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今の自分はどこから続いていますか?
昨日の自分と今日の自分は同一です。連続的です。 昨日考えたこと、感じたことを思い出せます。 しかし、更に過去に遡ると、私の場合は中学に入る前あたりから思い出せません。 当時持っていた感性が既にないみたいで、無味乾燥な記憶しか出てきません。 つまり現在(23歳)の自分は中学生あたりに生まれて、それよりも以前は別の自分が 存在しているような感じ、うまく言えないですが、一身にして二生を経るような、 小学生から中学生になるにあたって人が変わってしまうような、そんな感じなのですが、 皆さんこの感じ分かりますか? そしてこの感じってなんなんでしょうか? 回答よろしくお願いします。
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- 雪中庵(@psytex)
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記憶には、五感の相関がしっかりした具体的なイメージを 伴うもの以外に、それぞれの感覚の情報処理のパターンと して潜在化したものもあります。 そして、光や音といった先行感覚(情報性の高い)による 新たな刺激が、五感の相関した「具体的なイメージ」として 空間的距離をおいた“向こう”の存在として感じられるのは、 そうして潜在化した記憶の蓄積によるのです。 たとえ具体的イメージは希薄化しても、記憶が断絶している 訳ではありません。 さらに言えば、そうした「潜在的な記憶・痕跡」という意味 では、宇宙開闢以来137億年の物質進化、原始海水中での 化学進化、そこに発生した増殖する反応における生物進化の 痕跡は、我々の奥の「量子>クォーク>素粒子>原子>分子 >細胞>個体(意識=脳)」といった階層現象性の中に潜んで いると言えます。 そうした階層現象性を遡るほどに、個体の静止、分子運動、 素粒子の回転といった具合にどんどん高速で運動しており、 超弦理論における量子定常波において光速に還元される。 相対性理論において、光速で運動するものは時間が過ぎず、 時間とは、階層現象の表面性に付随して流れていると言え、 根源においては宇宙開闢のままであり、我々は内に137億 年の進化を内包しているのです。
- mesenfants
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「一身にして二生」の感じにうまく迫る自信はありませんが。 「昨夜寝たときの自分」と「今朝起きたときの自分」が同一であるのは不思議なことです。 昨夜ねたとき着ていたもの、寝たときの場所(部屋)などが、まったく別の状態で目が覚めたら、 たぶん「同一」ということそれ自体が問題となるのではないでしょうか。 振り返ってみると、今朝起きたとき、「枕」「目覚まし」「掛け布団」「部屋」などが昨日と同じかどうか、 「無意識に」「瞬時に」確かめていたはずです。 そこに疑点があるなら、一挙に「連続性」が崩れてしまうでしょう。 「純粋に自己だけで自己が継続」するとは考えにくい。 「同一」であるための証拠がポイントなのだと思います。 「中学以前の」記憶がない(希薄)というのは、そこへつながる「証拠」がないということです。 たとえば「引っ越し」のため、友達も、通学路も、駄菓子屋も、修学旅行の思い出も、その写真も、方言も、風も空気も、木の葉の色も、「もうここにはない」ということなのだと思われます。 あるいは、 「小学生以前」の記憶はもっと希薄だという観点からすれば、 成長するにつれて、「万能感」(子供らしい空想力の根拠)がなくなり、それにと同時に、それまで存在していたものが急速に消失していくともみなせます。 あるいは、 フロイト流ですが、 「抑圧」しなければならない「事情」があるのかもしれません。 記憶がないのではなく、「思い出したくない」という状態から「思い出せない」という状態を経て、 「思い出がない」(抑圧していること自体を忘れた状態)という曲面にたっているのかもしれません。 極度の恐怖体験をすると、その記憶自体が飛ぶというような。 これはある意味で「病気」ですが、 その毒を薄めたような体験は日常的にしているはずですjから、そこに注視すれば、何か発見できるかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 記憶はあるのですが、その時の気持ちが思い出せないのです。
- yasuto07
- ベストアンサー率12% (1344/10625)
イノセントからアダルトへの変換点。
お礼
回答ありがとうございます。
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お礼
回答ありがとうございます。