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安楽死についてどのような考えですか?
交通事故で意識不明などになった消防士19歳が 実の母に頼み、実の母が実の息子を殺す。という 事件がありました。 みなさんは、安楽死や、この事件についてどう思われますか? 「死ぬ権利」は、あるのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
僕は医療とは患者の苦痛を少しでも除くためのものだと思っています。それは心身問わずに、です。なのでNo.1さんが書かれているようにただ「長く生かすために」ってのは何か違う気がします。だからといって安楽死がいいとも思いませんが。今話題のQuality of lifeではないですけど、苦痛の伴う延命ではなく、若干人生が短くなっても充実したまま死を迎えられるように医療が支えてくれたらな、と思います。なんか質問から回答がそれましたね。「死ぬ権利」はどうでしょう?もしあったとしても日本では「権利は福祉に反さないように」となってたような気がしますしこの権利を使うのは難しいのではないでしょうか?いくら本人や家族が安楽死を望んでいてもそれを実行してしまうと今度は医者に責任問題として迷惑をかけることになりそうですしね。難しいところです
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- mukudori
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心痛む事件ですね。 母親は殺人になるのか、どうかも問題ですよね。 「死ぬ権利」が、もしないとすれば、人は「生きる」んではなく「生かされている」事になりますよね。 自分はどうだろう、そう考えると難しい問題ですが、例えば最愛の人間が健常者であるときに、「私は自分の意志で生きていない、何物かに生かされているんだ」と答えたら 私は寂しいです。 その人に、「自分の意志で生きてほしい」と願うでしょう。 であれば、「生きる意志」のある人間は、「死ぬ意志」があって当然じゃないでしょうか。 意志に対し、「権利」を与えるのも当然ではないでしょうか。 事件の母親は彼に「死ぬ権利」を認めることで「生きる権利」を認めていたとは言えないでしょうか。
お礼
「死ぬ権利」を認めることで「生きる権利」を認めていた これは、なるほど、と思いました。 そうですね。母親は殺人者になるのでしょうか? そんな法律なら、私はいらないと思います。 ありがとうございました。
- yamahaseca
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その事件の事は存じませんが、とりあえず一般論として安楽死について述べたいと思います。 安楽死の前提条件として、「医学的に見て、その患者の病態が絶対今以上に改善しない場合」という事が必用だとおもいます。 ところが、その「絶対改善しない」という点が曲者でして、私自身「この患者は絶対助からないだろうなあ」と思っていた患者が奇跡的に?回復して退院する例などがごくごくまれに(本当にまれですが)あったりするものですから、結局は安楽死が許される場合はかなり限られてしまうと思います。せいぜい本当の脳死か、悪性疾患の末期の末期くらいではないでしょうか? 逆に、そのような場合の安楽死は、事前に患者本人の意思が確認できているのであれば、ひとつの選択としてありえると思います。 一方、患者本人の意思を確認できない状況下で、見通しがつかない現状に疲れ切った患者家族が安楽死を望むことについては、心情的には理解はできますが、決して賛成はいたしかねます。「日本の終末医療は、時に患者本人のためのものではなく、患者家族のためのものになる傾向がある」とは、誰が言った言葉かは失念しましたが、言いえて妙だと思います。私はやはり、医療関係者の一人として、患者にとっての最善をまず尽くすべきであると考えてしまいます。
お礼
そうですね。患者の家族が疲れ果てることはわかりますが、 患者には生きる権利があるのですから・・・ 今まで以上に回復する見込みがない。と断言しても急に変わることがあります。 それが、一番難しい問題だったりするかもしれませんね。
- huyumi
- ベストアンサー率14% (108/746)
ご質問拝見致しました。 最近私は下記の質問で「安楽死」について書かせて頂きました。 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=777122 但しあくまでも私個人の見解ですので、このような考えも あるんだなという程度に留めて下さい。
お礼
ありがとうございます。読ませていただきました。 生きる権利があるなら死ぬ権利もある。 もっともだと思いました。でも、それをどこで決めるかが難しい問題ですよね。
- yow
- ベストアンサー率23% (181/782)
北米に住んでいます。こちらでは遺言を書いておくというのは普通のことなのですが、その遺言の中でも『Living Will』というのがあります。簡単にいうと、意識不明になって、回復の見込みがなくなった場合にどうしてほしいか、ということを書き残しておくわけですが。最初に書いた遺書では、そんな場合は機械に接続せずに自然にしてほしい、と書き残しましたが、今は、もしそんなことがおきた場合は、私の家族(特に主人)の心の準備ができたときに機械を切ってくれればいい、としました。これでまた、主人に先立たれて子供達が成人したら、機械にはつながないでほしい、と書き直しますが。 機械は必要がないけれど、不治の病で苦しんでいる自分の子供に懇願されたら、、、、看病につかれてくたくたになっている精神状態であればどんな決断をくだすかわかりませんが、それでも私には安楽死にはふみきれません。ある程度の『死ぬ権利』というのはあるかもしれませんが、安楽死は殺人ですから、どんなことしても『殺す権利』はないと思います。 。。。難しいですね。。。。
お礼
北米では、遺言書というのが普通なんですね。どこかで聞いたことがありました。 日本ではそのような習慣はまったくないですねぇ・・・ でも、日本もそのような習慣をつけるのは必要なのでは?と思いました。 安楽死は、殺人・・・本当に難しい問題です。
- miki12
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私の祖母が(寝たきりで家で介護していた) 異物からの肺炎?で入院したときの話ですが 高齢なのと病状が思わしくなかったので お医者様が万が一の時はどうするか、という話を 先にしました。 1.自然に。 2.とりあえず家族がくるまで人工呼吸?でいかしておく。それでみんなで最後をみとる。 3.脳死になるまで人工呼吸器で生かす。 私と母は当然のように1番を選びました。 2番を選択したらどうなるか。 そのスイッチを目の前で切られるんです。 誰が「切っていいです」というんですか・・。 3番は論外です。 その状態が祖母の願う「生きる」ことだとは 到底思えません。カラダが朽ちていくのをまつだけ です。機械によって生きているんです。 もし、いき続けるうちに回復する見込みがあり、 回復したあとに自分の意志を伝えたり、多少なりとも コミニュケーションできるのならば別ですが 生きる屍になってまで生かされたくはないです。 また生かしたくもないです。 なのでうちは安楽死賛成派です。 (というか無駄な延命はしないで派ですね) 無駄に、無意味に機械に生かされる人生はおくりたく ありません。 私も母も同じ考えです。 そんな状態で生きていて私なら嬉しいと思いません。 生きる権利があるのだから同じように死ぬ権利も あるとおもいます。 脳波が刻まれるだけで生きているとはいいたくないです
お礼
そうですね。2の場合は家族がみとることができますが、 誰が「いいです。切ってください」というのでしょうか? 考えると、とってもいえるもんでは、ありません。 やっぱり、1が自然なのでしょう・・・私もそうすると思います。 無意味には生きたくないですよね。 充実した人生を大切に送りたいものです。
- tomohiko1128
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その立場になって考えると、いろんな考えが有ると思いますが、 僕は安楽死については、一部反対です。(一部ですが) やはり、安楽死ということが進むと、そのうちあまり人の命という大切なものに対する考え方が甘く、軽くなるように思うからです。 でも、目の前に機械の力だけで生きている最愛の人が居れば、僕は安楽死を選んでしまうかもしれません。 医学の進歩によって、人間の命を延ばす、また助けることが出きるようになりましたが、その副産物のどこまでのばすのか。意識がなく植物人間の方を生きているといえるのかという倫理的なものになります。 今の僕には安楽死という問題が身近になく、実感できないので、やっぱり反対という意見が大きいです。
お礼
体験してみるのと、考えるのとでは全然違いますよね。 医療が発達しすぎて、永遠に生きることができるようになるかもしれません。 どこまで、医療の力を借りることを許すのか。 問題になってきそうですね。
- myeyesonly
- ベストアンサー率36% (3818/10368)
こんにちは。少し違った角度から回答します。 私は「死ぬ権利」は保障されるべきだと思います。 もちろん、現在の日本では「死ぬ権利」は認められていません。 勝手に死んではいけないのであり、それを手伝う事も犯罪となります。 なぜ死ぬ権利を認めるべきかというと、「生きる権利」の裏返しが「死ぬ権利」だと思うからです。 死を大事にしない人が生を大事にできると思えません。 「死は恐い物である」という観念からか?、誰もが「死」を避け、忌み嫌っていますが、誰もが必ず一度は経験する事なのです。 人生の終末を本人がどのようにすごしたいか、どのようにありたいかという希望や意志は、人生最後の要求であるにもかかわらず、今の日本では家族や医療によっていろいろと変えられてしまいます。 そういう感覚の人達が、生きる権利がどうの・・・って言っても説得力に欠けるなってのが私の感覚です。
お礼
一番決断する権利があるのは、本人ですが やっぱり病気になっているときって、弱気になって しまうものです。もし後から、元気!になるかも? と考えるとなかなか決断するのは、難しいですよね。
- feeling
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1です。再登場。 2さんの意見を見て、思い出したことがあるのですが 祖母の主治医は 「脱管出来ずに点滴をしているのは倫理に反することなんだ。」 って最初の頃、言ってたのを思い出しました。 だからって、管をはずすことが出来るわけではないので家族は苦しみました。 いろんな、経緯があって気管内挿管したわけだから 理解ないわけではないけど「倫理に反する」って言われても、 今の医療の現状には、空虚な感じさえしてしまいました。 2さんの言うとおり今の祖母の状態は 医療ではないんです。 緩和ケアだって言います。 もどかしいです。 2さんのご回答の中の言葉で >若干人生が短くなっても充実したまま死を迎えられるように医療が支えてくれたらな、と思います。 とありますが、本当にそう感じています。 ちなみに、私の1での回答の中の >脱管して少しは長く生きられるかもしれない。 というのは、運が良い人は家に帰って過ごせるようになるかもしれない。 しかし、心臓の状態から、いつ同じような状態に陥ってもおかしくはない。 というもので、気管内挿管をしたときは延命治療というわけではなかったのです。 挿管後にカテーテルでの治療を試みて、 結果が出なかったという経緯があってのことです。 分かりにくくてすみません。
お礼
何度もありがとうございます。 充実していれば、少しの時間短くなったとしても納得いく気がします。
- feeling
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こんばんは。 考えてました。 祖母が心不全で気管内挿管をして、 脱管できなくなりました。 3ヶ月以上飲まず食わず、点滴だけで過ごしています。麻酔をして、痰がでると看護士さんにひいてもらい、2時間に一度体位を変えてもらい・・・ 血管が細くなってきているので、 点滴での栄養が体に入らなくなってきます。 衰弱して死ぬか、また、心臓が弱って死ぬかのどちらかのような感じです。 想像を絶しますよ。 この世もっと大変な人はたくさんいるけど、 あんなに苦しまなくても良いものを。 と思います。 祖母は自分の状態が分からずにいるので わかりませんが、 私がもしそういう状態になったら 安楽死させて欲しいです。 心臓発作を起こして救急車で病院へ運ばれて もうこれでは助からない。 気管内挿管すればもしかしたら脱管して少しは長く生きられるかもしれない。 気管内挿管しなければ、苦しみながら数時間後に 確実に死ぬ。 そう医師から言われました。 とにかく発作は恐ろしいもので、 苦しみ続けるなら私が楽にしてあげたいと思うほどでした。 難しいことですが、私がもしそういう状態になったら 安楽死が必要です。 そこに甘えなどの気持ちはない。とは自分で思うのです。 ところ変わればで、安楽死容認の国もありますよね。 良いのか悪いのかは分からないですが、 自分がそうなったときは、 そういう選択肢が私には必要です。 分かりにくい文章だったかもしれないですが、 (すみません。) 今の気持ちです。
お礼
すいません。お礼文最初に書いたはずなのですが・・・ お辛い話をお聞かせていただき、ありがとうございました。 私ももし自分がその立場になったと思うと、死ぬ権利が認められていなければ、すごく辛いと思います。 でも、遺族が決断するのは、なかなか困難なことだと思います。難しい問題ですね・・・
お礼
そうでうねぇ。すっごく難しい問題だと思います。 本人が望んでも医者に責任問題が課せられると 医者も人生をかけて安楽死をしなければならないでしょう・・・ 本当に難しいです、ありがとうございました。