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脳死と安楽死について
脳死者については、基本的に医師の判断で安楽死させることはできないでしょうか? 1、身内からの延命希望が無い限り、医師の判断での安楽死できるように法律改正をする。 2・脳の死は生命の死とみなす。よう法律改正をする。 3.医療費の大幅な低減になりませんか?
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そのへんにおいて、日本のお医者さんはちょっと信用がならないのですよ。実は日本は長い間、心臓移植手術がタブーになっていたときがありました。すべては日本最初の心臓移植手術であった「和田心臓移植事件」に尽きます。 分かりやすく一言でいえば、和田心臓移植事件とは「まだ死んでない人から心臓を取って移植手術しちゃった」という事件なんです。一応、そのへんは白い巨塔の努力によってウヤムヤになっているのですが、状況証拠から「まだ死んでない人から心臓を取っちゃった」のはまず明らかとなっています。この事件のせいで、日本は以後30年間に渡り心臓移植手術がタブーになってしまったのです。 また後に、万波誠医師が病気の肝臓を移植するという手術を行いました。病気の肝臓であっても移植には使うことはできるので万波医師は手術を行ったのです。 ところが、とんでもない問題が起きました。万波医師は「あなたに肝臓移植手術をするがそれは病気を持った肝臓です。しかし、リスクは小さいです」という説明を患者にしていなかったのです。新しいことにチャレンジするのはいいけどさ、命がかかっているのだから本人と家族の同意は必須でしょう。 そのため、この病気もち肝臓移植もタブーになってしまいました。ちゃんと順番を踏んでいれば新しい道を拓いたかもしれないのに。 どうも和田心臓移植についても万波医師についても、日本のお医者さんてのは自分の社会的虚栄心が関わると道を誤っちゃうんですなあ。 移植問題については我が国では常に「死の青田買いが起こるのではないか」という懸念がされるのですが、そういう懸念の声が根強いのは「日本の医師はそういうことをやりかねない」ところがあるからです。 なお、私は脳死は人間の死(自力で生命を維持することができないから)だと思いますが、さりながら「命は誰のものか」と問われればそれは「自分自身のもの」であると思います。だからとても難しいですよね。本来であるなら、医師であっても家族であっても決められない問題だと思います。あくまで「本来なら」ですが。 ついでに、日本で年間いったい何件の脳死患者が出ているのかが分かりませんでしたが、脳死はそうそう起こるものではないので、脳死をぜんぶ人の死にしてもたいして医療費の削減にはならないと思います。医療費を削減したいなら、「70歳以上が医者に行けるのは週に2日まで」とかにしたほうがよっぽど削減になりますよ。
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- hekiyu
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難しい問題ですね。 脳は死んでも、心臓は動いていますから 切れば血も出ますし、身体は暖かいです。 女性なら、妊娠も出産も出来ます。 人間の本質は脳にあるのであり、身体は タダの入れ物だ、というデカルト流の 心身二元論を採る欧米なら、身体はただの 物質ですから、脳死=死 は受け入れやすいのです。 しかし、我が国では、万物に魂が宿る、と 考えますので、身体はただの入れ物ではありません。 身体にも魂が宿っている、と感じてしまいます。 こういう日本では、脳死=死、と割り切るのは 難しいです。 最近の研究では、内臓にも記憶物質が発見され 心身一元論が有利になっています。 ちなみに、勿体ない、というのは、万物に魂が 宿っているから、粗末にするな、ということで 経済的効率をうたった訳ではありません。