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人の矛盾
人は、死にそうになっている人を見ると助けようとする生き物である一方、自分が生き延びるために人を蹴落とす生き物でもあると思います。 なんだか矛盾ではないですか?
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おはようございます。 困っている人を助けると、優越感に浸れます。 優越感は、施しを与えた側が感じる【自分の為】の感情です。 人を犠牲にして生き延びるのも、【自分の為】です。 矛盾していたと思われる文章は、イコールで繋げることができます。
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- primon
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人が死にそうな人を助けるのは、自分の安全が確保され、生が保証されている場合がほとんどでしょうし、自分も他人も生を取り合うような究極の場合ならば、生存本能にのみ従うならば、他人を蹴落とし、自分の命を確保しようとするでしょう。 ただし、そういう生存本能に抗い、自己犠牲も問わず他者を救おうとすることがあるのは、宗教、信仰や道徳、価値観などの、人間の知的活動、精神の成せる技です。 従って人間が本能的動物であると同時に、精神的知的動物でもあることが、人がこれらの一見相反した活動をする理由だと考えられます。 従って両者を原則と限定的事例と考えれば矛盾はしていないと思います。
お礼
本能的動物であると同時に、精神的知的動物であるのが、人間なんですね。御回答ありがとうございました。
- wahoojapan
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矛盾というより、真逆の二面性を持っている、ということではないでしょうか。 それは、本能だけで生きている動植物たちとは違い、人間には「理性」というものが 備わっています。 敵を倒し、自分の優位性を示し、自分の子孫を残そうとする「本能」の面がある一方、 みんなと仲良くしなければ社会生活がうまくいかない、とか、新しいものを創造したり こうでなければならない、といったような社会性を尊ぶ「理性」を持っています。 それらは破壊と創造の真逆の二面性であり、 神と悪魔の二面性を持っている、とも言えます。 そういう生き物ですので、仕方ありません。 人と仲良く、社会性を持ちながら生きていくのは大変です。
お礼
破壊と想像、神と悪魔の、真逆の二面性を持っているのが人間なんですね。御回答ありがとうございました。
とても大変な状況を想定されているようですが、そんな状況に遭われたことがあるのでしょうか? 現実では一人でそうした状況に遭うことはめったにないと思います。 完璧な人なんてまずいませんので、矛盾していることがあって当たり前くらいに思われた方が良いと思いますよ。
お礼
矛盾が当たり前と思った方が良いですね。御回答ありがとうございました。
- copemaru
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存在そのものが不条理で矛盾に満ちた存在。それが人間。
お礼
納得しました。御回答ありがとうございました。
お礼
どちらも、自分の為だったんですね。御回答ありがとうございました。