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戦国の三英傑は、一堂に会したことがあったでしょうか
戦国の三英傑――信長、家康、秀吉は、ふたりでは何回も会っていたようですが、三人で一堂に会した、ということはあったのでしょうか。あったとしたら、いつ、どこで、だったでしょうか。 明記した資料があれば、教えていただけますか。
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質問者が選んだベストアンサー
長篠の戦いには三名参加しているので、軍議で会っていると思われます。 元亀元年10月 志賀の陣 では各種資料に、家康 秀吉が 信長のもとで戦ったと書いてあるので 会っているかと ※ 姉川の戦いの直後になります
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noname#155097
回答No.4
>一堂に会した というのは対等の立場に対して使う言葉なので、 信長の部下である秀吉が、 (草履取りから方面部隊長格ですから) 信長、家康との対面の末席に座っていたとしても (その可能性は高いと思いますが) それは一堂に会するとは言わないと思います。
- simanagasi
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回答No.3
手持ちの資料を漁ったのですが確認できませんでした。 小説とかドラマ、状況証拠ならありますけど・・・。 資料を教えてくれですもんね質問は(^^;)
質問者
お礼
資料はないですよね。僕もいろいろ漁ってみました。 回答、ありがとうございます。
- Willyt
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回答No.2
何回も合ったどころのハナシではありません秀吉は信長の部下、家康は同盟大名ですが、部下のようなものでした。特に姉川の合戦では浅井長政が寝返ったために信長は風を食らって遁走し、家康と秀吉は協力して殿軍を務め、九死に一生を得たことがありましたよ。
質問者
お礼
回答ありがとうございます。 三人で酒を飲みながら談笑、という場面を想像したのたですが。身分が違って、無理でしょうね。
- manoppai
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回答No.1
金ヶ崎の引き際とか、あと秀吉は、すでにのぶながの上洛の段階で京都の重要な行政官になってたから、結構あっていたかもね
質問者
お礼
そうなんですよね。会っていたかも――という状況はちょいちょいあるんですね。 回答ありがとうございます
お礼
回答ありがとうございます。確たる資料はないが、状況証拠から見て、ということでしょうね。長篠の戦いの勉強をします。