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大学のことで悩んでいます
長文になってしまいます。 わたしは私立大学の文学部に通う一年生です。今の大学には、高校のときの国語の先生に憧れて教員を目指して入りました。進路を決める時から、本当にこれが自分のやりたいことなのか、本当にこれでいいのかと迷ったことはありましたが、その時は受験勉強に一生懸命で、とにかく大学に合格したい気持ちでした。 無事大学には合格し、通い始めた5月ごろから、大学に行きたくなくなりました。友達ができず、学習意欲もわかなくなってしまいました。高校に戻りたいと何度も何度も思いました。 これはただの甘えだと自分に言い聞かせてしばらく頑張りましたが、どうしても行きたくなくて、親に相談しました。すると親は泣きながら、あんたが大学辞めたら私の立場がない。それなら私は自殺する。と言って大学の合格通知書をびりびりに破いて捨てました。そのあと親戚にも色々話をされ、とにかく辞めるなと言われたので、なんとなく通っていましたが、結局前期は一単位もとれませんでした。 うちは母子家庭なので、大学に通えるだけ本当に幸せなのはよくわかります。それに、受験をするときに応援してくれた友達や先生のことを考えると、このままじゃいけないと思って、夏休みにサークルを探してみたり、大学の学修支援センターに通ったりしました。後期は頑張ろうと思いました。 ですが情けないことにやはり意欲は戻らず、今は学校には行っていません。学生相談室に週一回通っている形です。転部という選択肢もあると思って、それに向けた勉強は少ししていますが、このままでは時間もお金ももったいない気がします。 自分の好きなスポーツに方向転換することも考えて、明日はスポーツ関係の専門学校に見学に行きます。 先ほども述べたように、親は大学を辞めることには反対していますが自分でもこの先どうするべきなのかわからなくなってしまっています。バイトでは塾講師をしており、そこでの仕事はとても充実しています。 これから先、どんな道を進むべきか、最終的には自分で決めることになりますが、多くの方のご意見、この文を読んで思ったことなど聞かせていただけると嬉しいです。 親や友達とは違った意見を聞きたいと思い、質問させていただきました。自分勝手な話ばかりで考えも甘いので、厳しいご意見もあるかと思いますが、お聞かせいただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。
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お話を聞く限り、大学生活はもう詰んでいると思います。 だらだら続けるより、スパッと辞める方を勧めます。 ところで、純粋な興味から聞くのですが、 文学部の授業って、そんなにつまらないのですか?
- TANUHACHI
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こんにちは。大学教育と民間企業に勤務する二股草鞋の者です。大学では専門領域を扱うと同時に「よろず悩み相談室のおっさん」的な立場にあることから少しばかりお話ししてもよろしいでしょうか。 質問者様が抱えている問題は大別して2つに分かれます。 (1)「目的」の位置付け (2)その目的を達することができているか、です。 (1)の問題をもう少し掘り下げていきますと、どの様な形が見えてくるでしょう。質問者様が大学進学を志したのは「どの様な目的を持って進学したか」に置き換わります。 >高校のときの国語の先生に憧れて教員を目指して入りました ここからは朧気ながらも、高校時代には教師を志望していたことがわかります。そして「教職資格」を取得するならば大学で教職課程を履修し所定の単位を取得せねばならない。これは「資格取得の要件」です。逆に要件を満たさねば目的に近づくことすら適わないことになります。 質問者様が高校時代に「自らの将来に対する考え」をある程度お持ちになっていたことは確かですが、その目的を達成する手段を手に入れただけで満足してしまったことが、問題の核心部分であると考えられませんか。 希望し基準に見合うだけの学力があれば、希望者全員がほぼ大学へ進学できるとの現状に即して考えるなら、進学することとそこで何を手に入れるかで何れの問題がクリアされたといえるでしょう。答は前者です。但し、この両者の間には雲泥ほどの違いもあることは確かです。無目的に4年間を過ごすことと目的意識をはっきりとさせて過ごすことでは本質的な相違があります。無目的であっても「自分は何をしているのだろうか」と何処かで立ち止まって考えるならば、まだ救い様もあります。現状に自らが疑問を持つことで「やり直しできる可能性」が幾何かはあるからです。逆に「何の疑問も感じない」ならば、それは救い様がないともいえます。質問者様がこの2つの何れかであるかといえば前者であり、「燃え尽き症候群」いわゆる「バーン・アウト状態」にあるといえます。 ここでもう一つの問題が頭を擡げてきます。「誰のためにするのか」との問題です。質問者様は「自らの将来」に関して、御母堂様と話をしたことがありましたか、それも高校時代に。もしあったとしても、その時に質問者様と御母堂様の間でギャップはありませんでしたか?。要は「誰のために大学に行くのか」の問題を巡り、親子間での違いがあったかとの問題です。 文面から拝察したところでは、御母堂様の意識が「私のため、私の世間体のため」として、質問者様の将来と自身の世間体を混同されてた感触を受けました。となれば御母堂様にも根本的な過ちがあるともいえます。少なくとも御母堂様と質問者様の人格は別です。どうしても日本人の感覚からは「親子の一体感」を無意識に求める余り、子供の自立と自らの子離れに違和感を持ってしまうこともありがちです。 (2)の問題ですが、第三者の目から見たところでは質問者様は未だその「目的」とやらの入り口にすら立っておらず、そのことにも気付いていない。「目標とする大学に入ったこと」はそこで完結しています、なぜならば「受験に合格するために懸命に準備したから」です。とはいえ「当初の目的」にアプローチしていくのはこれからです。4年間の間に「自分にとって教職が不向き」であると判断したならば、その時点で方向転換をしても不自然ではありません。 厳しい言い方になりますが、質問者様は御母堂様や世間に対して「イイ子」を演じてきたから、自らが考える時間を持たなかった、或いは意識的に遠ざけてきたといえましょう。そのことに薄々気が付いたからアルバイトで塾の講師として教育に携わる真似事を通じて、このことをどうしようかと逡巡しているのではないかなと考えました。 自らの学費を御母堂様が工面してくれているとの負い目を感じているならば、次年度からはアルバイト同時に奨学金を申請してみるなど、自分のことには自分で責任を持つ形で再出発してみては如何ですか?。そうした話をするには、質問者様と御母堂だけでなく親族や第三者に立ち会っていただくことも一つの便法です。理詰めで話をするならば、決して善からぬ結論は出ないはずです。 大したアドバイスにもなれなかったと思いますが、のほほんと無目的に4年間を過ごす学生よりは遙かにマシな考えをお持ちの様子でしたので、お話しさせていただいた次第です。 老婆心ながら、高校までの学習と大学や社会での勉強は明らかに異質なものであることを書き添えさせていただきます。高校までは「答」が予定調和的にある世界であり、大学も社会も「答」はこれから主体的に探し求める世界であるとお考え下さい。
お礼
ありがとうございます。 おっしゃる通り、目的や目標を見失い、大学に合格したことで満足してしまったこと、今まで自分を客観的に見直したり、親と将来について話あったこともありませんでした。 塾の講師をしていることで、そこでは一生懸命に頑張っているので、それだけが救い、みたいになってしまっています。夢中になれるアルバイトを見つけられたことは幸せですが、大学生活、それだけで過ごすわけにはいきません。 もう一度自分が本当にしたいことはなんなのか、よく考えたいと思います。
こんにちは。 >その時は受験勉強に一生懸命で、とにかく大学に合格したい気持ちでした。 質問者様にとって、「目的が達成された」のではないですか? 本来質問者様には「教師になりたい」という目標があったと思いますが、それがいつの間にか「大学に合格したい」が目標になってしまい、それが達成されてしまって質問者様は満足してしまい、そこへNo.2様のおっしゃる「五月病」が追い討ちをかけたのでしょうね。 しかも「バイトで塾講師」をされる事で、高校の頃の夢である「教える」欲求も満たされています。 なので、質問者様にとって大学は「別になくてもいい」様に感じるのではないですか? 専門学校をお考えのご様子。 けれど、お母様が私立の大学に入学される為にどれだけの金額を調達して下さったのかを考えた事がおありですか? 専門学校に入学するとしたら、入学金・授業料等、どなたがお支払いされるのですか? 「大学に払うお金を、そのまま専門学校に払ってくれればいいじゃない」とお思いでしょうか? 専門学校なら辞めずに最後まで勉強を頑張れるという、根拠はおありなのでしょうか? 社会に出た時、同じ最終学歴でも「高卒」と「大学一年だけ通って中退」では、企業の印象は違うと思います。 今のままでは、「バイトの塾講師」が関の山、となりかねません。 辞めれば辞めたで「やっぱりあの時、無理してでも勉強しておけばよかった」となると思いますよ。 以上が私の意見です。 後は、質問者様がご自分の頭でお考えになる事です。
お礼
ありがとうございます。 すべておっしゃる通りです。そもそも、大学に合格すること、が目標になってしまったところで、間違えていたのかもしれません。 専門学校に行ったからといって、二年間しっかり通えるという保証もありません。だからこそ迷っています。 未来の自分が後悔しない道を進めるよう、よく考えます。
- odag1041
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程度の差こそあれど、ほどんどの大学生も入学からしばらくして五月病にはかかるんじゃないですかね。私も大学入学時はそんな時期がありました。 でも、何学部だから将来これをやらなきゃならないってことはないですよ。薬学部でて営業してる人もいれば、理工学部出てジャーナリストになる人もいます。 極端に言えば、大学がつまらなかったら授業はそこそこに、他の時間で四年間という時間を有意義に過ごせばいいのです。旅したりバイトしたり留学したり。 それでも気分がのらないのであれば、休学して本格的にカウンセリングを受けてもいいかもですね。大学は基本的に8年くらいは在籍できるはずです。
お礼
ありがとうございます。 四年間、授業がすべてではないと感じました。休学も考えてみようと思います。
- torevo56
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はじめまして。goo質1美男子ピエリック白滝です。 大学いいですね。私は17の時、親父がしんだのをいいことに、大学受験をサボりいま昼は汚い工事現場のガードマンと夜勤で中国人と弁当を作っています。昼の会社は聞いたこともないような大学卒を幹部にして何もできない人が高い給料をもらっています。 あのとき、お金ないのを言い訳にせず授業料がいらない防衛大学校とか気象大学とか航空保安大学で公務員になるべきだったとおもいます。 39さんは、学費を親御さんが負担されていて非常に有利な状態です。 しかも塾講師ができる能力があります。 もし大学で学士号をとれば25歳くらいまでは非常にいいことがあるかもしれません。 私ピエリックのように無能な凡人で30をすぎ、しかも零細企業の社員と大手の派遣を掛け持ちしてやっと自分が食べるのが精一杯、顔が良くても飲み会で仕事や給料をくちにしようものならその瞬間から汚物を見るような目で見られるのです。 最後にピエリック白滝は、まず学士号をとるためにでも卒業を強くすすめます。
お礼
ありがとうございます。 やはり社会に出たら高卒と大卒の差は大きいのですね。 学費を出してもらっていることに感謝して、休学や留年をしてでも、卒業ができるか、考えてみようと思います。
お礼
回答ありがとう」ございます。 授業がつまらないかどうかは人それぞれだと思いますし、大学によっても異なりますが、私は楽しいと感じることはできませんでした。