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裁判官の定年退官について
公務員が定年退職する場合、普通は会計年度の年末、3月末に退職します。裁判官の場合は、定年の満年齢となった時、即座に退職しなければならないものですか。他の公務員同様に、定年の年齢となっても、年度末、3月末に退職することはできない仕組みになっているのですか。
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- Streseman
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お礼を受けて更に返答したい >私の真意は、裁判所に駆け込む人は、苦しんで困り果てた上に司法を信じて裁判に託すのです。ところが、人の苦しみ、この苦しみのタイプはいろいろですが、人の苦しみに耳を傾けることができる姿勢が欠落し過ぎている…と思うようなことがしばしば、裁判の現場では起きていると感じています。 漏れ伝わる話や、当事者の話を聞く限りはその通りだと思います >ある弁護士の方が面白い話をしてくれました。「法曹は、人の話を一番、聞こうとしない人種である、といわれている。」 それを聞き、驚きましたが、多分、案件を早く処理するために、頭の中で法律要件と効果の整理のみに気を取られすぎているのが原因ではないか、と思いました。 膨大な案件を抱える法曹当事者にとっては、”荒涼たる砂漠の砂に過ぎない案件でも、当事者にすれば、人生がかかっている”とは法曹でもしっかり教えているようには聞きますが、あまりにも膨大すぎる係争総量すぎるのが問題だと思います >そして、私自身が裁判を実際に経験し、その弁護士の話は、本当だ…と実感したのです。聞こうとしない話の中に、事件の重要なポイントがあり、どの事件も一律に法律要件・効果の整理に移る前に、しっかりした事実認定が必要なのです。 実は、事実認定の問題が一番、時間がかかり、法曹自身も新たに時間をかけて勉強しなければ分からない問題なのですが、日本の裁判は、この事実認定をいい加減にしすぎのため、検察・警察の、事実と違う作文をそのまま証拠採用し、冤罪が起きる一つの遠因となっていると考えています。 冤罪事件や怪しい刑事事件を見る限りは、確かに事実認定の適否に疑問を抱く事例が多いように思います ただし、事実認定に関しては、裁判官のみならず、警察・検察レベルの不備・作為・恣意などを問題を正す必要性があるようにも思います。もちろん、裁判官レベルでの疑問を呈さざるを得ない事例はあるでしょうが、検察の誘導的な部分も含めて、功利的には、検察側の問題を優先して思慮するべきようには思います。 行政訴訟・民事訴訟に関しては、事実認定に関する紛争とは別件の問題がありますので、割愛します >事実認定をいい加減にしてしまう、その原因を考えるとき、裁判官の個々の性格の問題もあるかもしれませんが、裁判官が抱える事件数が欧米と比してあまりにも多すぎて、一つ一つの事件の審理を丁寧に行うことができない現実に、根本の問題があるように考えたのです。 指摘は司法制度改革委員会が指摘したものであり、問題提起としては適切だと思いますし、是正するべき問題だと認識しております >また、裁判官の質の問題では、もう10年くらい前のことでしょうか、刑事事件の被告人に対する最後の説諭のところで、「君は、産業廃棄物と同じだ…」と言った裁判官がいることがテレビで報道され、本当に呆れ果てたことがあります。もし、本当にそんなことを言ったとすれば、あまりにも非常識極まります。 先日、女性の下着を盗撮した裁判官の事件が報道されましたが、彼はまだ若いですから、そうした過ちを犯した場合、社会的にも非難され、大きなダメージを彼は受けるでしょう。人は誰も過ちを犯すことがあります。それを、こやしにすればよいのです。決して人を殺したわけではありませんので、ある意味、男性の普通の生理現象を、歪んだ形の犯罪で発散させてしまったともいえます。犯罪被害にあう、あるいは自ら犯罪を犯してしまった、そのような人達が自ら苦悩する、そのうえで他人の苦しみを理解、共有できる精神構造が備わってくるのではないか、とも考えるのです。 裁判官の問題発言の経緯を仔細で調べない上では批判できませんが、問題がある裁判官が存在するのは事実だと思います 時に人である裁判官として、法廷指揮において激昂としてまうのも仕方ないと思います。個人的には、問題発言について大上段に批判したくはありません。裁判官の人の子なので・・・ 西ドイツの法曹は、司法研修過程で刑務所に10日体験収監するカリキュラムがあるそうです。様々な犯罪者との対話して犯罪に対する意識を高めることを目的にしているそうですが、時に彼らに過剰に同情的になったり、強い嫌悪感情を抱くようで、その研修の適否はまだ好意的なものとして確立していないそうです 指摘は、理解できますが、自分が指摘したように、裁判官は”真っ白”であるのが望ましいとは思います。 もっとも、指摘されるような色のある裁判官を全否定する論拠はありませんから、争論の余地がある問題とも言えるでしょう >私が言うところの社会経験とは、公務員とか財閥系の大企業で親方日の丸の感覚で人生を歩んだ経験ではなく、中小の民間企業で必死になって働いた経験がある人、大企業であっても、勿論、かまいませんが、官僚としての社会経験は、裁判所の実態と同じですので、日本の経済を実質的に支え、市場原理で否応なく必死に働いたことがある人の経験は、法曹になってからも大きな意味を持つと考えています。 私は教育臨床という教育現場の視点から教育を科学する学問を専門に行っています。 民間からの教職員の登用が行われていますが、正直評価は芳しくありません。それは教育の専門的な側面の問題ではなく、社会経験をベースにおいて学校社会を取り扱ってしまうことにあります。 いわゆる一般社会における社会経験とは、企業活動です。企業活動は、利潤の追求・企業の存続と言えます。 では、多様に存在する社会の現実に対して、特定の社会の経験が教育上においてどれほどの武器になるでしょうか? 専門教育の専門技術であれば、特定業種の経験が重要になるでしょう。では、社会経験というものは、特定・専門技術教育にように意味・意義をどのように持ち得るのでしょうか? Aという職種の社会経験をもっている人間は、Bという職種で、Aの社会経験をどれほど発揮できるのでしょうか? 社会経験とはある程度は共有・共通化する部分はあるでしょう。しかし、各業種における必要かつ重要な経験とは、一般化されるような安易なものではないでしょう。 極論すれば、「社会経験といいますが、貴方はどれほどの社会を知っているのですか?そして得ている社会経験をどう教育において利用・活用できるのですか?」と疑問は拭えません。 これと同じことは裁判官にも通じるように思います。 ・・・・・・・・ これは私の考えですが、裁判という紛争状態において、裁判官が結論を出すのは究極的な場合だけであるのが望ましいと思います。 裁判所は、調停・和解を重視するべきであって、その解決こそわだかまりのない紛争解決だと思うのです したがって、私は、裁判官の数の充足よりは、調停委員・調査員を優先したい考えです なお、アメリカ司法のように司法を高度に分割して、司法資格を細分化することも手法としてはアリだと思います つまり、現状の法曹資格を細分化して、専従法曹資格で訴訟できる司法制度体系にした上での法曹人口の増加はアリだと思います これは個人的な考えですが、法曹資格があまりにもジャネラリストすぎるように思います できれば、行政書士・司法書士などが訴訟で活躍する幅を広げるなどの発想が必要だと思います
- Streseman
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補足・お礼に返答したい >定年退官前の半年の裁判で、とにかく早く片付けるために自由心証を悪用して当事者が提出された証拠資料等をよく読まずに恣意的な個人的な主観の結論で判決を出してしまうことです。日本の裁判官の数が少なすぎ、担当事件数と異常にアンバランスな状況になっているために、憲法が保障した「公正」な裁判が実現できない実態があることです。 下級審は知らないが、最高裁裁判官に関しては、その傾向は感じなかった。それは最高裁が法律審であることに由来することなのかもしれない。 指摘にある裁判官の人数の問題よりも、裁判官の職業意識の問題だと思うし、裁判官の任官数の問題は法曹人口の問題として司法制度改革などで抜本的解決が必要なものだろうと思う。 本件に関しては退官前だけではなく、頻繁な異動直前などにも懸念されるべき問題でもあろうが、司法行政の監視の部分で解決するべき問題のように思う >真の司法改革は、裁判官の数と質の両面からの改革です。裁判においては、裁判官が最高権力者です。権力の濫用を防ぐための公正な裁判を実現する司法の制度欠陥が、裁判官の数の少なさと、裁判における権力の大きさから起きていると考え、国民の人権を守るためには、真の司法改革が必要と痛切に思う事態を経験しました。 質と量は時にトレードオフにあると思われる。法曹人口の欠如部分を司法制度改革が検証した結果、法科大学設置などの措置を行ったが抜本的解決に至っていない。 個人的には、裁判官の数だけではなく、調査官・調停員などの仲裁機能の強化が重要に思えてならない 制度欠如という批判は否定し難いが、法曹人口の数の充足が解決という発想はニワカに支持したがたい 裁判官は最高権力であり、訴訟指揮権限という絶対的な係争支配力をもっている。 慎重かつ丁寧な訴訟のためには、それを支える司法関係者を増やすことでの解消の道を模索するのが望ましいように思う 裁判官の訴状の読み込み手数を省力者するために、訴訟案件の体系的な事前処理を行う司法職を設けて、負担を軽減したり、判決文のたたき台だけを裁判官が制作し、司法職の代書し、代書されたものをその適否を判定するなど 司法行政が数字だけで下級審裁判官を審査するしかない実情も問題だろうし、評価体型における司法行政の問題がある ある種、司法行政の独立性のために思考硬直が進んでいるように思えてならない 司法制度改革の進捗や国民理解を見ても、個人的には、法曹人口ではなく、司法行政の問題こそ先に諮問するべきように思う。 >裁判官の質の面の改革については、試験を難しくすることではありません。全く逆です。試験だけで人格が向上する訳がありません。事件は、社会の出来事です。社会経験が必要なのです。社会で苦しんだ経験がある人が、10年程度の社会経験をふまえて、法科大学院に入り、社会経験を生かした自由心証を公正な裁判に生かすことが必要です。 あまり首肯できない。それは、特定職業の経験が客観性・中立性を阻害する可能性が指摘されうることにある 社会経験を重視することは一般的に、一般社会との共存・協調という部分での好意的評価が可能だが、そこで培われる「良心」の妥当性には大きな嫌疑を感じる 井の中の蛙との謗りを受けるだろうが、寺西判事補分限裁判を見れば分かるように、裁判官は、より超然たる審判であることを要請されうるものに思えてならない。 もちろん、筆記試験・面接試験の部類が裁判官の質に比例しないだろう。そもそも裁判官の質を判定するのは、相当の紛争件数を精査する必要性があり、同じ裁判官・司法職しか行えない行為のように思う。 そもそも、それほどの質を問うならば、国民審査を最高裁裁判官のみならず下級審まで対象にすることも検討するべきだろうが、それでも質の保証は不可能だろうと思う。 審判者を審判することは極めて難しいものであって、その審判者が法を創造する側面から考えれば、裁判官の道義的良心と裁判官・司法行政の監視が重要に思う。 >新司法試験では、学生から直接、社会経験を経ずに裁判官になってしまうケースが今後、続々、出てきます。その時、彼らの自由心証に恐怖を感じるのです。極端な比喩を言えば、レ・ミゼラブルのジャン・パルジャンのような人間に裁判官になってもらいたい、そのような人達が裁判官に登用される制度設計が必要と考えています。 私は、ジャン・バルジャンのような人間が裁判官であることを妥当とは思えません 一面的な正義論で考えれば理解できなくもないのですが、裁判官に求められる知見・知識とは超然とした法的知識と良心に依拠するものである以上は、世俗経験が特定のベクトルに偏重する危険性を強く感じるしかありません むしろ、社会経験の部類は、調査官・調停員などが担うことで十分でしょう 裁判官の社会通念部分に対する違和感がある判例が確かに多いことは否定しませんし、問題でしょう しかし、それは裁判官が”真っ白”ではないから起こり得る問題であって、社会経験を積めば、逆に”色がつく”危険性があるでしょう それとも世俗と同じ色であるべきでしょうか?私は世俗と同じ色であることは集団主義に陥る危険性と集団主義と法治の矛盾という大きな問題が生じるように思う
お礼
何度もありがとうございました。まず、前回、貴方の回答を私が在宅介護に追われ時間がなく、慌てて間違えて読み込んでしまい、間違いを書いた部分を訂正します。裁判所法ではなく、国家公務員法を読み込んで、年度末の退官が可能である…と勘違いしました。裁判所法は、そのようになっていませんから、定年年齢を迎える前の日に退官しているのが、正しい理解でした。ごめんなさい。 裁判官の質と量の問題については、基本的に地裁、高裁レベルの話です。私の真意は、裁判所に駆け込む人は、苦しんで困り果てた上に司法を信じて裁判に託すのです。ところが、人の苦しみ、この苦しみのタイプはいろいろですが、人の苦しみに耳を傾けることができる姿勢が欠落し過ぎている…と思うようなことがしばしば、裁判の現場では起きていると感じています。ある弁護士の方が面白い話をしてくれました。「法曹は、人の話を一番、聞こうとしない人種である、といわれている。」 それを聞き、驚きましたが、多分、案件を早く処理するために、頭の中で法律要件と効果の整理のみに気を取られすぎているのが原因ではないか、と思いました。そして、私自身が裁判を実際に経験し、その弁護士の話は、本当だ…と実感したのです。聞こうとしない話の中に、事件の重要なポイントがあり、どの事件も一律に法律要件・効果の整理に移る前に、しっかりした事実認定が必要なのです。 実は、事実認定の問題が一番、時間がかかり、法曹自身も新たに時間をかけて勉強しなければ分からない問題なのですが、日本の裁判は、この事実認定をいい加減にしすぎのため、検察・警察の、事実と違う作文をそのまま証拠採用し、冤罪が起きる一つの遠因となっていると考えています。 事実認定をいい加減にしてしまう、その原因を考えるとき、裁判官の個々の性格の問題もあるかもしれませんが、裁判官が抱える事件数が欧米と比してあまりにも多すぎて、一つ一つの事件の審理を丁寧に行うことができない現実に、根本の問題があるように考えたのです。 また、裁判官の質の問題では、もう10年くらい前のことでしょうか、刑事事件の被告人に対する最後の説諭のところで、「君は、産業廃棄物と同じだ…」と言った裁判官がいることがテレビで報道され、本当に呆れ果てたことがあります。もし、本当にそんなことを言ったとすれば、あまりにも非常識極まります。 先日、女性の下着を盗撮した裁判官の事件が報道されましたが、彼はまだ若いですから、そうした過ちを犯した場合、社会的にも非難され、大きなダメージを彼は受けるでしょう。人は誰も過ちを犯すことがあります。それを、こやしにすればよいのです。決して人を殺したわけではありませんので、ある意味、男性の普通の生理現象を、歪んだ形の犯罪で発散させてしまったともいえます。犯罪被害にあう、あるいは自ら犯罪を犯してしまった、そのような人達が自ら苦悩する、そのうえで他人の苦しみを理解、共有できる精神構造が備わってくるのではないか、とも考えるのです。 私が言うところの社会経験とは、公務員とか財閥系の大企業で親方日の丸の感覚で人生を歩んだ経験ではなく、中小の民間企業で必死になって働いた経験がある人、大企業であっても、勿論、かまいませんが、官僚としての社会経験は、裁判所の実態と同じですので、日本の経済を実質的に支え、市場原理で否応なく必死に働いたことがある人の経験は、法曹になってからも大きな意味を持つと考えています。
- Streseman
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最高裁裁判官は、定年即時退官だよねぇ 関係法を一応簡単だけど、URL付きで紹介するね ・裁判所法:http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO059.html 第五十条 (定年) 最高裁判所の裁判官は、年齢七十年、高等裁判所、地方裁判所又は家庭裁判所の裁判官は、年齢六十五年、簡易裁判所の裁判官は、年齢七十年に達した時に退官する。 ・国家公務員法:http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO120.htm 第八十一条の二 職員は、法律に別段の定めのある場合を除き、定年に達したときは、定年に達した日以後における最初の三月三十一日又は第五十五条第一項に規定する任命権者若しくは法律で別に定められた任命権者があらかじめ指定する日のいずれか早い日(以下「定年退職日」という。)に退職する。 ・地方公務員法:http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO261.html 第二十八条の二 職員は、定年に達したときは、定年に達した日以後における最初の三月三十一日までの間において、条例で定める日(以下「定年退職日」という。)に退職する。 (かなり割愛) ・・・・・・・・・・・・・・・ ということで、裁判官は、法定年齢に達した時点で退官する仕組みのようです 参考までに最高裁裁判官の人事:http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/hanzi_itiran/index.html 確認したら、誕生日の前日に退官でした。退官した翌日に誕生日なんだね 自衛隊法 第四十四条の二 隊員(自衛官を除く。以下この条、次条及び第四十四条の五において同じ。)は、定年に達したときは、定年に達した日以後における最初の三月三十一日又は防衛大臣があらかじめ指定する日のいずれか早い日(次条及び第四十四条の四において「定年退職日」という。)に退職する。
お礼
早速、明快な回答、ありがとうございます。私が懸念していることは、定年退官前の半年の裁判で、とにかく早く片付けるために自由心証を悪用して当事者が提出された証拠資料等をよく読まずに恣意的な個人的な主観の結論で判決を出してしまうことです。日本の裁判官の数が少なすぎ、担当事件数と異常にアンバランスな状況になっているために、憲法が保障した「公正」な裁判が実現できない実態があることです。 真の司法改革は、裁判官の数と質の両面からの改革です。裁判においては、裁判官が最高権力者です。権力の濫用を防ぐための公正な裁判を実現する司法の制度欠陥が、裁判官の数の少なさと、裁判における権力の大きさから起きていると考え、国民の人権を守るためには、真の司法改革が必要と痛切に思う事態を経験しました。
補足
裁判官の質の面の改革については、試験を難しくすることではありません。全く逆です。試験だけで人格が向上する訳がありません。事件は、社会の出来事です。社会経験が必要なのです。社会で苦しんだ経験がある人が、10年程度の社会経験をふまえて、法科大学院に入り、社会経験を生かした自由心証を公正な裁判に生かすことが必要です。 新司法試験では、学生から直接、社会経験を経ずに裁判官になってしまうケースが今後、続々、出てきます。その時、彼らの自由心証に恐怖を感じるのです。極端な比喩を言えば、レ・ミゼラブルのジャン・パルジャンのような人間に裁判官になってもらいたい、そのような人達が裁判官に登用される制度設計が必要と考えています。
- f272
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年度末に退職するというのは 国家公務員法 第八十一条の二 職員は、法律に別段の定めのある場合を除き、定年に達したときは、定年に達した日以後における最初の三月三十一日又は第五十五条第一項に規定する任命権者若しくは法律で別に定められた任命権者があらかじめ指定する日のいずれか早い日(以下「定年退職日」という。)に退職する。 が根拠になっています。裁判官の場合には 裁判所法 第五十条 (定年) 最高裁判所の裁判官は、年齢七十年、高等裁判所、地方裁判所又は家庭裁判所の裁判官は、年齢六十五年、簡易裁判所の裁判官は、年齢七十年に達した時に退官する。 となっていますから、定年に達した時に退官します。
お礼
ものすごく早く、ご回答いただき、本当にありがとうございました。お答えの内容は、満年齢で定年年齢となった時に即座に退職する、年度末の退職、退官はできない制度設計となっている、ということでしょうか。選択的に、年度末に退官することもできる、趣旨では決してない、ということでしょうか。
補足
STRESMANさんからのご回答の法令を読み込んでみたら、気がつきました。やはり、例えば、高裁、地裁の裁判官は、定年になった年度の3月末で定年できる制度設計になっている、ということです。 何か、問題があった時に、定年退官を理由にして即座に退官することもできる、とも解釈できます。
お礼
先ほど、ある権力機関の違法行為を通報しました。今、書けるようになりました。送信できるか否かは、分かりません。それで、ビデオ撮りしながら書いていますこと、悪しからずご了承ください。事件は、ある介護施設の医師の故意の犯罪が起きたこと、早くから私が看破し、捜査機関に通報したが放置され、事件が拡大し、悲劇的な事態がもたらされた…ということです。このくらいでやめておきます。捜査機関に対して国賠訴訟を提起することを、某所に通告しています。 それで、肝心なことは、貴方からのご回答に対しての返信ですので、それについて、話がかみ合っていない点について一言、述べます。社会経験を10年程度してから、裁判官となった方がよい…と私が述べた意味は、貴方が書かれた意味と全く違います。 社会は分業になっています。専門知識は、無限です。無限の専門知識を理解して裁判官になるなど、できるわけがありません。企業の利潤追求の問題も、関係ありません。10年程度、社会経験を経ることは、仕事をとおして、いろいろな問題に直面し、悩み、解決し、また他人と協力し合う、あるいは喧嘩もする、そうしたことをとおして様々な判断力がそなわる…ということです。現在の裁判では、自由心証が大きな役割を果たしています。自由心証という、ある意味、原告と被告の一大事を決定的にする場面で、適切な判断力を備えるには、やはり、学生から直接、裁判官になって、絶大な権力を行使できる立場になることは、傲慢な人間を増やすことになりかねないこと、法律を数学の公式のように短絡に当てはめてしまっては、事実と違う判決を次々と生み出しかねないことを懸念するのです。 旧司法試験の短答式試験などは、最悪だと思っています。重箱の隅まで判例を覚える形の受験勉強は、決して法曹の実力を身につけることにはならないと思います。社会という、大きな森の中で起きる事件は、ひとつひとつが個別性があり、特有の事情があり、その特有の事情を加味しながら判決を出していく訳ですから、一つ一つの特有の事件の過程を知らずに、判例の結論だけ覚えさせる勉強は、馬鹿げています。もっと大切なことは、社会正義の意味を事件をとおして、しっかり考えながら、真に独立して公正に判断する、そのためには、絶対に社会経験が必要と考えるのです。適切な自由心証を行使するためには、現実の社会の森の中で、一人で、あるいは他人と一緒に歩きまわり考えること、法律の条文という、一つの木だけを見て判断しては、少しおかしくなるのでは…という意味です。送信できるか、どうか分かりませんが、試みてみます。昨日は、この3倍くらい、書いて、送信できず全て消されてしまったことで、少々、腹がたってしまいました。
補足
お礼を書いたのですが、ある犯罪に加担した人達が、そのお礼が都合が悪い内容が書いてあると判断し、不正アクセスをして消してしまいました。書いた内容と消された過程をビデオ撮りしています。国賠訴訟の証拠とするためです。OKWAVEさんが、されたことではないことを確認済みです。犯罪被害者を助けるべき機関が、自らの体面を守るために、事実上は犯罪者に加担し、被害者の苦しみを助長する行為をし続けていることを恥じるべきです。本当に、逆前田検事の事件となってしまいました。これも送信できるかどうか、わかりませんが、ビデオ撮りしていることを書いていますので、どうなるか…です。