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友達の『本当の』必要性とは?

日本人はなぜ、友達を大事に とか 友達は少ないより多い方がいい という考えが尊いとされ、受け入れられているのだろうか? 短絡的過ぎると思うのだが。例えば、友達が少ない人間あるいはいない人は、よくないと世間的に認識され、友達が多い人は、よい事だと認識されているのはなぜだろうか? 元凶を辿ってみると、それは教育の問題があると思う。 あなたも小学校に上がる前、「友達100人できるかな」なんていう歌を歌を歌わされたのではないだろうか? 少なくとも私は入学前の幼稚園で歌っていた。今でも鮮明に覚えている。 当時は、子供心に、友達本当に100人出来るのかな?でも出来たら楽しいだろうなーなんて事を考えていた。 当時は内気な性格で、なかなか新しい友達を作る事に抵抗があった。 しかし、そんな自分でも、沢山友達を作って楽しくやりたいなという強い願望も同時に、心の奥底に内在していたかも知れない。 はっきり申し上げたいが あの歌ほど子供達を不幸にし、惑わせる言葉もないだろうと思う。 友達100人出来るかな? 出来ません。 子供達の中には、当時の私のような内気な子供もいる。 そんな子達に無理矢理友達作りに励ませ、精神的に追い詰めるバカな歌やこの狭い共同体である日本ほど罪のある事はないだろう。 友達作りなど、子供の世界だけで、大人の現実社会ではほとんどない。 根本的に言うと 友達って本当に必要だろうか? と疑問に思う事がある。 大人になった今現在の私は、内気な性格でもなく、どちらかと言うと社交的で、言いたい事も躊躇なく言える性格であると認識している。 みんな、教育をバカ正直に信じて思い込んでいるだけじゃないの? と冗談じゃなく、本気で思う。 なぜ人は人と付き合うか? それは、自分にとってメリットがあるからだ。 付き合ってもメリットのない人あるいはデメリットのある人とは付き合わない。 皆、意識的にしろ無意識にしろ、現実的にそうしているくせになぜ本心を語ろうとしないのだろう? 友達は大事だなんてウソでしょ? 人間は基本的に自己中心的な面が大きいと思う。 私もその一人で、どちらかというと99%自己中な人間だと思う。 こんな事ネットでしか言えないのだろうと批判なさる方がたまにいらっしゃいますが、私は平気で飲み会の席でもこういった類いの話、そして考えを表明します。 皆、ドン引きしますが、なぜドン引きするのか全く理解出来ない。 私は友達というのは99%いらない存在だと思う。 では残りの1%は何なのか? それは、自分にとってメリットがあるか? この一点に尽きると思う。 相手が金持ちであれば、奢ってもらったりしゃぶり尽くすようにカンパしてもらったりする。 可愛い女の子だったら、付き合うし、不細工で性格も悪く、自分にとって害になる女とは徹底的に視界から忘れるように努力し、排除する。 世の中の人付き合いは皆、そうだと思う。 私の中には最近まとまってきた人間関係の哲学的考えがある 「自分は誰も信用しない。だが、誰からも信用されなくていい」 人が自分を裏切るのは辛くないし、逆に自分も相手を躊躇なく裏切れる といった感覚に近いかも知れない。 また、人は一人では生きていけないのも事実だ。 逆説的に聞こえるかも知れないが、人は人同士、支えあってしか生きていけない。それが国家や社会と言ったマクロレベルの話か個人的なミクロレベルの話かの違いなだけだ。 要するに、使える人間は骨の髄までしゃぶるぐらい使えばいいし、使えなくなったり最初から使えない人間は切り捨てるなりなんなりすればいい。 使えなくなった家電品を、粗大ゴミに出すのと同じだ。 そしてまた新しい家電品を買う。 これが、人間関係でいう新しい出会いに相当する。 家電品を貰ったり売られたりする。 これが、人間関係でいう紹介に相当するだろうか? 私は友達を作るという感覚がよく理解出来ない。寂しいから作るのだろうか? 寂しいなんていうのは暇人な証拠だろう? 今は暇を持て余すツールがいくらでもあるのだから、利用すればいいのにと思う。 私にも友達は少なからずいる。 彼らはまだ使える家電品であり、使えなくなったらさっさと廃棄処分し、また新たな家電品を探しに行くだろう。つまり人脈作りだ。 当然、私自身もそのリストを背負っており、向こうも私を捨てる日が来るかも知れないというのは言うまでもない。 当然の事だからです。

みんなの回答

  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2217/11177)
回答No.2

寂しいときに必要な人、 悩んだときに必要な人 楽しむために必要な人、 他人に何かしてあげる喜びをえるために必要な人 一人ではできないときに、補助して貰う人 判らないことを教えて貰う人 つまらないことの話し相手、 自分の周りに存在するだけの人 暇つぶしに付き合ってくれる人 以上どれか1つでも当てはまれば友達です。 友達は、多くても、少なくてもどちらでも良いと思います。 利用したり、利用されたりするのが友達と思っています。 害がある人は、友達として、私の心の中に登録されていないので、切り捨てる友達はいません なので、裏切られることはありません。 いろんな都合で、自然消滅する友達はいます。 友達は、いなくても生きていけます、 友達が多い方が楽しいことは多いです。

回答No.1

長いの 全部読めませんでした。 「友達をつくる」ということが「目的格」なのか「手段格」 なのか、ということかもしれませんね。 あなたにとっては「手段」ですね、作ること自体は目的 ではなさそうです。 でも ある人にとっては「目的」かも。 友達との関係をよろこび、楽しむ、そのために 友達をつくるのかも。 「ともだち百人」もおなじこと。あなたの言う通り 「人脈・道具」としての「関係づくり」とも捉えられます。 生物学的には多分「群れをなして生きる」タイプですよね、 人間は。その「本能」に「高度な知性や知識」が加わり 「人間社会」が形成されています。 その意味では「自分に得があればこそ人間関係を構築する」 という考え方は間違ってないんじゃないですか。

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