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「~人は」という考え方

外国の方の犯罪がネットニュースなどで流れた時に、 ニュースに対するコメントで「ほんと、~人は危ないな」とか「~人は国外退去を!」 といった「人種・国籍」でくくっていてるコメントが見られます。 けど、実際日本人だって老若男女どの世代性別でも犯罪をしているのに、 日本人のニュースに関するコメントは、日本人でくくらず、「~さん」という「個人」を切り捨てているものが多く、「日本人」としてくくっているものはあまり見ません。 どうして自分が所属している「日本人」というコミュニティに関しては何もコメントしないのでしょうか? 日本人の場合は「~さん」として扱うのならば、 外国の方も「~人」としてその人種を否定するのではなく、「~さん」として扱うべきだと自分は思います。 この差は何なんでしょうか?上のようなコメントをする人たちは、自分たちに甘いような気がします。

みんなの回答

回答No.11

直接の回答ではありませんが。 日本人は自分の周囲に関して話すとき、なぜか「日本人は」ではなく「人間は」と言います。 コメントすることに慣れている著名人ではなく、ニュース報道でたまに一般人がインタビューを受けるときを注意深く聞いていてください。 本人の周囲、あるいは広くてもせいぜい日本人社会の間でしか通じないようなことにまで「人間は」と過剰な一般化をして語っていることがあります。

回答No.10

>この差は何なんでしょうか? 必要な解像度の差です。 近くは細かい事情まで明確にするけど、遠くは漠然としておっても問題ないってことです。 質問者の町内で事件が起きたら、「何丁目何番地のタバコ屋の自販機のところで、、、」ぐらいの解像度で報道してほしいですけど、もしカサブランカで事件がおきたらそこまで解像度高い報道をしても読者にとって意味がない。

  • ueda21
  • ベストアンサー率15% (82/542)
回答No.9

>この差は何なんでしょうか?上のようなコメントをする人たちは、自分たちに甘いような気がします。 自己奉仕バイアスということでしょう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%A5%89%E4%BB%95%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9 そう言う人は、日本の治安とか今まで1位だったスーパーコンピュータとかがあたかも自分の功績の様に語ります。 誰でもそんな傾向はありますがあまり酷いと少し人間性を疑いますね。 どんな屁理屈をつけても正当化は厳しいものが多いです。

noname#159578
noname#159578
回答No.8

国民性の格差が現実にあり、それを認識しているとゆう前提があるからでしょ。

  • kaxuma119
  • ベストアンサー率29% (108/363)
回答No.7

「~人は」という考え方をするような人は自分たちに甘いというより、本質的な自信のないくだらない連中です。ここのサイトで韓国人や中国人を口汚く罵る連中が典型的です。 世の中には、もともと何らかの優越感を持たないと不安でしかたない人たちがたくさんいます。こういう人は、いろいろなものを優越・劣等の対象にします。学歴のこともあれば、身長やルックス、健康状態、運動能力、収入・資産、家柄・・・何でもいいのです。所属国家による差別や優越意識もこれらの一つです。 私はいじめも、このくだらない優越感を満たすためのものだと思っています。誰かを劣等の対象にして、言葉や力でその関係を強化し続けようとする衝動の根源は、現実の自分に自信が持てず、そのままでは自分が霧散してしまいそうな不安にあるのではないかと思われます。

noname#198448
noname#198448
回答No.6

おっしゃる通りだと思います。 では、なぜ外国人をひとくくりにするかというと、よく知らない(もしくは知りたくない)からです。知らないものを、まとめて「○○人は~」というと、わかったようなフリができて便利なのですね。その国の人にそれなりに会って、総合的に指しているように見せかけて、実は全然知らない、でも、言いたいことは言えるって寸法ですから、これほど便利な表現はないでしょう。 そこで、外国人をまとめて、自分たち日本人をまとめないのは不公平だ、ここは日本人も同じようにまとめようぜ、とはなりません。だってそうでしょう。日本の社会ニュースを並べて、「まーた日本人か。日本人は毎日犯罪を起こす犯罪集団だな。どうしようもないな」といっても、不正確な表現であることは、日本人ならすぐわかります。日頃、外国人をこうやってまとめていることがわかって、みんなで落ち込みたいというのならともかく、そんな需要はあまりないでしょう。 ですから、日本人という言葉を日本人が使うときは、抽象的なことや、確認しにくいことに結び付けて、アピールするときです。「日本人は手先が器用で、ものづくりが得意」とか「日本人は礼儀正しい」とか。そうすると自分のことじゃないのに、日本人つながりで、なんだかいい気分になります。これも乱暴にまとめている点では一緒なのに、おかしいですよね。 というわけで、○○人という言葉は悪用がききます。 質問者さんがおっしゃるように、自分たちに甘いです。劇甘です。 でも、それを私達人間は、世界中、お互いにやっているのです。 おそろしいですね~。たまんないですね~。 誤解されたら大変ですね~。

noname#202167
noname#202167
回答No.5

>どうして自分が所属している「日本人」というコミュニティに関しては >何もコメントしないのでしょうか? マスコミは大衆に否定されると 報道の姿勢に注文を付けられ、そのスタイルをやめさせられます。 特に人は、 自分が明らかに属するコミュニティに否定的な情報を受けると それを「裏切り」として過剰に反発する傾向が顕著です。 根も葉もない噂をたててまで相手を排除しようとする者すら居ます。 そうした連中から攻撃されると情報の配信、収集を妨害されたり 普通の業務に集中出来なくなります。 よって、マスコミは 大衆が属するコミュニティに否定的な事は言い難い現実を抱えます。 こうして自分を省みるべき情報が欠落した 報道ばかりを頻繁に見かける様になります。 一部の人が自分を省みず他者否定をする下地になっているでしょう。 そして、 人というのは何らかの不利益の情報を見ると、 動物的に、反射的にそれを区別して避ける習性が有ります。 顕著なのがトラウマですね。 トラウマと言える程でなくても、そういう先入観ができます。 そしてその後に2~3度その意識を肯定されると、 「その考え(価値観)は社会で通用する正しい知識だ」 と勘違いし始めます。  人間(生物)の生きる時間は限られている為、 ろくに情報を精査せずに結論を出してしまう事はよく有ります。 厳密に言えば全ての人が正確に全てを把握している なんて事はありえませんので、程度の差となるでしょうか。 ただし、やはりその背後に事実が有る場合も有ります。  10万人中何人がどんな犯罪を犯すか? などのデータを見ると、 確かに犯罪の多い少ないが見えて来る事も有りますね。 しかしそれでも全ての相手を一括りにして否定するなどは 情報を正しく受け取る事すら放棄している と言えるのでしょう。 最後にもう1つ大きい現実としては、 暴力にまみれて生きて来た人ほど、 客観的に、冷静に情報を精査して吸収する事が出来なくなります。 人は言動いずれかの暴力に苦しみ続けると、 その苦痛に耐える為に慣れ、 自分が受けた暴力と近しい種の暴力を振るう事で 心のバランス、心が壊れない様に保とうとします。 差別的な言葉を頻繁に使う家庭、人間関係の中で育つと、 その言葉を子は真似し、 他者を否定します。 しかし否定された人は苦しくて本人も否定され返されます。 それが苦痛となり親から子へと生活遺伝する結果になります。 自分が差別された苦しみを自爆的に抱え込んだ人は、 他者を否定する事に興奮し、盲目、冷静さを失います。 そして コメント など行動を起こす傾向が有ります。 暴力にまみれずに生きてこれた人は そこに冷静な考えを挟む為、 事実なのかどうなのか考えるなどとなり、 コメント などの行動するまでに至らない事が多いでしょう。 またはあなたの様に考える事になるか。 コメント という目に見えるものが全てではありませんよね。 他人を否定する暴力 を書いている人は 自分も否定される暴力 を受けた人に過ぎません。 わざわざ他人に言動、何らかの暴力をふるう人は 「自分も同種の暴力に苦しみ、誰も助けてくれなかった。」 と言っている様なものです。 今後、心無いコメントを見かけた時は その人がどんな種類の苦痛を受け、抱えたまま生きているか 考える糧としてはいかがでしょうか。 人の心が沢山見えて来ますよ。 少々脱線がちな長文失礼しました。 何かの参考にでもなれば。

  • bfox
  • ベストアンサー率30% (327/1067)
回答No.4

世界全国そんなもんですよ。 日本人が外国で犯罪を犯したのなら、「日本人は~」って言われるますからね。 他の方も回答されておりますが、人種に対するイメージってのがあります。 それを超えて質問者様の様にお考えになれる人がマジョリティになれば、国境や思想、文化を超えて地球人として、戦争の無い平和な世界になる第一歩になるんでしょうね。 しかし悲しいかな現実は「〇〇人は~」というくくりで、ナショナリティが形成されています。 日本人は日本という国と日本人という人種に誇りをもっており、アメリカ人も、中国人もみんなそうです。 いがみ合っている仲でも、対外国という場面に於は〇〇人というくくりで団結するもんです。 結局自分たちに甘いというのではなく、国というくくりがある以上避けては通れない道なのでしょう。 これは日本国内でも同様ですよね。 大きくは地方毎、九州人や大阪人、関東人って具合に。 更に県や市でも同様の思考になります。 私は千葉県民なのですが、学生時代によく千葉は東京の植民地だよね~なんて言われて、千葉県民同士で「んなことない!」と戦ったもんです(笑

回答No.3

 海外で自国の人が殺人事件などの被害にあった時に、「○○人は怖い」との感情が起こることがあります。そのこと自体は否定しませんし、あるいみ当然に抱く感情だと思うのです。自分がその国に行くことになったら「気をつけよう」という気持ちになります。  ただ、その国の人で親しい友人がいれば、「○○人は…」と一括りして過度に悪い感情を持たなくても済むと思います。私自身、この場で名指しで批判を繰り返している国がありますが、個人的には付き合いのある仲の良い友達がいます。国の体制批判と個人との関係は区別しています。

  • attkos
  • ベストアンサー率25% (1/4)
回答No.2

日本人がそのニュースを書いているからじゃないですか? 日本にいれば日本人がみんな悪い人ではないとわかりますよね。 だから日本のことは○○さんが~という表現になるのでは。 外国のことは内部の人々のことまで知る機会が少ないので その国の目立つ行動をする人のイメージがついてしまうのでしょう。 イタリア人の男性は女好きと言われますが、おそらく奥手な男性だっているでしょう。 でも、オープンな人が目立つからイタリア人男性=女好きのイメージになってしまっている。 韓国にも日本が好きな人がいるでしょうが、反日運動などが目立ってしまって韓国=反日=危険。 同じ日本でも大阪のオバチャン=騒がしい・派手好きのイメージになっていますが、 大阪のおばちゃんにだって、清楚なおとなしい方はいらっしゃいます(笑) 詳しく知らないし、知る機会がないからイメージでくくってしまう、ということなんじゃないでしょうか。

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