- ベストアンサー
政治的判断能力は体質?
世の中、どうしても才能が物をいう仕事というのがあります。 私の身の回りの事になってしまうんですが、前回民主党に投票していながらまったく成長していない人がいるんです。 その時々で思いつきで応援する政党を変えています。しかも些細な理由で大局を見ていない。 その人達はいい歳ですし、良い大学を出ていて、良い仕事にも就いています。 しかし、政治的判断能力はまるでない。 もしかすると政治的判断能力というのは体質で、これは後からどうこうできるようなものではないということではないでしょうか? だとすると、民主主義で多数決を取るシステムというのは初めから無理があるのかもしれません
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
> 政治的判断能力はまるでない。 > もしかすると政治的判断能力というのは体質で、これは後からどうこうできるようなものではないということではないでしょうか? 単純に、政治的な話に興味・関心がないだけでしょう。 例えば私は全く興味がないので、AKBの何人かを連れてきて同じ服装・同じ髪型にしてシャッフルすると、もう誰が誰やら見分けがつきません。AKBメンバーの全然違う人の写真を2枚並べて「これ同じ人だよ」といわれれば普通に信じます。 それと同じように、自民党も民主党もみんなも維新も未来も社民も大地も国民新も共産も同じように見えるんでしょう。なので、応援する党を、といわれると、ワイドショーレベル以下の些細な点でしか違いを見出せず、そうなっているのでしょうね。 後からどうこうできるかどうか、という点ですが、政治に興味がもてるようになればどうにかなるでしょう。 > 民主主義で多数決を取るシステムというのは初めから無理があるのかもしれません 「みんなの意見」は案外正しい 著・ジェームズ・スロウィッキー 等を見ると、意見の多様性を認めた上での民主主義は、他の制度よりは望ましい結果を出しやすいと指摘されています。 もっとも、現在のようにマスコミによる意見の集約・空気の人為的な作成があるとその限りではありません。
その他の回答 (2)
投票は、個人の自由です。おしつけはできません。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
"もしかすると政治的判断能力というのは体質で、これは後からどうこう できるようなものではないということではないでしょうか?" ↑ いくら何でも、先天的ということは無いと思います。 イメージ、それもマスコミが造り出したイメージを もとに投票行動をとっているのではないでしょうか。 ”民主主義で多数決を取るシステムというのは初めから無理があるのかもしれません ” ↑ 私もそう思っています。 選挙人は政治や経済には素人です。 しかも、ろくな情報を持っていません。 候補者達の真の思想や能力など、どうやって 判別できるのでしょうか。 イメージで投票する他無いのです。 じゃあ、政党で選ぶ? かつて、文化人とか識者と称する人達は 社会主義を賞賛していました。 ああいう人達だって間違えるのです。 国民一般に、適切な投票行動を期待する方が 無理なのです。 選挙権というのは、民意を国政に反映させる 制度だと考えるからおかしくなるのです。 あれは、権力者が国民をイジメにくくする ための武器です。 民主制は万能ではありません。 究極の政治制度でもありません。 数多くあるイデオロギーの一つに過ぎません。 民主制には、こういった限界があることを 認識すべきだと思います。
補足
いやイメージで投票するしか無いって決めつけるのもおかしいと思いますけど