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自殺って何故「イケナイ」?
何で自殺が悪いっていうんでしょう? 勝手に生み出されたのだから死ぬ時ぐらい自分で好きに決めてもいいと思うんですけど… 周りに迷惑かけるとか自分が死んだら誰か悲しむとか、そんなの考えもせずに死ぬ人ってのもいないと思うんですけど、やっぱり自殺するにはそれなりの覚悟があってすると思うんですよ。 そういう「覚悟」を否定するのってどうなんでしょう? みなさんの意見を聞かせてください。
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再びです。 >えーと…あくまで個人的な考えなんですが「イジメを苦に自殺」とかってありますよね? そういうのって人生の負けっていうか「自分はいらない人間」みたいに考えちゃって死ぬケースって多いと思うんですよ。それで自殺してしまったあとに「死ぬ必要なんてなかった」とか「あの子は弱かった」とかそんな言葉で片付けられる程度の「覚悟」なんて決してない…はずなんですけどねぇ たしかにそうですねー。 私の意見を書いておきます。 >イジメを苦に自殺」 これはただの新聞屋の決り文句ですね。 僕としては、いじめが苦、というよりも その先の、なんと言うか、人間の醜さとか、意味のなさ? そういうものに気づいてしまった子が死んでる、という気がします。 たとえるに、「イジメを苦に自殺」、なんて軽薄な対応しかしない世間もろともばかばかしくなったのだろうといつも思います。 苦しい、だけではなかなか自殺まで行かない、というのが僕の見解です。 >「自分はいらない人間」 なかなか、絶対に必要な人物なんていないんですけど、 そういうことに気が付けば死なずにすんだのかな? とも思いますね。 必要な(いる)人物ってたとえばどの人なんでしょうかね? こういうのも軽薄な世の中のせいだと思いますがね。 >「死ぬ必要なんてなかった」とか「あの子は弱かった」 僕としては、こういう軽薄な意見はとても嫌いですね。 そしてこういう低レベルな発想の世間にも責任のいったんはあると思うのです。 というわけで、馬鹿みたいな大人の低俗な道徳が悪い、という意見です。 あなたがおっしゃる「否定」を特にしているのは彼らでは??
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- kennys
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>せめて「共存」と言葉を選んでもらいたかったです。 killing-dollさんのご指摘どおり、「共存」の方が正しいですね。 ただ、私としては、「共存」という言葉を使った瞬間に、むりやり自分の土俵に連れ込む気がしていやだったため、「生かされている」という言葉を使用しました。本来「共存」というのは支えあって生きるという意味合いです。従って、片方が自殺することにより、支えを失った方が最悪死に至ることも想定しなければならないものと考えます。その言葉により、論旨としては完結するのですが、事例を挙げて間接的に「共存」という事を表したかったため、敢えて使用を避けさせていただきました。 >自殺未遂を経験したのは自分だけだとお思いですか? >思い上がりですね。自分は他人が自殺してそれほどショックとは思いませんし、自殺が他人に迷惑をかけるなんてはじめからわかっていることでしょう? 自殺未遂が私だけとは思っていませんし、思い上がっているつもりは全くありません。 が、killing-dollさんの「自分は他人が自殺してそれほどショックとは思いません」の言葉には、正直なところ唖然としました。最初のご質問の最後に何とか書かれていますか?「みなさんの意見を聞かせてください。」でしょう?あなたが「他人の自殺」について、どう感じようと私の感じ方や意見とは関係ないことです。killing-dollさん自身が「他人(友人)の自殺についてそれほどショックと思わない」方であれば、理解不能かもしれませんが、自殺する人が想定していた範囲外においても、極めてショックを受ける人もいるのだから、そこにまで思いをいたらせる事はできない。よって、他人への迷惑を全て考えているとはいえないという主張を思い上がりであるかのように書かれるのは極めて不本意であると言わなければなりません。何故なら、それが私の経験であり、「他人(友人)の自殺についてそれほどショックと思わない」killing-dollさんでは恐らく経験し得ない事であるからです。
補足
再び回答ありがとうございます そうですね、失言でした 本当に申し訳ありません 結論的に言ってしまえばやっぱり「人それぞれ」なんですよね 自分みたいなのも含めて 「価値観」…個人の「ものさし」の目盛りや重さの違いですね そう考えると人間って難しいものです
- bobstar
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>そういう「覚悟」を否定するのってどうなんでしょう? 自殺は「覚悟」でなく「あきらめ」だと思いますよ。
- kazeninaritai
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短い意見ですが言うに値すると思い発言します。 「自殺は悪い」としておかなければ、中途半端な覚悟の人間まで簡単に命を絶ってしまいます。 まだ、覚悟を覆せる人間を思いとどませるためにも、声を大にして言いたいです。「自殺は悪い!」 軽い気持ちで「死」を考える人間に「死ね」といいますか?だれがその覚悟の大きさをわかってあげるんですか? 苦しまずに生きてる人はいません。 私は虐めによる自殺未遂経験者です。でも過ぎてみればあんな行為をした自分の精神的未熟さに笑えます。その「覚悟」を決めた人たちは本当に将来その覚悟を笑えるほど成長できないんでしょうか?それは誰にもわかりません。生きてみるしかないんです。
この手の質問に、安直に答を出すべきではないでしょうし 決まった答というものないでしょう。 でも、議論していくのは意味があることだと思い 参加させて頂きます。 高校時代からずっと仲のよかった親友が30歳直前で自殺しました 当時、私はかなりショックを受けました。 友人の私でさえこれだけのショックですから ご家族の方の受けたショックには図り知れないものがあります。 だから、当時は理屈なしに「自殺は悪い」と思っていました。 しかし、それから10年近く経った今では、こうも思います。 親友は生きていることが苦しかった訳で 回りの私達が「苦しくても頑張って生きて」というのは ある意味、残酷な願いなのではないか? それが例えご両親やご兄弟の願いであっても。 よく、親から貰った命、とか 天から授かった命、という人がいます。 それはそれで否定しませんが それも、信仰のひとつにすぎないと考えます。 信仰の押し付けは慎むべきです。 私は現在、悩みつつも、以下にように考えます。 他人様の生き方(死に方も生き方の一部です)に 安易に口を挟むべきではない。 それは他人の自由の侵害にもなりうる、という認識が必要であろう、と。 例え親から貰ったものでも、天から授かったものでも 命は「その人」のものであると思います。 だから「その人」の「決定権」は尊重すべきです。 (だからといって他人の生き方に絶対口を挟んでは イケナイ、とは言いません。分をわきまえた上で 気持ちを伝えるのはイイことだと思います。) ただし、この問題には個人的な視点だけではなく 社会的な視点も必要だと思うのです。 社会的に自殺を容認する風潮になると、おそらく自殺が増えます。 自殺は駄目だ!という現在でも、自殺者は出るのですから。 後追い自殺、みたいなことは今でもありますが それだけでなく、勢いで死んだり、冗談で死んだりする人も出てくるでしょう。 それは多分「命」の軽視につながっていくように思います。 社会的には、それはよくないコトだと思います。 死はやり直しが出来ません。 だから、社会は「死」に対して高いハードルを設けるべきです。 自殺も、他殺も、です。
- hirakawa
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自殺に対する私の考え方はこうです。 意識的ではないにしろ、天文学的な数の精子の中の一固体が、毎月捨てられていく卵子とがめぐり合い、この母親から生まれたいという天の意識によって生まれてきたのですから、自分は勝手に生み出されたのではないと思っています。ですから、生まれた人は、自らが生まれてきたいと天の意識で思い、本人が父母を選んで生まれてきたのだと思いますので、決して勝手に生み出されたとは思いません。 また、生存本能や、種族保存の本能も、神?から与えられたものだと思います。 ちなみに、私は特定の宗教を信仰しているわけではなく、一般的な日本人の宗教感を持っています。 「神」は、「自然」と、訳して頂いて結構です。
- adelaide
- ベストアンサー率37% (184/497)
こんばんは 他の方のご回答に「日本には自殺が悪いなんて言っている宗教思想はない」とありましたが、浄土真宗では自殺は禁じています。 また、宗派がわからず、数字の点でははっきりとしないのですが、自殺した魂は地獄へ行き、(確か)75年間そこで苦しまなければならない・・・と聞いた事があります。 極楽浄土へは行けないんですね。 自殺と言う行為は、天(宇宙)から与えられた命を粗末にする行為で、天に唾することであり、最も罪深い訳です。 わたしは14歳の時と、34歳の時に友人を自殺という行為で亡くしました。 2年前と3年前にはごくごく親しい友人を病気で亡くしました。その際、ショックが大きく、鬱になって神経科に通い、しばらく薬を飲んでいました。仏教的な思想に興味を持ち始めたのはその頃で、しかしながら勉強不足で上記の情報も確実ではありません。 でも、病死した友人二人の死に際し、霊的な体験をした為、魂の存在を確信するようになりました。 立花隆氏の「臨死体験」など読むと、ますますその感は強まります。 今、生きている現世は、魂を磨く場であり、あの世(極楽浄土)へ行った時、その行いによって魂のポジションが前世より高くなったり低くなったりするそうです。 そして、魂をより高いポジションにもって行く為に、またこの世に生まれ変わり、「修行」する訳です。 わたしは、信心深い仏教徒でもなんでもありませんが、この考えが、今、自分がいちばん納得できる考えです。 では、他の宗教ではどうなのか、これから勉強しようと思っています。 ちなみに、人は、「勝手に生み出された」のではないそうです。生まれて来る時に、自分で両親を選んでこの世に生まれるそうです。 killing-dollさんは、今まで身近な人の死に接した経験が無いのではありませんか? また、生き物が生まれる「生」に接した経験もないのではありませんか? よかったら「臨死体験」とか、死に関する本を色々読んでみて下さい。そして、色々な角度から死と生に向かい合ってみて下さい。 「自殺」という行為は、自分という存在を全否定する訳ですよね?自分で自分を否定しておいて、他人から否定されても、それは仕方が無いと思います。 また、「覚悟」という貴重な言葉をあてはめるには、武士道等の勉強も必要かと思います。 逆に考えれば、生きていくという事は、それだけ厳しいことだと感じています。
- netcatme
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単純に社会・風俗の問題だと思っています。 重婚・浮気・売春などの性道徳と同様に普遍的な理由などないのではないでしょうか。切腹のような名誉のための自殺を認めていた社会(法的には認めていなかったようですが)では許されることです。 人間は社会的動物です。現在の社会では、自殺をするのも、自殺をしなければならないような状況も問題視するべきものだと思います。生命の尊厳とか、生きる苦しさと言うものと戦う姿勢とか、が「自殺するにはそれなりの覚悟」に優先される時代だと割り切るべきではないかと思います。 誰もが自由に幸福に天寿を全うするのが最大の目標であり、最大の正義である時代なのだと考えます。
- azicyan
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ちなみに 自殺する動物は、います。 たしかレミング。 ■「集団自殺」の真相は? レミングやハタネズミの仲間は、3~4年周期で個体数が増減を繰り返すことが知られています。旺盛な繁殖力で急激に個体数が増加したかと思うと一気に減少してしまうあたりが、「集団自殺」説のいわれでしょう。 個体数が急激に増えると個々のテリトリーが狭まるために、他の個体との緊張が高まります。食料も相対的に不足するのでレミングたちは互いに攻撃的になり、殺し合いに至る激しい争いが発生するようになります。まずはこの抗争が個体数減少につながる原因のひとつです。 また、このように生息環境が悪化すると、一部の集団が新天地を求めて集団移動することも知られています。この集団移動中に多くの個体が死に至ることも、個体数減少の大きな要因でしょう。そういえばテレビゲームの『レミングス』でも、誘導に失敗すると集団で次々と谷底へ転落してしまったりしますよね。彼らはこうやって、個体数増加→抗争および集団移動→大量死→旺盛な繁殖力で挽回、というサイクルを繰り返しているのです。 というわけで、人間の自殺とはまったく理由が違いますね。生きようとした結果の死、のようです。
補足
回答ありがとうございます 自殺する動物っているんですね! この集団自殺ってミジンコとかの雌雄性と対になる行為ですね。食物連鎖もまた然りでしょうけど。 生きようとした結果の死……悲しいものですね このレミングの場合はどうしようもない習性(?)だろうとしても。
自殺する人「だけ」が悪いとは思いません。(まわりに原因があるはずです) 戦争等で虐殺される前に自ら死を選ぶ人を「いけない」なんて思いもしません。 また、他人を助ける為に自らの死を覚悟するのも理解できるものがあります。 でも、生きる為の努力を怠った人と思える方もいます。 そういった人を美化することは「いけない」と私は考えます。 死は全うしてこそ貴いもの。それこそ困難を乗り越え、天寿を全うできたことこそ尊いと思うのですが。 私の意見はこんな感じです。
補足
回答ありがとうございます >自殺する人「だけ」が悪いとは思いません そうですね。でも、貴方の考え方ですと、やはり自殺者も少しは「悪い」になるんですよね?まぁ、「悪い」の基準にもよりますけど…。確かに自殺者は大概周りに原因がありますね。 >生きる為の努力を怠った人 生きるための努力って果たしてなんでしょう?その努力が否定されたらどうしたらいいんでしょう?決して美化するつもりはありませんが、そういった人たちの事も考えられたら…って思います。 >天寿を全う これも最終的には個人的な価値観にすぎませんね。 最後には自己満足と。
- kennys
- ベストアンサー率24% (26/105)
以前も類似の質問が出て、自殺幇助の可能性があるという理由で削除されていました。 さて、本論ですが、 >勝手に生み出された ものすごい思い上がりですね。勝手に生み出されて勝手に育てられて、、、ですか?育てられていく過程で自分の意志はなかったのですか?だとしたら、おめでたくも何も考えていなかったと言う事を自ら認めている事ですよね。「そういう事を考える事自体生きている証」です。又、「周囲の人によって生かされている」という自覚がなさ過ぎます。 >そういう「覚悟」を否定するのってどうなんでしょう? 再度、「そういう覚悟ができる事自体生きている証」なのですよ。 私は子供の頃、自殺しかけた事がありました。それ以外にも「死にたい」と思った事は何度かあります。が、経験上、「死にたい」時には周囲の事は見えなくなるもんなんですよ。自分が死んで誰かが悲しむと言う事よりも、「生きていたくない」という意識が先走ります。 高校時代の友達が(四年間連絡無しでいたのですが)自殺した時には、私は一年以上、立ち直れませんでした。四年間連絡取らずとも、それだけショックを受けるとは彼も予想していなかったと思います。 宗教を持ち出している方もいらっしゃいましたが、日本にある程度浸透している儒教にも、「親を残して子供が死ぬのは最大の親不孝」という考え方があります。 安楽死については、私は必ずしも否定するものではありません。本人のみならず、周囲の人も覚悟の上の決断でしょうし、私も経験ありませんので。 経験もない人の表層的(想像、想定のみ)な議論で自殺を肯定する(あるいは反対しない)と言う事だけは、断じて許されるべきものではありません。
補足
回答ありがとうございます >育てられていく過程で自分の意志はなかったのですか? 意志はありましたけど、それを認められたことはほとんどありませんでした。「考えていない」と「考えられない」は全く違うものでしょう?そういうのを「おめでたい」で片づけられてしまっては自分も立場がありません。 周囲の人に「生かされている」のではなく、せめて「共存」と言葉を選んでもらいたかったです。 自殺未遂を経験したのは自分だけだとお思いですか? 思い上がりですね。自分は他人が自殺してそれほどショックとは思いませんし、自殺が他人に迷惑をかけるなんてはじめからわかっていることでしょう?
補足
再び回答ありがとうございます >絶対に必要な人物なんていないんですけど、 そういうことに気が付けば死なずにすんだのかな? とも思いますね。 必要な(いる)人物ってたとえばどの人なんでしょうかね? こういうのも軽薄な世の中のせいだと思いますがね。 そうですよね。結局は今までの大人達が作り上げてしまった世の中(一般常識、概念)が悪いんでしょうね。 自分もこの意見には賛成です。 馬鹿な大人だけではないんだろうけど馬鹿な大人のほうが多くて、そんな大人に育てられてしまった子供もやっぱり馬鹿になる…。悪循環ですよ。 >あなたがおっしゃる「否定」を特にしているのは彼らでは?? その通りだと思います。 結局はそんな大人達は自殺した子のことを本当は何もわからないってことになりますよね。 「話してくれなかった」とかそういう意見は正直腹が立ちます。なら「気づいてやれ」よ!みたいな(笑) いや、冗談じゃなくて。やっぱり1人だけでも心から親身になって話を聞いてくれる人がいれば、その子の未来は絶対違ったのに…って考えてしまいますね。