• 締切済み

自殺に対して・・・

すごーく基本的な質問かもしれません。(すみません) やはり、人間が「自殺」をしたということはすごい(良・悪の意味で)ことなんでしょうか。 大変なことをしたんでしょうか。 自殺された遺族側にとってはどういう思いなんでしょうか。 友人や知人、周りの人はどういう心境でしょうか。 最後に・・・ 「自殺」というのは悪いことでしょうか。。。 「自殺」というのが社会問題になっている中、皆さんの多様なご意見を伺いたいと思っています。 宜しく御願い致します。

みんなの回答

回答No.7

家族も友人もいない・もしくは 理解してくれていないとき、 自殺したくなるんです。 泣いてくれるような人がいるなら自殺は出来ないでしょう。 できるなら病気ですよ。 自殺したって誰も悲しまないし 誰もが喜ぶんです。 いじめの被害者はみんなこう思いながら死ぬんです。 自分勝手なんかじゃありません。 甘えてなんかいません。何所にも甘えられる人なんていません。

noname#234035
noname#234035
回答No.6

自分以外の人の為に敢えて死を選ればざるをえない場合は、悪ではないと思います。 自分勝手な理由で自殺する場合は、悪ですね。 でもいずれの場合でも遺族や友人は、多大なショックを受け、一生引きずるでしょうね。 ですから、凄いとかではなく、人の人生を巻き込むと言う結果を残してしまう行為だと思いますが。

  • ebihunyai
  • ベストアンサー率28% (248/857)
回答No.5

他の方の回答を読みながら思い浮かんだのは、JR事故で亡くなられた男性の婚約者であった女性が後追い自殺されたことです。 突然の事故で愛するひとを失った悲しみから抜け出せなかったことは、本当にお気の毒で、それほどに辛かったのかと思いました。 (正直、すごいな、と思いました) それに対して良いとも思わないし悪いとも思えません。 私としてはそこに運命のようなものを感じるだけです。 ご両親の悲嘆を思うと良いとは言えませんね。 また事故死された婚約者も「俺の分まで幸せになってほしかった」とあの世で困ってるような気がします。 妙な回答ですみません。

  • saray
  • ベストアンサー率19% (29/148)
回答No.4

これを読んで考えてみて… とあるマンション・とある部屋の前。 異臭が漂う玄関先で、一組の夫婦が私の到着を待っていた。 「お待たせしました」 と駆け付けた私に、 「どうも・・・」 と、軽く頭を下げる男性。 それに対し、女性の方は、 「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」 と、泣きながら私に何度も頭を下げた。 故人は若い男性、夫妻の息子。 学生だった故人は、両親を田舎に置いて都会で独り暮らし。 生計は、実家からの仕送りとアルバイトで成り立たせていたようだった。 二人は、部屋の中を未確認。 漂う異臭だけでいっぱいいっぱい、とても中を確認できる状態ではなさそうだった。 「とりあえず、中を見てきますからちょっと離れてて下さい」 と、私は首にぶら下げていたマスクとポケットにネジ込んでいた手袋を装着し、二人を遠ざけた。 そして、玄関ドアを小さく開けて自分の身体を滑り込ませると、急いでドアを閉めた。 「あ゛ー・・・」 見慣れた光景とは言え、私は、その凄惨さを無言で受け入れることはできなかった。 既に、腐敗液は玄関の上がり口まで到達。 それを踏まずしては奥に進めないため、脂で滑りやすい汚染床の上を、壁に手をついて身体を支えながら慎重に歩行。 「そういうことか・・・」 視線を上げると、キッチンと部屋を隔てるドアの上部金具に皮ベルトがシッカリと固定。 それは、そんなに高い位置ではなく・・・故人は、意図的に自らの体重を首に掛けたものと思われた。 床には、大量の腐敗物が広がり、おびただしい数のウジが徘徊。 その光景は、とても両親に見せられるものではなかった。 「なんで自殺なんかしちゃったんだろう・・・年齢的にも身分的にも、他に逃げ道をつくりやすかっただろうに・・・」 若年、しかも学生の身の上での自殺に、釈然としない疑問を感じた。 しかし、自分のその頃を思い出し、すぐに「自分のことを棚に上げている」ことに気づく私だった。 「本人にしか分からない事情があったんだろうな・・・」 自然死は「早い・遅い」を言われがちだけど、自殺には「早い」も「遅い」もない。 もちろん、人生の価値や生きる意義は、人生の長短で測れるものでもないと思うけど、自殺は全く別次元の問題。 若年だろうが老年だろうが、そうそう受け入れられるものではない。 一通りの現場観察を終えた私は、両親の待つ玄関前に戻った。 不安そうな女性と怒ったような顔付きの男性が、私を待ち構えていた。 父親は、息子が死んだ悲しみより、その理不尽さに強い憤りを持っているみたいで、不機嫌そうに憮然。 一方の母親は、悲しみと動揺でオロオロしっぱなし。 そんな二人の心境は、私にも痛いほど伝わってきた。 私は、鼻口に着けていたマスクを外し、中の状況を報告。 「一応、中を見てきましたけど・・・自殺・・・ですか?」 「・・・ええ・・・」 男性は、認めたくなさそうな表情で渋々頷いた。 「失礼を承知で率直に申し上げますけど、かなり悪い状況です」 「・・・」 「目に見えてるところもそうですが、流台の下や床下まで汚染されている可能性も大きいです」 「・・・」 「まずは、特殊清掃と消臭消毒をしないと、どうにもなりませんね」 「・・・何とかなりますか?」 「最終的には、全面リフォームになると思います」 「そうですか・・・」 そのやりとりの最中、男性は表情を強張らせ、女性は両手で顔を覆った。 私は、故人が残した遺品・貴重品類を探し取り出すため、再び部屋に入ることになった。 物理的にも精神的にも、夫妻が部屋に入るには酷過ぎる状態だったから。 「ちょっと行ってきますから、しばらく待ってて下さい」 私は、マスクを装着し直して再び部屋に入った。そして、遺品・貴重品類を探した。 1Rマンションの独り暮らしだから、家財・生活用品も大した量ではなく、だいたいの貴重品類は一つの小引出しにまとめられていた。 そこからは、財布・預金通帳・保険証・写真etcがでてきた。 更に、財布の中には現金の他に免許証・学生証・カード類。 また、別の引出しには、まとまった量の手紙があった。 「随分とたくさんの手紙があるなぁ」 手にとって見ると、差出人は両親、つまり玄関の向こうにいる二人だった。 都会で独り暮らしをしていた故人を案じてのことだろう、その手紙の数は、息子を想う親の気持ちを如実に表していた。 子供を育てるのを?自己犠牲?とする親はなかなかいないだろう。 ただ、そうは言っても、一人の人間を育てることは並大抵のことではない。 そこには、並々ならぬ汗と涙が伴ったはず。 そして、故人も、それに気づかないではなかっだろう。 なのに、それを超えて自死を選択した故人・・・私は、ザワつく感情を抑えながら、貴重品探しを続けた。 気温が高いわけでもないのに、そのうちに、額から汗が滲み出てきた。 次第に汗の量は増え、床に広がる元故人に向かって滴り落ち始めた。 また、汗は目に入りその塩分が涙を誘発。 目からは感情の伴わない涙が溢れでて床に広がる元故人に向かって滴り落ち始めた。 やりきれない悲哀と虚しさを感じながら、その汗と涙と両親の想いを重ね合わせ、亡くなった故人に何かを強く訴えたい衝動に駆られる私だった。 自分の命は自分だけのものではない。 母の胎に宿ることも、生まれ出ることも、育つことも、寿命を定めることも、全て自分で力でなしていることではないから。 その本性・本質として、人はもともと自分のためだけに生きるものではないような気がする。 自分の快楽を第一にしているから、ちょっとしたことに虚無感を感じる。 全ての基準を自分に置いているから、些細なことにつまずく。 自分のために生きようとするから、生きているのが辛くなる。 しかし、人は人のために生きなければならない時があると思う。 人は人として、誰かのために生きなければならないものだと思う。 そしてまた、人のためだったら生きられることもあると思う。 「情けは人の為ならず、巡り巡って己が為なり」 そんな人生に流れる涙と汗は、人生の苦悩をも洗い流してくれる。 それを信じて、明日も生きるしかない。 http://blog.goo.ne.jp/clean110/s/%BC%AB%BB%A6

  • R32-RX-7
  • ベストアンサー率22% (175/762)
回答No.3

普通の人の考えからですと多くの場合 「生きたくても生きられない人がいるのに自殺なんて非常識!」 「本人は辛くての事もあるだろうけど、残された周りの人の事は考えないのか!」 という感じで自殺=悪 かと思います。 私は死を意識した事があります。 その時は 「もう何も考えたくない」 この一心で周りの人が悲しむとか、そんな事は全く関係なくなっていましたね。 考えはしましたけど、それでも死にたいと思ってました。 その時に 「生きててくれればいいから、死ぬな」 と止めてくれた人がいたので留まったのかもしれないです。 (実際飛び降りようとした橋から下を覗いたら怖くて降りられなかったんですけどね) もし、私が死んでいたら親は罪悪感(助けられなかったという思い)と深い悲しみに襲われていた事と思います。 むしろその影響で親も弱って死んでいたかもしれないですね。 同居しているおじやおばは私の心配よりも「近所の人に変な目で見られるじゃないか(あそこの子は自殺したんですよーと言われる)」的な世間体を気にしそうですね。 自殺した人の本当の味方であれば罪悪感や深い悲しみに襲われ、 そこそこの仲の人であれば非難の念を抱きそうですね。 また、友人であれば 「何で相談してくれなかったんだろう」「どうして気付いてあげられなかったのだろう」 など、人によって感じかたは様々かと思いますね。 やっぱり、一番悲しいのはその人がもう存在しなくなるって所でしょうね。 私も大切な人が死んでしまったら 「もう会話できないのか」 「笑顔も見られないのか」 「・・・できない」 という事がたくさんあると思います。 心を病んだ事のある人にしか理解されない気持ちかもしれませんが、 苦しみから「解放」されるための自殺であれば、 私は完全なる悪ではないと思っています。 結局周りには 「あいつ弱いから死ぬ事で逃げたぜ」 などと言われると思いますけど、 それでも逃げる事が必要な人も少数いるかと思いますね。 ですけど、総合的な私の意見ですと 「結局いつかは絶える命を自ら絶つという事はとても悪い事」 ですね。

回答No.2

「自殺」について私の思っている事を書くので聞き苦しい点もあるかと思いますが、ご容赦願います。 >やはり、人間が「自殺」をしたということはすごい(良・悪の意味で)ことなんでしょうか。 自殺をした本人がスゴイ事をした、とは思いません。 意思がある人間なら誰でも出来る事ではありますから。 死を選ぶ決断をするという事よりも、周りから見て死んだ方がいい、と思うような状況から活路を見いだして生きる事の方が遥にスゴイ事だと感じます。 まぁ大変な事をしたという点に関しては、周りの人間からしてみたら、大変な(迷惑な)事をした、という事になるでしょう。 >自殺された遺族側にとってはどういう思いなんでしょうか。 友人や知人、周りの人はどういう心境でしょうか。 幸いにも回りに自殺した人間が居ないので、推測で答えます。 近しければ近しい程、親しければ親しい程、死んだ人間に対し思いが募るのではないでしょうか。 「あの時声をかけていれば・・・」「あの時もっと話し合えていたら・・・」死んだ人間に対して自分は何をしてあげれば良かったのか、何をしてあげたのか真剣に悩むでしょう。少なくとも私はそういう気持ちを持つと思います。 >「自殺」というのは悪いことでしょうか。。。 私は悪い事ではないと思っています。 自分の人生の幕を自らが引く、自殺は自分のみに許された権限で、人生においての選択肢の一つだと思っています。 私は恐らく自殺しないだろうと思っていますが、もしかしたらこの先、死んだ方がマシだとか、死んで逃れたい、と思う事があるかもしれません。 その時は冷静に選択肢の一つとして考えたいと思っています。

  • guguku
  • ベストアンサー率26% (118/450)
回答No.1

こんばんは。 私は自殺がよいこととはいえないですが、悪いことともいえないと思います。ただ自殺してしまった、と言う状態があるだけです。 私も若い頃、うつ病で半ば本気で自殺を考えていました。でも人間はやはり生存本能があるのか、本当になかなか自殺はできませんでした。すごく自殺したいと考えていても、高いところはやっぱり怖いし、車に轢かれそうになったら自然によけてしまうし。正常な頭ではやっぱりできないと思います。 自殺は自殺することに取り付かれて正常な判断ができなくなった頭でないとすることができないと思うのです。「自殺できてしまった」のね、って感じです。病気の果ての残念な結果だと思っています。ですからそこにいくまでに誰かが助けないとだめなんだと思っています。 あくまで私見ですが、参考になれば幸いです。