• ベストアンサー

イラク戦争が始まる前に

イラク戦争が始まる前に国外に退去していたイラク人がかなりいましたが。 祖国が危機の時にあっさり逃げ出した訳ですから、あれは卑怯な行為なんでしょうか。それとも賢い選択なんでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.7

こんにちは。 なかなか難しい問題だと思います。 一般のイラクの方々をテレビなどで見る限りで感じたことなのですが、 国内にとどまった方々のなかには、国を守る意識よりも、 自分たちのいままであった生活環境を守るために、生命の危険というリスクを背負うのはやむを得ないと思われたように感じました。 ふと太平洋戦争の折の空襲の時間帯に防空壕に逃げたり疎開せず自宅に頑として居続けた年配の方々がいたということを思い出しました。 あまり似たような事例ではないかもしれませんが、どこか共通するような気もします。 国外に退去された方々は、そういうことよりも、もっと現に持っている生命の危険をできる限り避けたい、 そのためには、今までの生活を捨てることもやむを得ない。 周囲になんと言われようと生命を今維持することで、ひょっとしたら戦争が終わった祖国できることがあるかもしれない。 少なくても戦争では死にたくないという思いが国内にとどまった方々よりも比較的強いのかなと思いました。 個人的には、どちらとも卑怯な選択とは思ってはいません。

pinorin
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >少なくても戦争では死にたくないという思いが国内にとどまった方々よりも比較的強いのかなと思いました。 まあ普通の人だったら、戦争で死ねるなら悔いはないという境地には中々なれないでしょうからね。

その他の回答 (6)

noname#5502
noname#5502
回答No.6

民主主義が有効に機能している国家であれば、「祖国が危機の時にあっさり逃げ出した」行為は「卑怯」と評価されます。それが国際的には「普通」だと思います。 イラクの場合はフセイン独裁体制だったので、全然卑怯ではありません。 我が国の場合は、敗戦後「愛国心」がなくなるような教育を続けてきましたので、「卑怯ではない」という思想がまかり通ってます。人それぞれ考え方は異なりますし、どう考えても自由ですが、それは国際的に見て特殊だということは知っておく必要はあると思います。

pinorin
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >民主主義が有効に機能している国家であれば、「祖国が危機の時にあっさり逃げ出した」行為は「卑怯」と評価されます。 そうなのかもしれないですね。でも、民主主義が機能しても一部の権力者の思惑で戦争が起こされてしまうことがありますね。「卑怯」の評価も生きてさえいれば後にその評価を覆すことも可能ですし、まあとにかく命あっての物種なんじゃないでしょうかね。

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.5

公的な職務についていない限りは個人の自由ですね。もちろん徴兵義務などがない場合です。 ただし、国外に逃げればすべてを失うことも覚悟しなければなりませんね。財産もさることながら、社会的地位もです。 よく亡命政権というのがありますが、各国の歴史を見ると亡命政権が、戦後に復帰して政権を樹立できた例は必ずしも多くはありません。フランスのドゴールなどは例外中の例外でしょう。アフガンのカルザイや東チモールのグスマンなどは後ろ盾があるから政権樹立できたのです。早い話が傀儡です。 やはり実績を作ることが必要なのです。自国で抵抗運動をやってきた連中の方が、社会は認めるわけですよ。これはなにも政権を狙うかどうかだけの問題ではないでしょう。その他のいろいろな社会的地位にしても同じことです。 その上で賢い選択かどうかは考えるべきでしょう。

pinorin
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >ただし、国外に逃げればすべてを失うことも覚悟しなければなりませんね。財産もさることながら、社会的地位もです。 そうですね。でもそれらのものは生きてさえいれば取り戻すことが可能だと思います。命あっての物種ですからね。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.4

卑怯かどうかというのは、いかにも日本人的な価値観ですね。 中東の歴史、特に近代史をよく学んでみてください。 戦争と動乱の歴史です。 オスマン・トルコの支配、イギリスなど欧米諸国の植民地化 など、本当に動乱の時代を経てきたのです。 自分たちを守る人など誰もいないのですから、各部族事に 結束して、戦ったり逃げたりしながら、生き延びてきたのです。 まがりなりにも、日本のように民族が一つの国でまとまり、 建前だけだとしても国民を守る政府の存在するような地域 ではないのです。 私は、イラクを脱出した人々を卑怯だとは思いません。 結果が示すように、フセインは自分の権力を守ることのみに 固執していました。 自分と家族の生命は、彼ら自身で守るしかなかったのです。 逃げ出さなかった人たちも、お金が無いからなどの理由で やむなく留まっていたという情報も聞いています。 私は深い同情の思いをもって、当時の彼らを見つめていました。

pinorin
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >まがりなりにも、日本のように民族が一つの国でまとまり、 建前だけだとしても国民を守る政府の存在するような地域ではないのです。 そんな感じですね。日本にしても、戦争中には国民の生命を第一に考えていたとはとても思えませんから、大切なのは自分達で身内を守るという心構えかも知れませんね。

回答No.3

第三国に退去できるコネや資力があるなら、 逃げても全然OKでしょう。 好き好んで戦争に参加する必要はないでしょう。 それを卑怯という人はどうかしてると思う。 個人と国家は運命共同体ではないでしょう。 私だったら家族ともども逃げますね。 家族だけ放り出すようなことはしないで、 家族の側にいて家族を守ります。 家族を守ることが私の使命だと思ってます。

pinorin
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >好き好んで戦争に参加する必要はないでしょう。 それを卑怯という人はどうかしてると思う。 戦争の時に逃げる逃げないは個人の自由といった感じのようですね。 >私だったら家族ともども逃げますね。 それが可能なら私もそうする可能性が高いと思います。

  • grampus
  • ベストアンサー率39% (455/1147)
回答No.2

直接の回答ではありませんが、気になったので。 もし我が国があのような状態になった場合、自分自身は残ると思います。しかし、自分の家族は「つて」があるなら逃がしてあげたいと考えます。 やはり何が賢く、何が愚かかは現在ではなく、未来が判断するでしょう。

pinorin
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >やはり何が賢く、何が愚かかは現在ではなく、未来が判断するでしょう。 泥棒とか強姦のように常識的に悪いことと判断されることが世の中には存在しますが、祖国が危機の時に逃げることは、常識的に卑怯な行為と捉えられるようなことではないということですね。

回答No.1

価値観は人によって違いますから、どちらが正しくて、どちらが間違っているということにはならないでしょう。 国内残留組は「母国のために戦う」とか「自分の家や家族を決死の覚悟で守るんだ」という人もいたでしょうし、海外脱出組は「家族を守るには、自分が死ぬわけにはいかない」「イラクにいるよりも、外国で働いた方が金になるから、海外から家族に仕送りをしよう」と考えた人もいたことでしょう。 つまり、ひとそれぞれが一生懸命に考えた結果が、それぞれ違う道を選んだことになったのだと思います。

pinorin
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >価値観は人によって違いますから、どちらが正しくて、どちらが間違っているということにはならないでしょう。 なるほど。ということは、日本が戦争に巻き込まれそうになった時も、自分を含めた家族の命を最優先して家族で国外に退去する行為は、当事者が納得していれば賢明な選択にもなりえそうですね。

関連するQ&A