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遺跡はどうして土の下に埋まっているのですか
遺跡はたいがい土の下に埋まっていますが、なぜでしょうか。 自然現象で土に埋まったのか、人為的に埋められたのでしょうか。 教えてください。お願いします。
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両方あります。 アレクサンドロス大王は征服したペルセポリスを略奪して焼きました。 以前の支配者の威光の象徴を破壊するためです。 ですが遺跡自体は今も地表にあり、埋まっていません。 家康公も秀吉の大坂城を埋め、その上に大阪城を建築していますが、これは人為的に埋めています。 エジプトなどでは、文明の発展時期によって、ナイルの流れが変わり、砂漠の砂の流れが変わって、古王国時代の大半の建築物が砂に埋まりました。 これは遺跡が戦争や遷都などで都市としては滅んだ後に、自然の力で埋められたものです。 ポンペイの遺跡では、火山の噴火によって都市が焼かれ、火山灰が大量に積もって埋まりました。 つまり遺跡が埋まるのは、 1 人為的に破壊され人為的に埋められる 2 人為的に破壊され自然に埋まる 3 自然に破壊され自然に埋まる という3つの要因があることになります。
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- onbase koubou(@onbase)
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生活地が放置されると草が生え、火山灰や他の場所から飛ばされてきた土が覆いかぶさっていきます。 そうした土が次第に増え、その重さで転圧されて沈んいき、「現在の地表面より下に」埋まっているような状態になるのです。 またすでに回答があるように大規模火山の噴火や土砂崩れ、洪水などで一気に埋まることもありますし、その場所を放棄した時に人為的に埋めることもあります。
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ご回答ありがとうございます。 自然現象と、人為的なもの両方が考えられるのですね。 昔は今より、自然に囲まれていたのだし、そういうことは十分に考えられますね。
- gisahann
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参考ながら・・・・ 遺跡という言葉よりも遺構と言った方が良いのかもしれませんが、土の底にあるものには、 その痕跡だけであって、遺物のない場合もあります。 すなわち、人間の生活の跡が見られ、時代とともに使われなくなった時、そこに 自然の土砂が溜り込んで覆っている場合や、あるいは反対に、その後人為的に土地の改変がなされ、 新しい目的の土中に混じっている場合などです。 もっとも、昔の川の流れの中に溜った遺物は、最初からそこにあったのではありませんから、 慎重な調査・解析が望まれます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自然現象と人為によるもの。やはり二つの線が考えられるのですね。 海や川の底から現れるものについては、また違った方向から見る必要があるのですね。(川は、付け替えることができますが・・) 戦後、大阪では運河に大量の戦災がれきが廃棄され、埋め立てたそうです。
- carrotcake
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自然現象で土に埋まったものだけが、後世に残るのです。 都市や集落などは、今日の遺跡の数よりはるかに多く存在したのですが、大半は散逸してしまいました。 それで大抵土に埋まっているように感じるのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 埋まったものが残ることができる。なるほど、そのような考えもできるのですね。
- 1582
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99パーセントくらいは自然現象 他に埋められたものもあります
お礼
ご回答ありがとうございます。 大切なものだったとしても、土に埋まればその場所さえ伝えられなくなるのですね。 人為的なものなら、それは秘密にされるのでしょうね。 赤城山に埋まるといわれる徳川の財宝は、また意味が違うでしょうが・・。
- mekuriya
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四国三郎物語 吉野川歴史紀行 吉野川の洪水の歴史 昭和以前 http://www.skr.mlit.go.jp/tokushima/river/profile/rekishi/kikou/kouzui/kouzui1.htm 自然現象です。洪水、津波、枯葉、倒木、黄砂、火山灰、死骸、土砂崩れ、流木など。 人から捨てられた都市は何百年もの間にどんどん埋もれていくのです。
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ご回答ありがとうございます。 なるほど。大阪の町などは、まだ歴史も浅いですが、何千年後にまた海に戻るとすれば、そこはまた遺構になるのですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 歴史上の事実をふまえて、大変よく理解できました。 でも、不思議なのは、「発見」となることです。昔、そんなに大切なものだったなら、口伝えであっても、情報を残すと思うのですが。