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五輪の柔道は悲壮感が漂いすぎ?
オリンピックの柔道を見ていて思ったことです。 素人の私から見れば、オリンピックで銀や銅メダルをとるということは素晴らしいことだと思います。 世界で2番目や3番目なんですよ? それなのに、試合後のインタビューではせっかくのメダル獲得の会見なのに、まるで事件の被害者か加害者かと思うような雰囲気。 海老沼選手の会見も見ていましたが複数局に出ていましたが、全く笑顔が見られず、番組の出演者に言われてようやく微笑んでいたくらいです。 上の方から喜んではいけない、笑ってはいけないというお達しでも出ているのかと思ったくらいです。 競泳の選手たちもメダルのラッシュで銀や銅をとっていますが、負けたことに残念がって(悔しがって)いても、次に目標を見据えているように見えますし、結果をうけとめて全力を出し切った結果として満足しているように見えます。前向きで明るい雰囲気です。見ているコチラ側としても素直に「よかったね!おめでとう!」という明るい気持ちになります。 お家芸としてのプライドもあるかとは思いますが、あまりにも柔道選手の雰囲気は暗いと思います。 あの「金を取って当たり前」という雰囲気が逆にプレッシャーとなってしまっているのではないでしょうか? 悲壮感が漂いすぎて、「せっかくのメダルなのに嬉しくないの?負けた選手にも失礼じゃない?」と、見ていてなんだか嫌な気分になります。 もっとのびのびと試合をしてほしい。 みなさんはどう思われましたか?
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- chines
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日刊ゲンダイ http://gendai.net/articles/view/sports/137801 帯まできちんと畳むクソがつく真面目な性格 「僕みたいにもう少し遊び心があれば、気持ちに余裕が出るんでしょうけど(笑い)」 こう話すのはバルセロナ五輪男子柔道金メダリストで、 駐車場運営会社・パーク24の吉田秀彦柔道部監督(42)だ。 11日、都内で男子柔道66キロ級のロンドン五輪代表・海老沼匡2 件 (22=パーク24)の壮行会が行われ、愛弟子についてこう話した。 海老沼は現在、世界ランキング4位。昨年の世界選手権では金メダルを獲得し、 今年5月に行われた全日本選抜体重別選手権で3連覇。初の五輪出場を決めた。 壮行会では緊張からカメラに笑顔を向けるのが精いっぱいの海老沼に、 吉田監督は「見て分かるように(性格2 件は)真面目なんです。 同じO型とは思えないな」と言いつつも、 「でも僕自身もメダルを取るまではこんな状態だった。 メダルは狙えるか?大丈夫じゃないですか?五輪は本来持っている力を出せば、 必ず金メダルは取れると思う」と期待を込めた。 チームメートの平尾譲一(24)もこういう。 「食事では、普段から野菜と果物をまんべんなく取ったり気を使っていて、 僕らとはレベルが違う。年下だけど本気に取り組んでいるのが分かるので、 お酒なんて勧められないし、本人も一滴も飲まない。 練習でも最後まで力を出し切るし、僕らが年下の海老沼に引っ張られているくらいです」 だが、その一方で兄でインカレ個人の優勝経験がある柔道家の聖さん (28=パーク24)は、海老沼のその性格2 件をこう心配する。 「チャランポランの僕とは対照的に、真面目過ぎて考え込むのが弱点です。 他の選手なら柔道着を適当に置いておくのに、帯もキチッと畳みますし。 (五輪前で)緊張していますね。先週の練習では負けて泣いてしまい、 監督が過保護じゃないかというくらい慰めていた(苦笑)。 相手は強化選手とはいえ、普段なら楽勝に勝てる選手や後輩。 そんな選手に投げられていましたから。本人も適当な僕を見ているので、 (自分の弱点を)知っていると思いますよ」
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女子78キロ級銀メダリストの杉本選手は、全日本女子選手権9連覇・アテネ五輪金メダルの偉業を成し遂げた塚田選手に敬意を込めて「ああいう素晴らしい先輩のおかげで、ここまで頑張れたのだから、ロンドンでは、何が何でも金メダルをとりたい」という風に、ロンドン五輪への想いを語っていたそうです。 選手が「金」以外に素直に喜べない理由は、先輩選手が長年築き上げた王道を護り切れなかった自身への悔い、先輩選手への申し訳なさも多分にあろうかと思います。 負かした経験も負かされた経験も併せ持つ競技選手として、「勝利を素直に喜ばないと、負かした選手に対して失礼」という気遣いは、当然あると思います。 それでも、喜べない選手たちというのは、そういう気持ち以上に「金以外のメダルで喜んでいては、オリンピック出場が叶わなかった他の日本人選手に対して失礼」という気遣いが強く働いているのではないでしょうか。 「一位」になれなかった以上、“自分以外の選手が出場していれば、その選手は自分以上の成績を出せたかも知れないのに…”と、どうしても考えてしまうところはあるんですよ、きっと。 だから、誰もが「最低でも金」という信念にこだわってしまうのではないでしょうか。 自分のためというより、「日本の代表」入りが叶わなかった他の仲間や先輩のことを考えて。 そういう「きまじめさ」も、日本人らしくていいなと、私は思ったりしています。 運動能力に優れた世界トップレベルの選手でも、その中身は、生身の人間。人生の折り返し地点をまだ通過していない若年層が殆ど。 前向きに頑張る姿勢でファンを魅せることもいいですが、その試合のために何年も何年も頑張ってきた選手が、その道が閉ざされた直後に「次に繋がる惜敗」とばかりに潔く気持ちを切り換えることはなかなか難しいと思いますよ。 それはそれで、「その程度の想い入れか」とファンを白けさせることだってありますし。 また、出場選手たちはどう感じているのか分かりませんが、イチ観客としての私の目から見て、オリンピックは、他の世界大会とは、明らかに扱いが異なるように思います。 選手が何位になるかによって、億単位のカネの動きが決まることもある世界でもあり、少なくとも「参加することに意義がある純粋なスポーツ大会」と称えられる性質のものではないように思えます。 実際問題、世界一になれるかどうかは、本人の実力以外に「運」の要素も影響されるはずですが、ひとたびオリンピックで「金」を獲ったとなれば、当人の知名度もそれまでとは全く異なってきます。 もちろん、選手たちは、それが世界選手権だろうと、母校の交流試合だろうと、大会の名前によって手を抜くことはなく、試合に出場するとなれば、その何百倍も何千倍もの時間を「勝ちたい」という執念に捧げ、血のにじむ努力を重ねるのだと思います。 が、やはりオリンピックは、選手たち当人にとっては別格なのか、彼・彼女たちのコメントを見聞きしていても、ただ「柔道が好き」「勝ちたい」という情熱以外のただならぬ緊張感、使命感、重圧のようなものを感じ、こちらも苦しくなることがあります。 問題とされるべきなのは、選手たちのそうした態度ではなく、選手たちをそういう風に追い込んでいる周りの人間(スポンサー、マスコミ、「負けたら帰ってくるな」ばりに煽る厄介なファンetc)ではないでしょうか。 こと柔道に関しては、同情すべき余地もあると思います。 「日本柔道」が「世界のJUDO」に姿を変えたことで、ルールも変わり、選手の「勝ち方」も、ポイント稼ぎ、相手選手の“指導”狙い、場外すれすれの格闘、判定待ち(あからさまな時間稼ぎ)といった、ケチくさいもの(おっと、言い過ぎ…)になりつつあります。 海老沼選手の試合は、旗判定が覆る瞬間まで、リアルタイムで観ていましたが、審判の不手際には、心底憤りを感じました。 この日のために、想像を絶する痛みや苦悩と来る日も来る日も闘ってきたであろう選手たちに対する敬意や思いやりは微塵も感じられない、軽々しい判定ぶり。 私が選手なら、あれで勝利しても、後味が悪いだけです。 最近の柔道を観ていて、選手は、相手選手と技を競うというより、審判たちと闘っているようなものだと感じることが多いです。 質問者様がお感じになった「選手たちに漂う悲壮感」の原因がそこにあるとすれば、選手たちがそうなってしまうのも致し方なしという気がしますね。
いくら柔道を世界に広げても伝わっていかない伝わっていきづらい部分があります。 今般のオリンピックを観ていてそう思いました。 対戦相手に跨がったまんまでガッツポーズ。 競技場を出る前に柔道着を脱ぐ。 軽々しい反則技。 中々立ち上がらず休憩する様な態度。 論えばキリがない。 こういった部分は 正しい作法みたいなものが 外人選手には中々浸透していきづらい部分でしょうね。 そんなもんはどうでもいい‥勝てばいいんだという精神なのだなって見受けられました。 ‥無作法であっても違反行為にならず ポイント制で稼いで‥これを繰り返してきて今日に至っている。 日本の柔道家はそういった無礼、無作法を嫌っているけど我慢し ひたすらに日本の昔ながらの柔道を貫いている様に思います。 作法に難癖つけても勝つ訳じゃないから‥。 作法は取り残されたまんま‥これからも外人選手は 下品な柔道を見せてくれるのでしょうね。 でもだからこそ 日本の柔道家は 勝たねばならない。これぞ日本の美しい柔道だって‥勝つ事で見せていかなきゃならない。そんな気概もあって 金にこだわっていると私は思っています。 『消極的な反論』 『口にしない抗議』 外人選手の皆さん‥日本の柔道はただ勝てばいいというものではない。 という本心は伏せて口にせず‥日本本来の美しい柔道を貫く姿勢によって、日本人の柔道は爽快だ‥やはり日本人選手は違うなぁ、とそう思ってくれる外人選手が多くなれば良いな~と思います。 色々背負いすぎてる日本人選手。 背負ったなら 背負い投げで かる~くなれ~ぃ。確かに 選手達の表情は銀でも銅でも暗く重いですね。 背負い投げで一本!と簡単にはいかないのでしょう。
お礼
私もいくつかの試合はリアルタイムで見ていましたが、確かに道着の乱れは気になりました。 試合中道着の乱れはすぐに審判が注意するイメージだったのですが、なかなか注意せず、ひどいときは試合終了時までだらしなく帯から垂れ下がったままなんてのもありました。 私は単純に「メダルが獲れたのだから喜べばいいのに」と思っていましたが、昔ながらの武道としての柔道を重んじる選手たちにとっては、このようなルールや試合姿勢では手放しで喜べない、金を取ってJUDOを見返してやる、これが柔道なんだ!と言いたかった部分もあるのかもしれませんね。 「柔道」が「JUDO]に勝てない悔しさがあの悲壮感になっているのかもしれません。
- hyakkinman
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みんな、「忘れ物」をしている。 それは、金メダルじゃなくて、「心」。 【心技体を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う、国家、社会の平和と繁栄に寄与する人間形成の道である。】 という「柔の心」。 勝者を讃え、敗者を気遣い、 さらには、後に続く子供達のために、柔道家の心の素晴らしさを教えるという、大切な「心」を。 目先の勝負にとらわれ、大切な心を忘れる振る舞いは、弱いことの証です。 自己中とさえ思えます。 東京五輪でヘーシンクに敗れた翌日、神永昭夫さんは普通に自分の会社で仕事をしていたと聞きます。 そして、きちんと後継者の育成もしていました。 見ている子供達のためにも、心技体の三拍子そろった人間であってほしいものです。 さらには、見ている私たちの見方も変えるべきだと思いますね。
お礼
「心」に関しては日本人だけでなく、柔道に出場している選手全体(外国人選手含め)にズレが生じているのかもしれませんね。 他の回答者の方々がおっしゃっている「柔道」と「JUDO」の問題もそこなんでしょうね。 私達応援している側もメディアを含め過剰にあおるのもいけないのかもしれないですね。 「お家芸なんだから金で当たり前」は柔道界だけでなく一般の風潮でもそうなのかもしれません。 勝っても負けても選手たちが全力を尽くしたことを称える、そんな風に見方を変えるようにしないとだめですね。
- kazutokatu
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発音は同じでも異種格闘技、柔道とjudo同じルールで勝敗を着けるのが、そもそものまちがい。それに審判がひどい。止めを掛けた時に着崩れが有るならば、直ちに直させるべき所、時間短縮の為(かな?)そのまま続行、テレビ中継の為それも一番お金を出してるアメリカの為、だらしない姿の試合はみたくない。その内畳の入手困難な国から、レスリングのマットでやりましょう、て提案がだされ、月日をえずして採用。次にはシューズを履いてもいいだろう、って事になる、ちょうどカラー道着が採択された様に、相手は進化するjudo。 武道家を自認する日本の選手はそのままで良いjudo家を自認する選手は好きな様にしゃべれば良い。個人の勝手でしょ
お礼
個人の勝手と言われてしまえばそれまでですね。 まぁ、私にとやかく選手の態度についていう権利もないですしね。
- zep19
- ベストアンサー率45% (138/306)
はじめまして 10年前まで総合格闘技やってましたが 今回だけでなく近年の日本の柔道選手は寝技に極めて弱いですね 寝技で攻め手の足に絡めらることすらできないとか、直ぐにカメになるとか 何年か前ではタックルでテイクダウン取りに来る外国人選手にがぶることすら出来ないとか こういうことがあると直ぐに制限をかけるルール規制をしようとする傾向があります 外国人選手はレスリングや柔術、サンボ、他総合系格闘技との交流が多く 各々の新しい技術の向上に努力しています 新しい技を取り入れながらその都度消化し進化していかないと ほんと単なる道着を着た相撲になるのではと危惧しています
お礼
はじめまして。 私は柔道に関しては素人ですので、ルールとか「柔道かJUDOか」などにはあまり関心がありません。 オリンピックという祭典をテレビで見て楽しんでいるだけです。 柔道に詳しい方が試合やルールに関して思うところがあるとは思いますが、単純にオリンピックを楽しんでいるだけの側からすると、メダルを獲ったのになぜあんなに泣いたり謝ったり無表情なのか不思議でたまりません。 試合直後は仕方ないと思うんです。 悔しいでしょう。 ただ、各局に出演するときにまで謝罪会見みたいな雰囲気で「ほんとにメダリスト?」と疑ってしまうような空気です。 同じ日本人として「おめでとう!」という気持ちを持っているからこそ、選手には努力の成果としてのメダルをもっと喜んでほしいなぁと思います。
- Epsilon03
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柔道は日本から普及したと言う家元プライドなのでしょう。 もはや世界各地で行われて居るスポーツになったのであり、精神論ばかりの日本が逆に取り残されてしまって居るとも言えますね。 柔道で日本が【金】を取れなかったと言っても、もはや国際レベルからすれば有ってもおかしくないでしょう。 金を獲りたいと言うのは日本人選手だけではないですから、見る視点を変えなければこれからも同じ結果と為るでしょうね。 もはや柔道もポイントを奪い合うスポーツになったのですから、いつまでも「一本」に拘ったりしていては沈む一方でしょう。
お礼
私は柔道は経験したことがなく、全くの素人ですから、正直なところ「JUDO」でも「柔道」でもよくわかりません。 ルールもよくわからないので、純粋に勝ったか負けたかの結果だけを見る「にわか」なわけです。 だからこそなおさら、普段は気にもしない柔道に触れる五輪で、選手たちの「メダルを獲っても喜ばない姿」にガッカリしてしまいました。 あのように「銀ぐらいでうかれてるんじゃねーよ」という雰囲気の会見を見て、後継者となっていく子供たちがはたして「自分も柔道をやりたい!オリンピックにでたい!」と憧れるのでしょうか? そんな風に感じました。
- localtombi
- ベストアンサー率24% (2911/11790)
金を取って当たり前という呪縛ですね。 金でなければ勝利にあらず、金を取らなければ柔道人にあらず・・という柔道界の体質というか、日本柔道という奢り高ぶりが露呈した結果のような気がします。
お礼
そうですね。 「金」でしか喜ぶ価値がないように見えてしまうのは大変残念だと思います。 確かに1位を獲れなかったというのは悔しいことだとは思いますが、銀だって銅だって獲れなかった人は大勢いるし、また必死で獲りに行っている人が大勢いるはず。 それをいつまでも「銀だったらいらねーよ」みたいな態度はとても失礼なことだと思うのです。
- ichido_dake
- ベストアンサー率45% (44/96)
>上の方から喜んではいけない、笑ってはいけないというお達し 柔道に限らず武道ではそういった「感情を露出しないこと」をよしとする部分は大きいようです。 詳細を忘れてしまいましたが、剣道の試合でガッツポーズに物言いが付いて、勝っていた試合を一転負けにされた様子がTV放映されていました。
お礼
学生時代は私も剣道をやっていましたので、武道ではそういった心構えがあることは承知しています。 おっしゃられているガッツポーズでの勝ちが取り消されることは、大きな大会だけでなく、通常の学生の試合でも取り消されますから。(私も学生時代に実際に取り消された人を見たことがあります) 剣道しか経験していないので、剣道に限って言えば、「礼に始まり礼に終わる」ので、礼をする前にガッツポーズをするなど 礼儀がなってない!ってことなんでしょう。 たぶん柔道も同じだと思います。 それはわかるのですけど、試合後にテレビに出演しているときくらいメダルをとったのだからもっと嬉しそうにしたらいいのにな~と思いました。
手固められるわ、馬乗りでガッツポーズされるわ、組ませてすら貰えないわ。 柔道やってんのか格闘技やってんのかわからん試合されて負けたら、そら悲壮感も漂うわ…。
お礼
1回戦敗退とか2回戦敗退とかでしたら悲壮感漂うのも納得できるのですが、メダルを獲ったにも関わらず、試合後のテレビ出演の際も陰気くさい顔をしていたので、もっと気持ちを切り替えて嬉しそうにしたらいいのにな~と思った次第です。
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お礼
会見の選手の表情は「自分自身に向けて」「応援してくれた人に向けて」とだけ思っていましたが、そうですね、自分が代表になったことで涙をのんだ選手への思いもあるかもしれませんね。 それなら、金を獲れなかったことを「ふがいない」と思ってしまうかもしれません。 何年も頑張ってきて目標の1位を獲れなかったとき、気持ちをすぐに切り替えろというのも酷かもしれませんね。 私のような凡人は「メダル」という結果を喜ぶ発想しかありませんでしたが、五輪選手のようなトップアスリートでは、それ以外のいろいろな想いがもちろんあることでしょうしね・・・。 私達国民も死力を尽くして戦った選手に対しての態度も改めるべきなのでしょうね。 どんなことでも叩くしかしない人っていますから・・・。 海老沼選手の件は私もたまたまリアルタイムで見ていましたが、素人目にみても「なんだこりゃ?」という試合(審判)内容でした。 試合中の集中の仕方は半端ないと思いますが、あんなに判定取り消し・中断、などの繰り返しでは試合に集中できなかったでしょう。 なので、海老沼選手の会見は「手放しでは喜べないんだろうな」と気の毒に思う部分もありました。 「対審判」だとしたら悲壮感は柔道の未来を悲観して出ているのかもしれないですね。