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ついつい頭をよぎること

温暖化が進み、こどもや孫たちが将来苦労するのが段々リアルな話として認識できるようになってきました。 私がいなくなってから、様々な新しい病気や環境と闘って生きなければいけないのであれば、こどもも孫もいらないと思ってしまいます。 こんなことを考えて、今の世の中結婚や出産が意味ないような気がしてしまいます。 他にもいろいろと考えても仕方ないんじゃないかってことが頭をぐるぐると…。 環境問題や省エネが叫ばれる中、私には無駄の極地と思われるカーレースはなくならないし、大量のエネルギーを使う長距離レースが存続する意味が分からない。 売れない品物を作り、食べきれない量を作り…エコバッグだって、エコバッグ商戦で売れ残りの山。 私自身も危機感を感じつつ、その一端を担っています。 自分自身にも世の中にも矛盾だらけで何が何だかわからなくなってきます。 皆さんはこんな考えても仕方ないようなことを考えることありますか?

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  • axuaxua
  • ベストアンサー率36% (82/223)
回答No.1

自分自身でさえ矛盾しているのだから世の中が矛盾だらけなのは当然です。 哲学者だって結局はどうでもいい事を考える人間のことをいいます。考えても仕方ない事を考えるのが人間です。 "死ぬことが決定されているのに生きる"これが最大の矛盾だと私は思います。 まさにどうでもいい、考えても仕方が無い事ですね

kon177
質問者

お礼

お礼が遅くなりました。 確かに自分自身にも矛盾はたくさんありますね。 矛盾があって当然…つい考えてしまう自分に嫌気がさしていたらキリがないですね。 ありがとうございました。

その他の回答 (2)

回答No.3

世の中矛盾だらけが当然なのでは?  偉大なるフランスのルネ・デカルトも世の中を否定し続けて”コギト・エル・ゴスム”(英訳で I think so I am. , 和訳で 我思う故に我あり!)に到達したのだと思います。 最初は小さな努力でも,皆に派生して大きな運動になることはフランス革命(1989年)を見ても明らかです。あきらめないで環境問題の解決に努力しましょう。以上!

kon177
質問者

お礼

お礼が遅くなってすみません。 確かに考えられるのも生きているから、私が存在しているから、ですよね。 小さなことからコツコツと。考えてしまうことに悩むヒマはなさそうです。 ありがとうございました。

回答No.2

回答にはなりませんが,全く同感です。国や地方自治体は環境を叫ぶ一方で車が便利になるように新道を作っています。私は自転車専用道を作り"全国に先駆けて環境問題に取り組んでいる"と宣伝した方が良いとメールで県と市に訴えたが無視されてます。 自動車が便利な社会を作り,環境の為にマイカーを自粛しようと言っても誰が不便な自転車に乗り換えるのか? 疑問符ばかりの政治(自民党は大幅な公共事業を行うと言っている)が過半数を得ているのが現状です。 話は変わりますが我家,でも"DV"(デモクラシック・バイオレンス)がまかり通っています。私がいくら理論を展開して訴えても妻が"NO"と言えば娘は必ず妻の意見に従います。つまり,3人家族の我家では3分の2の意見として妻の言うことが正論と成ってしまうのです。正に"民主主義における数の暴力"がまかり通っています。 小さな家庭の中でもこうですから,国や地方自治自治体においては期待などできるはずがありません。 民主党の様に"コンクリートから人へ"と嘘をついて政権をとっても話になりません。この矛盾がどうしても解決できないのが現代の民主主義の欠点だと思います。 絶対君主の封建時代の方が"良い君主"の場合は国民にとってよりよい生活が送れるだろうとおもいます。 "数の暴力"には反対だ! 絶対に訴えてやる。 

kon177
質問者

お礼

環境問題についての取り組みは本当に矛盾を感じます。 エコって何?と考えて夜更かしするくらいなら、早寝早起き…いやいっそ早寝遅起きの方が光熱費が…と私はそのレベルですが。 お礼が遅くなってすみません。貴重なご意見、ありがとうございました。

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