日本は『普通の国』なんかになる必要あるの?本当に?
僕は、近代日本の悲劇は、政治が、いつも「周回遅れ」で「普通の国」を目指そうとしてきたところにあると思う。よく言えばマジメであり、悪く言えば構想力がないのだ。明治維新で、西洋列強のまねをして、富国強兵をした。この時点で、すでに周回遅れである。
そして、日本も西洋のまねをして付近に植民地を獲得したら(どんなに強弁をしたって、台湾、韓国、満州国への「進出」が通常の意味での帝国主義であったことは否定できない)、その頃には西洋諸国は「そういうのマズイじゃないか」という価値観へと推移していた。
しかも、西洋諸国は、小ずるいことに、アフリカやアジアなど、自分たちとは人種的、文化的に遠いところで植民地競争をしていたら、うらみを買うにせよ遠かった。ところが、日本は出遅れて近くでやってしまったから、後々まで相手から恨みをかうのは、当然だといえる。
つまり、何が言いたいかというと、明治維新の近代化で日本がやったことは、確かに「先生」たる西洋諸国がやったことと変わらなかったが(なんでハワイがアメリカ領なのか考えてみればわかるだろう)それを、周回遅れでやった、というところに、日本の考えの足りなさがあった。
今、「集団的自衛権」を支持する人たちは、「軍隊持っているのあたりまえだ」とか、「国境紛争で近隣諸国に対抗するには」とか、それが「普通の国」だという論をまた持ち出している。僕には、それは、明治維新で日本がたどった間違いのカムバックアゲインであるようにしか見えない。
そもそも、世界に先生なんかいない。普通というのも、おそらくない。アメリカやヨーロッパ諸国が、軍事力で世界の警察官面して実際には好き放題をしているのは、その通り。兵器を売って、ぼろもうけしているのはその通り。しかし、なんでわが日本がそんなマネしなくちゃいけないんだ?
日本は、「普通の国」なんかになる必要はない。和をもって貴しとなすことを知り、古代からおおらかなやまと心(本居宣長的な意味で)を持っていた日本にふさわしい国のあり方は、アメリカや英国などの欠点だらけの、masculineな国ではないはず。もちろん中国や韓国も先生ではない。
軍隊を持って世界中に行って迷惑かけているアメリカ、兵器を売ってアメリカや中東でいさかいの度にもうけている死の商人たちのいる国がもし「普通の国」ならば、そんな国に日本はなる必要ない。もちろん、非武装中立なんてことを言っているのではない。もっと具体的な方策があるはずだ。
国際的な兵器市場の実態をもっと明らかにすることとか、異なる宗教、異なる文化を超えた融和の仕組みをつくるとか、日本にしかできないことはたくさんある。くだらない、「普通の国」に、しかも周回遅れでなる必要なんて、全くない。そんな日本は、ダサイ。もっと構想力を持たねばならぬ。