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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:私の変わった父親)

私の変わった父親

このQ&Aのポイント
  • 私は子供の頃、父に甘えたことがありません。会話が弾む食卓ではなく、寂しい思いをしました。
  • 父が偏食で食事メニューが限られていたため、おいしいメニューは我が家では出ませんでした。
  • 父は入学式や卒業式にも来てくれず、私のことに関心がないようで悲しい思いをしました。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#163573
noname#163573
回答No.5

「甘え残し」というものでしょうね 子供の頃甘え切れなかった分は大人になっても残ってしまうという 私が、お父さんのことを絶対そうだ、とは言い切れないけど 気になるキーワードがいくつかあります。 極端な偏食、他者への関心の薄さ。会話があまり得意ではない様子など。 大人の発達障害というのは聞いたことがありますか? 生まれつきの脳の障害で 言葉の苦手さ、他者への共感や関心の薄さ、こだわりや偏食… もし、お父さんがそうであるなら 本当に、抱っこしたりスキンシップをすれば喜ぶだろうとか 学校行事に行けば喜んでくれる、ということが まったく頭に浮かんでなかった可能性もあります。 逆に子供がそうである場合も抱っこを嫌がる お母さんになつかない、いなくても泣かないし 迎えにいっても喜ばない、などで母親が傷つく場合もあります。 悪気いはないのですが生まれつき根本のところで違っているので 相手と同じことがうれしくないので通じ合えないのです。 いずれにしても大人が社会で働くのは厳しく大変なことです あたりまえのこととはいえ、質問者さんを育て上げてくれたことだけは 評価してあげてください。 お父さんのことより質問者さんのことですが あまりに今辛いことや、そのことで悩んでいるなら カウンセリングなど受けてみてはどうでしょう。 またはアダルトチルドレンといって 親がアル中や虐待、機能不全家庭で育った子には 大人になってからも心に傷を残す場合があります そういった人を対応しているカウンセリングや ネットで仲間を見つけたり または具体的な対処法を知ることが 生きていくうえで参考になるかもしれません http://www.office-stella.com/ac.html 質問者さんがアダルトチルドレンだというわけじゃないのですが 方向性としては、その中に参考になるものもあるのでは、と思いました。

noname294
質問者

お礼

回答ありがとうございます。遅いときの子供だったので両方の祖父母にお世話になったり甘えたことがないのでそれも影響しているのかなと思ってます。フォローしてくれる大人の存在がいなかったこともあるのかなと。 父は大人の発達障害なんだと思います。素人判断ですが親戚は口を濁してはっきり言いませんが父の甥っ子が発達障害で父の系統はそういう系統のようなんです。そうならそうとちゃんと薬飲んでほしいですよね。父の激しい波のある性格のせいで我が家はいつでも振り回されっぱなしです(^_^;) カウンセリングはなかなか聞くだけだったりして有意義なカウンセリングって現実難しいですよね(3度ほどありますが)でもカウンセリング考えてみようと思います。最近苦しくなることが増えてきたので。 あと父に感謝しないとだめですね。そういう壁があるのに定年まで勤め私を育ててくれたこと。 見方を変える努力が大事ですね。確かにある意味すごいかも、うちの父は(笑)

その他の回答 (10)

noname#154408
noname#154408
回答No.11

寂しいですね。 私は父に2歳くらいまでは抱っこや肩車をしてもらっていました。母が働いていたのでご飯は父が作っていました。怖い夢を見たと言って泣けば、父は自分の布団の中に入れてくれました。父はコンプレックスの強い人だったので、私が賞を取ったり学校に合格したりすると、褒めてはくれませんでしたがニヤニヤして他の人に自慢していました。そして、機嫌が悪くなると暴力や暴言はすごくひどかったです。他人の悪口も言いますよ。 うちのように、父との距離が近すぎてお互いが依存するような家庭もある意味大変なんですが、 質問者様は、父親からの愛情をみじんにも感じたことがないようなので、これはとっても寂しいだろうなと想像しました。仕事の関係で入学式などに来れないのは仕方がないことだとは思いますが、でもやっぱり寂しいですよね。 お父様の性格はどうなのでしょうか?物静かで男らしいタイプですか? あまりにも父親との接点がないのは悲しいですよ。父の人柄がわからないので、感情もわかないですよね。 一昔前の父親像とひとくくりにはできないです。父親を尊敬できてそれは成り立つわけですから。 うちはいつも父が家に居て私を監視して暴言吐いてこき下ろしてはぶん殴られるので、いつも家出して逃げてました。 お母様との関係はどうだったのでしょうか? お父さんに期待して、執着したい気持ちもわかりますよ。 でも、多くの場合理解しあうっていうのは難しいです。お父様も質問者様も生きた時代が違いますし、考え方価値観は全く違うはずですからね。 あとは、おいしいものはどんどん食べたほうがいいですよ。体のために、バランスよく国産の清潔で美味しい食材と、自分が食べてみたい!と思うものを食べましょう。いいものを食べると元気になります。気持ちで負けなくなります^^ 自信を持って(自分を信じて)、希望を抱いて生きて欲しいです。 悲しみを癒してくれるのは、家族じゃなくてもいいんです。友達とか、先輩とか先生とか、人と関われば自然とゲンキになると思いますよ。

noname294
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 生きた時代が結構離れてるので価値観も全然違ってくるのかなぁと…そういう風に考えればいいんですね。 母とは仲がいいです。でも父の影響か近すぎるのが苦しいと感じることもありますね…養育費以外は母だけで大きくなった感じなので。 食欲はあるし食べるの大好きなのでおいしいものどんどん食べようと思います^^

noname#174405
noname#174405
回答No.10

私の話になりますが、私の父親は借金に浮気にと最低でした。 もうとっくに離婚していますが、私にも父との思い出はあまりありません。 離婚して20年以上たちますが、父親はいまだに変わっていないようです。 関わると、嫌な思い出ばかりが増えるので、もう関わっていません。 親は親でも一人の人間として尊敬できないので、親とは思っていません。 自分はそういう親にならないようにと強く思います。 寂しかった子供時代を乗り越えることはできません。 これから自分が親になったときに、自分の子供に同じ思いをさせないようにしたいです。 いえ、絶対にさせません。 その時に乗り越えられるような気がします。

noname294
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自分が親になって父とは違う親になれたときのりこえられるかもしれないですね。 でも私は生涯子供は生まない選択をしているので理解できないままになると思いますが、回答者さんには幸せになってほしいと思いました><

  • keyfu
  • ベストアンサー率24% (53/216)
回答No.9

知ってますか? いわゆる“昔の父親像(戦後とか高度成長期時代とか)”って...みんなそんなもんでしたよ? と...そんな風に言ってしまえば元も子もないのですが... でもそういう事があるのも気づいた方がいいかなって思うんです。 少し気づいた方がいいかもと思うのは... 一昔前の父親ってみんながみんなそういう感じの人ばかりだったって事...。 また、更に以前になると、例えば明治時代や江戸時代なんかの“お家”ではそれこそ“家長”たる父親と同じメニューなんてなかったし(父親だけが一番良くておいしいもの食べる)サラダやカレーなんてのが子供になんてないし、ほめてもらうどころか『父親が構ってくれる遊んでくれる』なんてのもなかったし、とにかくなんでも“家長”たる父親が一番偉いんだから黒も白と言われれば白で、だからといってなんか間違ってたといって謝ってくれるなんて事もありませんでした。 会話が弾む食卓どころか昔は“食事中に会話するのは無作法”とされ、黙って食べるのが礼儀になってました。 親子の絆なんて子供の側が心安かに充足して“ありがとうお父さん!”なんて思えるものはなくて、父親が勝手に決めた学校に行かされ父親が勝手に決めつけた相手と結婚するとかとにかくそんな感じで当人の気持ちとか人権なんてまるで無視した“無理矢理押し付けてくる”ものや、ただ育てられた(食い物を食わせた金を払った言う事聞かせた)が親子の“絆”とか“愛情”とかでした。 子である立場の者はそれに従うしかなく... でも父親がそんな風だったのがごく当たり前の時代に育った人が...全てなんかおかしな人か、どこか人間的に偏った人だったり足りない人になってるか、或いは劣等感の塊かというと... そうでもない...ですよね。 なぜでしょう? たぶんその事実を“受け入れた”からだと思います。 というよりも“受け入れざる得なかったから”とも言えるかとも思いますが..。 とにかくそうある現実を仕方がないと思う“諦め”からなのか“そうあるべき”とか“それが普通”ってな感じで自分で自分にむりやり思い込ませたか...とにかくそんな感じでその現実を『受け入れてきた』から...。 だからその時代の人達はそんないわゆる今の我々から見ると“不遇”の時代を生き抜いてきたわけです。 そして自分が育ち自分がどんな自分であろうかを選択できるようになった時...例えば“自分はどんな人間でありたいか”とか“自分はどんな父親でありたいか”を選べるようになった時、“父親と同じような自分”になるか“父親とは違う自分らしい自分であるか”を選択し... 自分が思う“なりたい父親”や“なりたい母親”というそんな自分であろうと選択してきて...それが今に繋がるわけです。 じゃあそんな時代の人達は幸福なんてなくて生きてる事がちっとも楽しくなかったか不幸しかなかったかというと...どうやらそうではありません。 それらを“仕方がない事”と思って受け入れつつも(受け入れるしかなくても)、その中で楽しみを見つけたり作り出してきて...そういったいわゆる『取り方』によっては現在から見れば“苦痛がある”そんな現実の中で『楽しめる事』や『自分なりの幸福』をみつけだし、作り出していったりしたわけです。 自分には、或いは自分の所には“あれがなかった”“これが出来なかった”という事に嘆くよりも、無かったものや足りなかったものや自分が欲しかったものそして欲しいもの...それを自分で手に入れ...親はこうだが自分はこうするんだと“自分はどんな人間であるか、ありたいか”を自らそうやって自分自身を作り出し...手に入れてきた...という事なんでしょう。 実は私の知人にそりゃもうひどい父親に育てられた人がいます。  ひどい父親に育てられた...というより“育てられずに育った”らしいですが、彼も貴方と同じような状態になった事があるのを聞いた事があります。 自分を“ろくな人間にはならない”と思っており腐った家庭に育った心が歪んでるそんな腐った人間だと...いつもそう感じそう思ってきたそうです。 そこは『今の貴方』と同じかも...。 ただ彼は過去も今あるひどい現実も何も変わらないけれど、“自分はどんな人間でありたいか”というのだけは自分が決められる事に気づき、自分はあんな父親にはならない同じにはならないと思って、それだけを思って自分を作ろうとし...そして今の彼があります。 今の彼は人からうらやましがられるような立場にあり、幸せな家庭を築き、自分が与えられなかったものを娘にたくさん与えて... なのに娘から“あんなお父さんはいやだ”と他の父親と比べて足りない所を文句言われているそうです。 貴方は昔の彼と同じような事を感じてるようです。 って事は...彼と同じように他の人が味わう以上の幸せを手に入れたり味わえるようになる、そんなプロセスにいるって事です。 今の貴方は不幸ですが、そのスタンスで見れば他の人より少しラッキーかも...。 『なにが不味いか、どんなに不味いのかを知ってるからこそ、何が美味かが判りその美味しいものの価値さえ判る』と... どこぞの誰か偉い人が言ってましたが... 貴方はその“美味しいもの”が判る舌を持ち、その価値さえ判る人で... それ故にその美味しいものを味わう権利がある、そんな人だという事。。 後は自分が“美味しいものを食べられるそんな人間になりたい”と貴方が思うか、 それとも“自分はおいしいものを食べられなかったオヨヨ...”と嘆くだけで未来を過ごす人でいるか... そのどちらを選ぶかのその『選択』をするだけではないかと...そんな風に思います。

noname294
質問者

お礼

回答ありがとうございます。我が家は由緒ある武家のお家でもなんでもない普通の貧しい家なので経済的にも情緒を育むためにも同じメニューは年に数回くらいとってほしかったです^^; なかなか大きな楽しみを見つけられずにいるのですがまず小さな楽しみをつづけることからはじめてみようと思ってます。その知人の方すごい努力家ですね。幸せになる才能にたけていたのかなと思いました。私も父のような人間にはなりたくないのでもっと努力しなければいけないなと思いました。

  • Ssddfree
  • ベストアンサー率7% (53/756)
回答No.8

50になるおっさんですが、私の価値観で言うなら父親なんてそんなもんです。 本当に愛情がなかったなら、あんたなんか育てるわけがない。

  • ebihunyai
  • ベストアンサー率28% (248/857)
回答No.7

お礼ありがとうございます。 さきほどのセラピーはこちらのサイトで読みました。 カウンセリングの実際 http://www.counselingservice.jp/communication/zissai.html

  • one4all
  • ベストアンサー率28% (171/594)
回答No.6

良くも悪くも、本当の意味でお父さんの事を理解出来る様に成るには、貴方も父親に成らないと無理です。 家の父も少々変わった人間でしたが、幼い頃に母をなくし、同時に兄弟達もなくし、まま母の元や、親戚の家で小さくなって育った事等、口では言えない苦労をして育った事が間違いなく影響していました。しかし、わたしにはそれが頭では理解していても、全く実感として沸いて来ませんでした。人の親に成るまで。 反面教師ではありませんが、現在は出来る限り子供と話し、触れ、一緒の時間を持つように心掛けています。父親とは明らかに有った壁を作らない様に。 貴方も子供も持った時に、自分にして貰えなかった事をしてあげたら、それが最善策ではないでしょうか。そうしたら自分も救われます。必ず。

noname294
質問者

お礼

回答ありがとうございます。私は女性なので父親にはなれませんが母親になったときはじめて父の気持ちがわかるかもしれないなと私も少し思っていました。でも父の系統を確実に受け継いでいる自覚があるので結婚はありえないと思います。父のような子供、自分のような人生はくり返したくありませんから。

  • ebihunyai
  • ベストアンサー率28% (248/857)
回答No.4

うちの父も子どもに興味がない人で、孫にも殆ど興味がありません。 母が言うには、父が子どもの頃、親が連帯保証人となってた知人の借金を背負ってしまい、父ひとりだけ親戚の家に預けられ、惨めな生活を送ったせいかもと。 私の夫が「仕事を一生懸命して家族を養うことが家族への愛」というようなことを言ったことがあります。 口にだすのは苦手みたいです。 私に対しては「どうして大人なのに甘えるんだろう?」と思ったとか。 父のかわりを夫に求めてたようで、「うちにはふたり子どもがいると思ってる」だそうです(息子が一人います) カウンセリングの手法でインナーチャイルドを癒すことが出来るようですが、お金がかかるので、そこまではしてません。 でも、そういう心理学のサイトなどを読んで考えるだけでも、客観化できたりするので無駄ではなかったです。 このサイトは参考になるかも http://www.ask.or.jp/ac.html まだ乗り越えたとはいえないのですが、下記のサイトを見つけて読んだとき、感銘を受けました。 良かったら読んでみてください。 http://slowly.org.uk/mj/index.html おまけ「BEN」訳詩つき http://shydreamer.blog21.fc2.com/blog-entry-1850.html

noname294
質問者

お礼

回答ありがとうございます。インナーチャイルドのサイト見てみようと思います。 自分はアダルトチルドレンなのですが、父の父も父に対して全く同じことをしていたそうなんです。だから父もACなのかなと。 父には本当に結婚してほしくなかったです。 母と離婚してほしいけどもう父も65歳なので無理だと思います。

  • HOPinDEER
  • ベストアンサー率73% (3803/5162)
回答No.3

こんばんは。 ご質問者様はいくつになっておられるんでしょうか? 私も、父に甘えたことがないです。 小さい時、肩車も抱っこもされた記憶もない、 参観日、入学式、卒業式、何かの大会出場、1度も見に来てくれたこともないです。 仕事柄、いつも家にはいませんでした。話しを良くした記憶もないです。 子供時代にはあまり一緒に食事をしていた記憶もないです。 どこの大学に行こうとか相談さえもしなかったというか、私にそういう関心がありませんでした。 ですが・・。 抱っこや肩車が貴女の願うお父様の愛情表現ですか? 同じ食事を食べることが、会話をすることが、入学式や卒業式に来てくれることが、 褒めてもらうことが、そういうことでしか、お父様の愛情を感じませんか? 私は違います。 上記のような父でも、自分は父親に愛されていると充分感じて育ちました 家に居なかったのは、仕事で家に帰れなかったから。 小学生の時、街で偶然、仕事中の父を見つけました。 父も気が付きましたが、寄って行って話したい、と言う父の思いがすぐにわかりましたが、 父は仕事中なので、手を一瞬上げただけで行ってしまいました。 充分、充分嬉しかったです^^。 小学生の時にいじめに遭ったことを母に話していると、 それでも辛抱して行かなきゃいけないと諭す母の後ろから、 こっそり聞いていた父が、大きな声で一言、「行くな、もう行かんでええ!」と。 その一言は、お前は間違ってはいないのだ、そんなところに辛い思いしてまで行くぐらいなら 勉強くらい、俺が教えてやる!みたいな感じに聞こえたのです。 その一言で、何もかもがパーーーーーーーっと吹き飛び、私は何を気にするでもなく、 学校へ行こうと思えました。実に堂々と登校しました。 父の一言が、私に強さと勇気をくれたのです。何も怖いものはなかったです。 父と兄と従弟たちと川で泳いでいました。もちろん私も普通に泳げます。 父たちが中州で体を温めているところへ行こうとしたら、妙な川の流れに、 泳いでも進まずに溺れてしまいました。 恐怖で助けての声が出なかったんです。様子がおかしな私を兄と従弟が見て、 何か冗談をしていると指をさして笑っていましたが、父が振り向き私を観た瞬間、 父だけが「あかん!」と言い、すぐに飛び込んで私に向かってきてくれました。 「抱きつくなよ!」 (う、うん!) 私は返事もできなかったのに、父は私が理解したと 解ったようで手だけを差し伸べてきました。 父がなぜ、抱きつくなと言ったのか、父はなぜ、返事もできない私が理解したと思ったのか、 これはさすが親子の目でものをいう信頼と絆だと思いました。 (抱き着けば二人ともおぼれてしまう可能性があるからです) 私も、手だけをつかみ、なんとか、父の手だけの力を利用して、中洲へたどり着きました。 父が足が付いたのを確認してから、初めて父に抱きついて泣きました。 「泣かんでよい、泣かんでええ!」  怖かったのでなく、父が頼もしくて感動したんです。 昆虫や生物が好きだったので、アリの女王アリや、卵が観たくて、 巣を見ていたら、父が通りがかり、どこかへ行ったかと思えば、 スコップを持ってきて、巣を一瞬にして掘り返してくれました。 アリがうじゃうじゃ出てきて、卵を咥えててんやわんやしています。 「はよ!捕まえろ!欲しいんやろう?」 「う、うん!」 一瞬にして、私は目的の働きアリも、女王アリも羽アリも卵も採取できたのです。 これは充分な私には遊んでもらったんです。 そして、手だけでもじもじして捕まえているより、道具を使った方が 手っ取り早くて的確に物事を達成できるということを教えてもらいました。 町内の運動会でたまたま、父がリレー選手に選ばれて、 私は短距離とマラソンの選手でしたが、父は見に来てくれたこともなく、 私が走るのを見てくれるいい機会だと思っていたけれど、 逆に、父がリレーで走れば、それはそれは早くてフォームが良くて、 他の選手をごぼう抜きにしていった、あの姿を忘れられません。 そして私が走ったことなど、「どこにいた?」と言う感じでしたが、 そんなことどうでもよくなり、父がかっこいい!速い!美しい! それだけで、めちゃくちゃうれしかったんです。 父に初めておんぶしてもらったのは、30代前半でした。 山菜取りに行って、父は長靴を履いていましたが、私はスニーカー。 小川を渡るのに、父がおんぶしてくれたんです。 貴重な貴重な体験でした。憧れのおんぶがこんな年になって実現した。 あの時と(おぼれたとき)同じだ。 決してこけるまいと、私を守るように、自分の足をしっかり確認して歩く父。 何も変わっていない。背中が教えてくれている。 父はお茶漬けばかりしていたが、小さい時は貧しかったので、 私たちに食べさすのに、自分はサラサラッとお茶漬けだけ食べてどこかへ行っていたのです。 父だって食べ盛りの30代前半でした。 一緒に、ご飯を食べるのがいいって思っていても、私たちには、おなかいっぱい食べさすために。 はて。 48歳の私がなぜこんなことをだらだら書いているんだろう??? 私もね、近年やっとやっと一人の人間の母親になれたんですよ。 そしたらね、子供を叱っていようが、たまにはうざくて無視していようが、 この愛情になんの曇りも陰りもない、愛情は溢れんばかりにあるんです。 >本当は父は考えてくれているんじゃないか、すまないことはすまないと思っているんじゃないか。 >いつかは愛してくれるんじゃないかなど、実にありえないことを都合のよいように美化して >子供な自分が勝手に思ってたりするのです。 それ、本当じゃないですか? 勝手に思っているんじゃなくて、お父様は昔から、今もなおも変わらず愛してくれていますよ。 貴女が、気が付かなかっただけではないですか? こんな風に愛してもらいたい、こんなことをしてほしかった、という 貴女の思う愛情表現ではないだけで、お父様はいくらでも他のやり方で 表現されていたと思いますよ、きっと今でも。 私はね、30代越してから、自分から甘えるようになったんです。 写真撮るときは手を繋ぎ、後ろから抱きついたり、家で飲んだ時は酔ったー!と 父の横で寝たり、耳掃除をしてと、父の膝枕で寝たり。 ああ、そのころは、孫を見せてあげれなかったせいで、自分が孫にもなろうとしたんですよ。 最初で最後の念願のキャッチボールをしたのは 30代後半でした。父は、60歳回ってたんじゃないかな? 元野球部の父の、まっすぐ入ってくる球に、まぎれもない変わらない父の愛情を感じました。 特にね、娘は年頃になるにつれ、父親はどう接していいのかわからなくなるんですよ。 年頃とは、すでに4歳くらいからを言うのかもしれません。 4歳にもなれば、男の子女の子を意識し始めるし、父親が娘にとって一番近い異性なので、 距離を置く本能が働きます。 これは、近親相姦を防ぐ健康的な意識なんですよ。 本当の年頃になれば、「お父さん、あっちいってー!近寄らないでキモい!」とかいうのよく聞くでしょう? これもそうした防衛本能が働いているんですよ。 なので愛されたことがないのでなく、貴女の記憶がないだけではありませんか? よくよくよーーーーーーく、思い出してください。 お父様の愛情表現てもしかしてこれ?なんて思い当たるようなことがあると思いますよ。 きっとありますって。ないとおかしいです。 おいくつかわかりませんが、 貴女甘えたかったんでしょう? 甘えてみればいいんです^^。 遅くからでも遅くはない、きっと叶いますよ^^。 親ってそういうもんです。 アメリカ映画みたいにはいきませんからね。

noname294
質問者

お礼

心のこもった回答本当にありがとうございます。回答者さんの人柄とお父さんの回答者さんを思う優しさが伝わってきてなんだか温かくなりました(泣)愛情深いお父さんに育てられて親子の絆がしっかりあって本当にうらやましいです>< よーーーく思い出してみますね。父がしてくれたこと。ほんと共同作業や共感する思い出がなにもないんですが、、、思い出すのは飲んだくれて酒臭く寝ている姿ばかりで^^; うーん…お酒を飲むのを我慢したことでしょうか。なんだかかなしくなってきました。 今からでも甘えられたらいいのですがもうそれはないです。姉が家を出て行って母が病気になって私は父のこと憎んでいるくらいなので。父は感情面が壊れている人なのでたぶん統失の気があるのではと家族や親戚で疑っています。私も薬を飲んでいて結局病院に行くのは家族たちばかりで大変です^^;

  • arcorb
  • ベストアンサー率28% (35/122)
回答No.2

わたしも子供時代は寂しかったですが、大学に入って社会人となるまでの間に、付き合った女性などに癒してもらったと自分では思っています。これはほんとに感謝しています。他人から癒されることでそれは消えていきましたが、自分ひとりではそうはならなかった。それから、自分自身が大人になり自立して生きていくことで、大人の見方がはじめて分かるようになり、それらを理解するようになってきた感じです。もしあなたが男だったら、立派に自立することが一番まっとうな方法ではないだろうかと思います。また、女性であれば、彼にそれを求めてみてもいいかもしれません。

noname294
質問者

お礼

回答ありがとうございます。友達も少なく、彼氏もなく頼れる人がいませんが(;´д⊂)人のなかに出ていくことって大事ですよね。彼氏ができることを楽しみに人と話すこと面倒くさがらないようにしたいと思います。

  • yasuto07
  • ベストアンサー率12% (1344/10625)
回答No.1

今のあなたの性別と、年齢、職業、学歴がないと答えられません。

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