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教育委員会について

教育委員会は何の目的でつくられたのでしょうか?現在の教育委員会はどんな実態(人数、給与、どうやってその職についたのか等)でどのような活動をしているのでしょうか?教育委員会がいじめの実態を認めなかったり、隠したりするのはなぜなのでしょうか?ご回答よろしくお願いします。

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  • fujic-1990
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回答No.1

 テレビの報道や、情報番組(教えて○○さん、みたいな)を見ての記憶で書きます。  ようです、という、言い方と、です、という言い方で、記憶に違いがあります。  以下を参考に、インターネットや事典類の記事を読み直されることを希望します。 -------  目的は、戦前の日本、そして中国で今行われているような、「教育を政治の道具にする」ことへの反省として、「教育を政治から切り離」すことです。  利害関係人の市民(教育を受ける子の"親の代表")自らが、教育を正す(正しい道に導く)、という精神で作られたようですよ。教育自治ですね。  しかし、完全に形骸化していて、いまや教育は・・・ などという組織に牛耳られている観なきにしもあらずと言った状況です。  教育委員会は、教育委員長以下、数人(都道府県、市町村などによって異なる)で形成されているようです。  ニュースや、情報番組を見たかぎりでは、市町村の教育委員は10人よりは少ないという印象です。  しかも、教育委員長はどうだったか記憶が曖昧ですが、ヒラの委員は間違いなく他に仕事を持った人で、1ヶ月に1度出て来て、数時間会議をする程度の「非常勤」です。  たしか、委員長も非常勤だったような気がするのですが・・・ 。  給料は、忘れましたが、額としては大したことがないものの、非常勤の短時間の仕事としては「いいなぁ」という印象が残っています。  誰が選ぶのかというと、橋下大阪市長が怒っている発言などから察して、選挙で選ばれる政治家ではなく、教育関係のお役人が選びお願いするのだろうと思われます。  どういう人が選ばれるかというと、他から非難がおきないような地域の名士・有力者(年齢的には子育てを終わったお祖父さんお祖母さんクラス?)で、選ぶ人にとって都合がいい人、かな。  活動実体は、「教育長以下の教育役人」が作ってきた人事案や学校整備案などを承認すること程度でしょうね。(教育長は役人)  過日、このサイトで叙勲をうけた方の息子さんが、「教育委員長」に御礼を述べる文について質問していらっしゃいました。ということは、先生方の叙勲の推薦名簿などを「承認」するのも、委員長の仕事なのでしょう。  実際に名簿を作るのは、教育長以下の教育役人だと思われます。  会見に出てきていじめの実体を否定したのは、教育委員長ではなくて、「教育長」です。事実を隠したのもそうです。  教育委員長以下は、教育長が会議に出す案を承認するなど形式的なことをするだけで、教育の実体は全然ご存じないので、会見にも出てきていません。  少なくても私は1度も「教育委員長の会見」というのを見たことがありません。  認めないとか隠すとかは、実体を知っている人にだけしか言えない話ですが、教育委員長以下の委員は、現実を知らないのですから、否定も肯定もできません。  ほかに仕事を持って、人様から「名士だ」「有力者だ」と言われるような活動をしているので、会見に出る暇も、出てきて説明できず絶句して恥をかいたり、大衆から非難を浴びようという意欲もないだろうと思われます。  くどいですが、テレビ会見には出てきませんし、新聞などでも、実際に否定も肯定もしていません。  教育長が事実を認めないのは、いじめを防げなかったことが自分の責任になって、自分への評価、成績が下がるからでしょう。単なる官僚ですから。  もちろん、本人はそんなことは言わず、「正しいことを言っているだけだ!」と主張されるものと思われます。  

left5884
質問者

お礼

気持ちが伝わる回答ありがとうございます。感謝しています。

その他の回答 (2)

  • Streseman
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回答No.3

大津の事件からある程度は認知されるようになった教育委員会ですが、まだまだ不明瞭な部分は多いとは思います 極論ですが、解説しましょう >教育委員会は何の目的でつくられたのでしょうか? 教育委員会は、GHQ統治下において創設された制度と考えて良いでしょう その目的は、教育・教育行政を中央政府で統括されると、”軍国主義になってしまいかねない”という危機感から出発したように考えてられています。事実の適否は不明ですが つまり、教育に関する意思決定を政府ではなく、中央政府から独立した教育委員会という第三機関が行うことで、中央の一極支配を防ごうとした・・・と考えてください >現在の教育委員会はどんな実態(人数、給与、どうやってその職についたのか等)でどのような活動をしているのでしょうか? これは、自治体で異なります。仔細は、wikipeidaで十分分かると思いますので、不明瞭と思われる部分だけ回答します 業務は学校教育と非学校教育で大きく異なります 基本的には、教育委員会は学校の見張り番のイメージが強いでしょうが、地域のスポーツ事業・文化事業などの統制・維持・管理も行います。 その業務範囲は、地域の博物館・歴史館の運営・管理から文化財の管理・保護・選定など様々です 一般的なイメージの教育委員会の活動はメインとも言えないこともあります 業務が広すぎて網羅できませんが、その地域の教育について首長などに助言などを行う権限もありますので、案外多忙です 暇な教育委員会の人は、いわゆる名誉職の人でしょう >教育委員会がいじめの実態を認めなかったり、隠したりするのはなぜなのでしょうか? 民間企業が不具合を隠すことと同じことです

left5884
質問者

お礼

ひとつひとつの質問に答えて頂き感謝です。wikipeida見てみます。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.2

 現行の「教育委員会」と戦後に設立された「教育委員会」とでは、その設立趣旨も設けられた法的根拠も異なります。  アジア・太平洋戦争の反省に基づき戦後改革と復興が求められる中にあって、議会でいち早く教育勅語が失効とされ、それに変わる形で新たな戦後教育が開始されていきました。中でも教育行政と地方自治の関係にも様々な改革が求められ、その一つが政治からの教育の独立であり、それを具現化したものが「教育委員会法」に立脚する「教育委員会」であり都道府県と市町村に設立された形です。  この「教育委員会法」は「教育委員」が住民による「選挙」つまり「公選制」を規定している点に特色があり、住民による教育行政への参加を通じ、新たな民主主義国家とそれを担う国民の育成を期して日本の再出発を目標にしているとの部分が現在でも高く評価されています(戦後体制を否定する方々は別ですが)。  これに対し1956年、国側は「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」を国会で可決し、教育行政に関して自治体の首長による教育委員の任命制へとスタンスを変えていきます。時あたかも「逆コース」と呼ばれる時代で、教育に対する政治介入の度合いを強めていく形で、戦後民主主義を否定した形です。  この「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が成立したことで「教育委員会法」は1956年9月に廃止されることとなりました。  その後、東京都中野区では「教育委員」を区民投票によって選出しそれを下に区長が議会に提案するとの「準公選制」が一時期実施されましたが、区議会選挙よおよび区長選挙などにより準公選制反対が多数を占めるに至り、1995年にこの試みは潰えた形です。  もし現在でも住民による教育行政への参加が主体的な形で認められていたならば、自らの子弟に直接関わる問題を扱う場でもあることから、教育の姿形はかなり変わっているものになり得た可能性があると考えます。  教育の「主体」が学童にあるのか、それとも行政にあるのか。今になっても、日本人の政治参加のあり方が問われ続けている問題の一つでもあります。

left5884
質問者

お礼

質問に回答して頂き、有り難うございます。