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体罰指導者は犬好きか?
いわゆる体罰する指導者は、理屈をこねて自分のやっていることを正当化しても、結局は「ムチで叩いてわからせる」わけですが、こうゆうタイプは相手を犬と見る、いわゆる「犬好き」なんでしょうか?もちろん犬好きのドッグトレーナーが犬を叩いて調教するとは思いませんが。 猫好きなら、猫を叩いても全く躾にならないことは知っているので、「勝つための指導」を求められているとしても、そうゆう体罰指導はしないと思われるのですが。もちろん猫好きでも鬱憤ばらしで体罰を与えることは考えられますが、それは例外という事でおねがいします。
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フランスには『人間の子供は犬に劣る』なんて諺があるようです。下手に知恵がある分、始末が悪い…みたいな意味だったと思う。 大人への反発や自己中心的な個性の追求に魅力を感じ、自分が周りの人間に支えられ、生かされていることを経験として知らない者には言葉による説得は難しいく、時間も限られている場合、「躾」として「とにかくダメなものはダメ」と単純に怒りの意思を示すことでやってはいけないことだとわからせる。 痛みや苦悩や死に恐怖し、それらが人の人生を大きく変える力を持つ事実から痛みを与えることによる「想い」の伝達は有りだと思う。命や人生を弄ぶ人間には有効かも。人間は「死」があるからこその「生」を享受し、「痛み」があるからこその「癒し」に安らげる。五感の全てが人間を生かしているし、生かす力となる複雑な生き物。憎むゆえに愛し、孤独ゆえに寄り添う生き物。逆もまた然り。 問題は痛みを支配と服従のための力として武器として振るうこと。ただ、人間は弱い…諸刃の剣を扱うに足る人間はそうはいないと思う。現代の学校という場が「単なる通過点」にすぎないならばそこには「会話」しかいらないのかもしれない。 なんか質問と関係ない内容になっちゃったかな(汗)
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- chocolatusagi
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本当に犬が好きな人は 犬を犬として見ないです。 人間と同じように扱いますよ。
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回答ありがとうございます。例の「体罰柔道指導者」なんて、猫から嫌がられるような、犬好きな雰囲気プンプンです。「犬を大事にする」と「犬好き」は別で、私の祖父も犬好きで、犬は飼うけど「言う事を聞かないから」と、棒で殴ったりしました。
動物の好き嫌いとは関係ないかと思います。 実際、高校の頃の教師は、典型的な者でしたが、猫を飼っていました。 ただ、体罰。そんなに悪いか?。とも思います。 学校は閉鎖空間。子供に対し教師は大人。 たしかにそうなんですが、社会に出たら理不尽なことだらけなわけで。 自分たちの頃に比べたら、全然マシじゃない。と思ってしまいます。 逆に、子供がヤワになってないか?と。 解決する方法も探さず、死を選ぶことは、自分では考えられないし。 自分なら、何が何でも生き残る手段を探しますね。
お礼
回答ありがとうございます。ウチも猫を飼っていますが、猫好きは私だけで「犬好きだけど猫が家にいる」って状況は、ままあります。猫は「餌だけもらってあとは知らんぷり」って平気でやりますから。 体罰がOKかどうか?先日新聞でもエラい人が「体罰無くしたら良くない」的な発言していましたが、そこへ乱入して「これが体罰だ!」と言って当人をいきなり殴ったら「そう、それだよそれ」って言うかどうかですね。少なくとも私は「体罰される側」には、まわりたくないですね。
お礼
回答ありがとうございます。 結局は指導者が「北風と太陽での太陽」になれば良いのでしょうが、そうゆう環境に、いつまでたってもならないのが根本の原因なんですかねぇ?