけど あなたは、そういう状況の中で生まれ育ち、そこからはどうしても逃げられない…ですよね。 もちろんあなたの仰るようにリスクはあるのでしょうけれども それと同時に、他の人にはない可能性もあるわけです。 二つの国の文化や言語が、生まれながらに身近であること。 二つの国のいいところ、悪いところが客観的に見えること。 国際結婚によって生まれた子どもであることによる、悩みや葛藤を持って 生きている人はたくさんいると思います。そういう人と思いを共有し 恨んだり愚痴ばかり言うのではなく、もっと前向きに考えられると楽になるのかな…って思います。 私の親は両方日本人、相手の家系は複雑で フランスのほかにいろんな国の血、アジアの血も混じっています。 相手の血縁の中には親に虐待されたり、戦争中幼い頃母親の国から連れ戻され その後一度も母親に遭っていないとか、色んな話を聞きます。 結婚相手の父親も見た目アジア人の血が濃く、小さい頃にはそれで いじめられたこともあるようです。ですが、とても他人に優しく寛容で 人は皆それぞれ違う、その違いを認めてあげる、という人でした。 私はこれから親になりますが、自分の子どもに あなたのような思いをさせないよう、できることを考えていきます。
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コメントありがとうございます。 「他人の評価を気にしすぎないで人を好きになればいいのに」 この指摘については,わたし自身としては,他人のまなざしは気にはしていないものの,いわゆる「排外的なメンタリティ」が「問題視」されているいまの日本社会の「異常事態」を受けて,いろいろと考えをめぐらすようになりました。 「他人のまなざしを気にしないで活きること。」 これは,大切なことであると思います。 そして,ひとりの「外国につがなりをもつ人間」という立場から,どういった「経緯」があって両親が出会ったのか,ということについては,「はっきりとさせる」必要があるとおもいます。 たとえば,台湾系であるわたしにとっては,日本の親と台湾の親の関係というものが,「語学留学で欧米圏にやってきた日本人女性と,現地の欧米人男性」の<関係>によく似たものであると,受けとめています。ほかにも,「台湾スナックのママをひっかけた」などという<イメージ>もあって,わたしがアメリカでみてきたような(5年間ほどの滞米経験がありました),<愛のある関係>とは「程遠いもの」であることに,「いらだち」を感じたことも多々ありました。
- bekky1
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【何らかの「違和感」を感じることはありますか?】 そりゃ、見かけが違えは’違う’と思うし、違いとして、認知はしますよ。 ただ、アナタのは、違和感ですよね? 同じだと思うから、’違和感’なのです。 もし、台湾の人たちでなく、金髪ばっかりとか、髪の赤い、あるいは、色の黒い、などなど、 一目見て違いをわかるなら、逆に、そこから以降、親戚なんだからとか、 人間皆兄弟・・・的なものを日本人の習性して探します。 平和的な人々ならね、同質感をさがす。 ただ、見かけまったく、ご近所さんと違いないのに、しゃべる言葉も、同じようなのに、 なんだかなにしゃべっているかわからない。 私は韓国語に対してこういう違和感を覚えます。 声のトーンが同じ、そして、なんとなく、方言的な違いしか感じないのに、何もわからないから、 しゃべる本人もほとんど日本人だと思えるので、??????と。 韓国の人だと自分の中で決定できるまでは、違和感の連続です。 アナタの危惧は、あまりに似ているから、逆に差異としてチクチク感じるように 違和感なのです。 最初から、まったく違う・・・と認識させるなら、問題はない。 実際、そうなのだし。 他の回答者も言われるとおり、’同じ、差異がない’ではなく、 違う・・・からはじめる。 他の文化と融合するのです、日本人同士だって、家庭内文化は相当に違います。 同じだと思うから摩擦は起きる。 ヨメ姑問題もそうです。 どうして、なんでも、同じでないとだめなんでしょうか? 気がつくと、家の近所には、○○人と思しき人が沢山歩いてる。 言葉でわかる。 ただ、普通にすれ違うだけなら、そういう風貌、容姿の日本人として大して違和感はない。 いわゆる日本人が外人と思うような金髪碧眼の人も、食べるものの影響なのか、着ているのがユニクロだからなのか 妙に、しっくりジャパナイズされていて、いわゆる脂が抜けてる感じで、改めて、ああ金髪ねとか 観察しなおさなくちゃわからないほど’普通の景色’になってる。 完璧な同化を目指さないことです。 ヨメはいつまでもやっぱりヨメであり、婿は婿ですから。 家庭内文化はそういうもので、それに多少の大小があるだけ。
お礼
コメントありがとうございます。
- kanakyu-
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カナダに6年ほどすんでます。こちらは逆に、ものすごい国際化してます。 日本では大変だろうと思いますが、ちょっとアドバイスしたいです。 あなたが交際相手の女性に、国際的な面をあまりみせずに付き合いだした場合は、 後になってから国際的な面を見せると、ついてこれないと感じる人もいると思います。 最初からある程度出していけば、むしろ国際的な所に魅力を感じてくれる人と 付き合いやすくなるのではないかと思います。 日本にも、国際的なことが好きな人と、苦手な人がいると思いますから。 日本にいると同一化していきやすいと思いますが、それとはべつに、 ご自分のルーツに誇りを持っている人をステキだと思ってくれる人が、よいと思います。
お礼
コメントありがとうございます。
結婚式の段階まで違和感を感じない? いくら温厚篤実が売りの日本人でも、そんな暢気な人がどれだけ居るでしょうか。 国際結婚で相手が外国人やハーフだということを知らずに披露宴に来るひとも、そうそういないでしょう。 違和感=嫌悪感ではありません。 ただ、お身内がこちらのわからないコトバで楽しげに盛り上がっていれば、疎外感は感じるかもしれませんね。 (日本語がわからないお身内の方がいらっしゃれば、そちらでも「日本語でばかり」と思われるかもしれませんが) 当人と近い身内が、それなりに寛容であれば「リスク」などと騒ぐ必要はないのでは? たとえ「純日本人」同士でも、文化や習慣がまったく同じで何も問題がないなんてことは、そうそうありません。 「面倒」や「苦労」はあるかもしれませんが。 あと、過剰な他者化は、なにも日本人の専売特許ではないことを申し添えます。
お礼
コメントありがとうございます。 「あと、過剰な他者化は、なにも日本人の専売特許ではないことを申し添えます。」 日本人の「擁護」ということですね。
お礼
コメントありがとうございます。 「仕事で周りにいた人たちには、やっぱり、変わってる人だと思ってた。と何人かに言われました。」という指摘については,そういうことを「平気で」言ってしまう日本人がいることは,わたしにとっては大きな失望であると同時に,とても遺憾なものです。なぜならば,国際結婚をした人々が「変わり者」であるのならば,国際結婚をした親から生まれたわたしにたいして,「変わり者の子ども」という<まなざし>につながるからです。いまだに,わたしは,いわゆる「ワケあり」なのかな?,と思うときがあります。 「私の結婚相手は、日本語を話せないので私が通訳です。」という指摘については,親が国際結婚をしたという立場から,両親が双方の言葉が使えないことに,わたしは「いらだち」を感じるときがあります。たとえば,わたしの日本の親は台湾人と結婚したにもかかわらず,いまだに北京語(普通語,華語)が話せません。そういった,日本の親の姿をみるたびに,「アンフェアな結婚」をしたのだと,そのように思うときがあります。何のために「結婚」したのでしょうか? お互いが愛していたから,というわけではないのかもしれません。言葉は悪いのですが,「ジャパンマネー」で「嫁を手中に収めた」ということだったのでしょう。回答者さんの場合は,そういうことではないと思います。ただ,みずからの親が,そういった「事情」があるので,いまもどこか,心の奥底には,奥歯に物が詰まったような気持ちです。 「結婚相手と歩いている時に、外国人反対派の人がチラシを渡してきたことも。」このような指摘は,おそらくは,日本国内であったことでしょうか? ほんとうに,なげかわしいことです。