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現代教育の問題と「仰げば尊し」
- 昨今のイジメ・体罰・教員免許更新制度・日教組・モンスターペアレントの問題を考える時、教師・生徒・家庭の相互の信頼関係や自覚矜持の不足を感じる。
- 教師の自覚と矜持が乏しい一方で、生徒は社会性や公益に対する関心や責任感が薄くなっている。
- 家庭の中の一家団欒がなく、学校任せで金銭関係で繋がっている同居人が増えている。
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仰げば尊し= http://www.youtube.com/watch?v=Qwu7QQWCHsQ http://www.youtube.com/watch?v=hff4LY8asTM 蛍の光 http://www.youtube.com/watch?v=wFtkCIQ8TGI すばらしい式歌だと思います。厳かな気持ちになります。 最近は、先生の権威を否定するようなはやり歌が多いように思います。 しかも、低学年の児童生徒が贈る言葉を言ったりしています。可愛さは有りますが、 厳かさに欠けます。 在校生の最上級生が行うべきです。上級生のオーラを十分に発揮して欲しいと思います。 卒業式は、節目の行事です。 警察学校の卒業式を見ました。 在校中に言える言葉は、「はい、分かりました。」「私が間違っていました。」だけだそうです。 自分からやめた人も、親がやめさせた人もいると聞きました。 市会館で行った入学式は、警察学校の講堂で行えるほど、多くの警察官が中途で退校するようです。 デブの学生は、すっかりスマートになり、きびきび動く姿に感動しました。 教官と別れの式が校庭で有りましたが、20歳代から、30歳前の男達が涙をボロノロ流して教官を胴上げしていました。 招かれた保護者も、涙なしには見ていられませんでした。 頑張った!選ばれた!という喜びにあふれていました。 『警察官になる!』という目的がはっきりしていたから、当然です。 義務教育の学校では、おだてて卒業させるだけで、教(鞭)育をしていないように思います。 私たちは、数学の公式を暗唱間違えただけで、往復ビンタ計4発貰いました。 今は、老人と化したかつての恩師に笑顔で会釈します。また、返されます。 部活動も、地域の学校に勝てれば良かったのです。遠くの県大会にまでは行かなかったのです。 勝てば、ご褒美に河川や堰で泳ぐことが許され・黙認されたのです。 卒業式には、何人かのむさ苦しい輩も少し涙を流しました。誰も話題にしませんでした。 当たり前の光景でした。 特に【 仰げば尊し 】 の2番目でしょうか? 身を立て名をあげ やよ励めよ 今こそ別れめ いざさらば http://duarbo.air-nifty.com/songs/2011/07/post-f0cb.html ここの いざさらば~ 多くは鳴き始めます。 中学校で、学業を終わる仲間が、2割弱は居たのです。 最後の卒業式を、力一杯歌い上げたのです。 (*^_^*) 馬鹿でもちょんでも高校に行かせる現代の風潮が間違っているのです。 義務教育が終われば、落第や留年・退学があって学校です。 上級の学校に入る前に、卒業を親子共に喜べるよう、すべきです。 入学試験は、難しくなくても、途中で5%は留年とかすべきです。 一年遅れても、学力を付けて卒業証書を与えるべきです。 と思います。 されば、「仰げば尊し」を涙で歌い上げられると思います。 昭和40年代前半には県立高校では普通に留年生がいたと承知します。 留年生は普通に学級にとけ込んでいました。中途退学した者もいたと記憶します。 なぜ、今は授業料を払い終えれば、卒業証書を与えてしまうのでしょうか? どうどうと、高らかに卒業を歌い上げましょう。 仰げば~尊し… ii(*^。^*)//~
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- key00001
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方向性には賛成ですが、その実現は、逆の方向性であるべきと思います。 即ち、「仰げば尊し わが師の恩」と歌わせる教員は、その時点で人格者とは思えません。 生徒が自発的に「卒業式では、是非『仰げば尊し』を歌わせて下さい!」と言う教員を育成すべきと思います。 教員資格の取得には、もっと人格面を優先し、かつインターン期間を設けたり、当然、更新性なども導入すべきと思います。 一方では、教育と言う重責を担うのですから、所得なども増やし、社会的地位を向上させれば、自ずと優秀な人材が集まるでしょう。 それでエリート意識を持つ様な教員は、更新試験で落とせばOKです。
お礼
ご回答を賜りまして誠にありがとうございます。 >教員資格の取得には、もっと人格面を優先し、かつインターン期間を設けたり、当然、更新性なども導入すべきと思います。 一方では、教育と言う重責を担うのですから、所得なども増やし、社会的地位を向上させれば、自ずと優秀な人材が集まるでしょう。 まさに、人生の師・学びの先達であれば、求めずとも自ずと見習い、頭を垂れ傾聴し、尊敬されるのでしょうね・・・
子供は、社会人になりましたが、 中学生の時、小学校の俺の先生は、暴力先生ばっかりだったと言います。 先生らしき先生は、一年の○○先生だけだったと言います。 作文の時も 、 ○ 空きを重視して 訂正してくれました。 親も勉強になりました。 他の先生は、時間を割いてなんて その後は、なかったようです。 回し蹴りしたとか、やられた子供の親は、知らないと思います。 やられた子供は、うずくまって 先生が、大丈夫かと言ったそうな、、、。 その先生は、中学に行ったそうです。 採点も間違いだらけの先生もいたし、親は、何とか卒業できればいいと思いました。 ほんの一部でしょうが、強く生きてこられた先生が多い中、泣いている子供の気持ちなんか、わからない先生もいると思います。 卒業式に 先生が歌わないとか、考えられないですね。 そんな先生は、先生になっては困ります。 企業では、持たないです。
お礼
ご回答を賜りまして誠にありがとうございます。 >ほんの一部でしょうが、強く生きてこられた先生が多い中、泣いている子供の気持ちなんか、わからない先生もいると思います。 卒業式に 先生が歌わないとか、考えられないですね。 そんな先生は、先生になっては困ります。 そうですね・・・受け止め方や教え方も変化しており、教師・生徒・父兄の子供の教育や人格形成についての価値観や関わり方も異なり、しかも個人差・個別ケースの面もあり画一的な論じ方は出来ず難しいですね。 個人的には、見識と経験と愛情が有れば、暴力暴言を廃しても、人格形成の途上にある生徒に率先垂範、指導が出来ると思うのだが・・・ それが出来ない教師に資質と職業意識の問題が有り、どうしても手に余る問題児が居れば、その生徒に限定したカウンセリング・指導を学校上げて対応するのが本来の教育ではないのでしょうか・・・ 古臭く、精神論と指摘・嘲笑されるかもしれませんが 「地震雷火事親父に加え、何も悪い事をしてなくても教師警官は怖い(威厳や尊敬の意味で)と言う印象でしたが、今では・・・」
- tengenseki
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問題意識は判る気もしますが、3か所のご質問のどれに対しても 意味がある程度の断定的な回答はまず無理でしょう。 一世代前の頃はまだ「仰げば貴し」が歌われていたけれど、バブル と共に消えていった感じです。その頃から日本は大きく変わりました。 ひたすら登りつめてきた好景気が一挙に不景気になり、就職難から ニート生活への不安、グローバル市場主義に翻弄され経済面の 構造改革で格差拡大、弱肉強食の世相、年金制度への不信、 近隣諸国との問題、インターネット等によるあらゆる情報の奔流。 これでは一世代前と価値観も変わり、多様化ともなります。 まず、先生の側も生徒の方も、「師の恩は貴い」という表現に少な からず抵抗感を持つでしょう。先生の多数派が、いわゆるサラリーマン 教師である事は一世代以前と変わらないが、現代はそれを互いに 認識せざるを得ないゆえ、単に仕事を忠実にした事が恩とか貴いは 無いだろうです。 昔は、先生は尊敬すべきものでした。今の価値観から見ると、とんで もない先生も少なからずいたはずです。何も知らなかったから虚心 坦懐に「仰げば貴し」を歌えました。情報欠乏の昔には戻れません から「仰げば貴し」とはいきませんが、先生と生徒の間により一層の 信頼関係が望ましいのは当然です。
お礼
ご回答を賜りまして誠にありがとうございます。 >問題意識は判る気もしますが、3か所のご質問のどれに対しても 意味がある程度の断定的な回答はまず無理でしょう。 昔は、先生は尊敬すべきものでした。今の価値観から見ると、とんでもない先生も少なからずいたはずです。何も知らなかったから虚心坦懐に「仰げば貴し」を歌えました。情報欠乏の昔には戻れませんから「仰げば貴し」とはいきませんが、先生と生徒の間により一層の信頼関係が望ましいのは当然です。 そうですね・・・、お教えの点に納得理解はしますが、何処かに寂しい世情・心根と嘆く私が居ります。 戻れない、どうしようもない、ある種の情報化社会&唯物観が極端に高まる中で付随する必然性かも?
お礼
ご回答を賜りまして誠にありがとうございます。 >卒業式には、何人かのむさ苦しい輩も少し涙を流しました。誰も話題にしませんでした。 当たり前の光景でした。 特に【 仰げば尊し 】 の2番目でしょうか? 身を立て名をあげ やよ励めよ 今こそ別れめ いざさらば http://duarbo.air-nifty.com/songs/2011/07/post-f0cb.html ここの いざさらば~ 多くは鳴き始めます。 中学校で、学業を終わる仲間が、2割弱は居たのです。 最後の卒業式を、力一杯歌い上げたのです。 (*^_^*) 馬鹿でもちょんでも高校に行かせる現代の風潮が間違っているのです。 義務教育が終われば、落第や留年・退学があって学校です。 そうですね、私達、団塊の世代では仰るような情景・心境の体験が有ります。 すべきまで断言はできませんが、不変の価値観や学ぶことの大切さ、学べる喜び、学びの活かし方を教え身に付けさせるのが、真の師であり、教育・指導・お手本だと思います。