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論文において、自らの記憶の扱い

大学でよく論文を書くことが多いのですが 論文について疑問があるので質問させていただきます。 論文やレポートには必ず最後に、参考文献として引用もとを記します。 ではどこからが引用なのでしょうか。 分からない項目を調べて、見つけた項目を踏まえて書けば当然引用だと思います。 では自らの記憶はどこからが引用なのでしょうか。 あるテーマについての自分の考えが、実はテレビや新聞を流し見している中で 無意識に手に入れたものなのかもしれませんよね。 どうか皆さんのご意見をお聞かせください。

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noname#175361
noname#175361
回答No.4

お答えする前に、誤解を指摘させてください。引用は、証拠資料を示すためのものです。その論文において、証拠不要な箇所は、引用しないでよろしいのです。また証拠なしで、自分の意見だけ書けば、当然、減点になります。だから論文執筆において、誰の記憶かと考えることは、あまりありません。しかし次の問題意識は面白いものですね。 >では自らの記憶はどこからが引用なのでしょうか。あるテーマについての自分の考えが、実はテレビや新聞を流し見している中で無意識に手に入れたものなのかもしれませんよね。 これはアルチュセールがラカンの心理学を応用して、書いていますね。自分が全く意識していなくても、周囲の影響を無意識に受けるのだ、と。例えば、当人がネオリベラリストではないし、それに興味がなかったのだとしても、彼が置かれている環境がネオリベラリズムであれば、その影響を受けざるを得ないのです。間接的にその影響が蓄積されている可能性があるからです。 私の場合、論文という大切なものが無意識に左右されるのが癪なので、自分の文章を読み返しては、自分の意見ではないことを書いてしまわないように気をつけています。しかし日記の中においては、ある程度の影響が如実に表れています。日記の方があまり意識しないで、ぱっぱと書くものなので。

N-kami
質問者

お礼

>お答えする前に、誤解を指摘させてください。引用は~ ご指摘ありがとうございます。 悩んでいたことがようやくわかりました。 アルチュセールですか。 初耳ですが、私の不安要素はまさにそれです。 おかげさまですっきりしました。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (3)

noname#183245
noname#183245
回答No.3

とりあえず、その時に使った資料を書けばいいんですよ。 大学の論文なら、そんな深堀されないでしょう。

N-kami
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですよね。 すこし安心しました。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.2

情報があふれていて、どこまでが自分の考えか。 情報(記憶)の中から、自分で意識的に選択をして その結果が良くも悪くも、自分で引き受けることができる。 誰かや何かの責任ではなく、自分が選んだ結果があるんだと結果から逃げない。 その決意で選ぶ選択は、どの情報から考えが及んでいたとしても 自己の意思なのではないでしょうか。 たとえ論文の評価が悪くても、それを認めることができ もっと良いものを書けるように目指していくことができれば 自分の意思でやってあるのだと思います。 何事も良い結果や順調な時は、問題にも上がらないですが 良くない結果が出た時にも、自らをかえりみることができる覚悟が 意思を形作ると思います。

N-kami
質問者

お礼

論文の評価は問題ないんです。 しかし書いていてふと不安に駆られることがあるだけです。 回答ありがとうございました。

回答No.1

参考文献に書く必要もないし書きようがない。 その代わり他人は検証のしようがないから信憑性の証明は本人がしなければならない。 >あるテーマについての自分の考えが、実はテレビや新聞を流し見している中で >無意識に手に入れたものなのかもしれませんよね。 人間の思想が本能として備わっている、或いはランダムに発生していると思っているのでしょうか?

N-kami
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございます。 この説明が的確化は分かりませんが 自らの意思がどこにあるのかが分からなくなり 不安になるのです。 もしかしたら誰かに意図的に刷り込まれた、または全体の意思に流されているだけではないかと。