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年数がたった年忌法要はおかしいの?
1周忌 3、7、13、17、23、27、33、50回忌など私の家では親の代までは法事をしてきました。 親戚も高齢になったり、晩婚、非婚化、少子、跡継ぎなし(男子がいない)で減って来たので近年は13回忌以降はお寺で法要を行うだけにまで簡略化しました。 親にはきちんとお墓を守ること。資産(まとまったもの)はそのためのものと言われていました。 私は、お寺のある地(都会にあるので廃寺になりそうでない)までは飛行機で行かねばならない地(大都市)に住んでいます。 (親が、転勤のある会社に勤めた関係で今の地にすむようになりました。) 親は生前に、菩提寺で葬式をあげて欲しい と言っていましたが、それは、こちらが大変。 親戚は遠くても来る!親の友人 私の友人や、会社の人に来てもらえない。 寂しい葬式になる。亡骸を飛行機で運ぶのか? それならお坊さんを呼べるのではないか。? しかしながら10年前の親の葬式は菩提寺の住職が飛行機に乗って来てくれました。 そのような依頼もあるとお坊さんは言ってくれました。 もう一方の親の葬式も3年前にありましたが、定年退職後ということもあり小さ目にはしましたが菩提寺からは、住職の息子(副住職)に来ていただけました。 それでも会社時代の人たちも来てくれ、在職した会社の社友会名で生花も出してくれました。 親戚に対しては私は格好がついたと思っています。 ◆10年前の葬式の時には周囲の人が不思議がりました。 「遠くからお坊さんを呼ぶ葬式を見たことがない。」 「さぞかしお金がかかったのではないか?」 菩提寺に施すのであれば御布施は無駄にならないと感じました。 また両親は生前戒名をもらっていたこともあります。 (葬儀屋さんが取り次いだ知らない僧侶に施すのではない。結局は自分たちのためになる。) 17回忌や23回忌を行なうと言うと、周囲には不思議な目で見られるのですが、そんなに変ですか? ◆「それはお寺のお金儲けだ。」「騙されているんじゃないか?」 「頭が古いよ」とまで言われます。 そこまで言われると ◆私はとても気分が悪いのですが、インターネットを検索すると、 私が周囲の人物に言われるようなことの方が多く書かれているように感じます。 ◆葬儀などいらない 離壇してしまえ 坊主丸儲けだ・・・ この論調のために 挙句の果てには、きょうだいにまで、◆そんなにやるなよとまで言われています。 ◆墓になど誰もいない 千の風になったのだから・・・ 考えれば考えるほど 私は頭の中が混乱してきます。 私は、私の今があるのはご先祖様があるから。 子にもきちんとできるだけ先祖供養はやるようにしてもらいたいので、子が小さい時から、墓参や法事に連れてくるようにしていました。 こんな私は間違っているのでしょうか? (子の代では次第にお寺の姿は変わって来るとは思っています。) ◆は私がとても不快に感じていることです。
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他所は他所でしょう。家は家です。 そう考えるのが、まともな大人です。 個人的な意見を言えば、宗教的な考え方は、あまり他人と比べても意味はありません。宗派も違いますし、考え方も人によって違うでしょう。宗教対立が戦争にもなる国があるほどです。それは、心の違いですから。 その中で、騙されているとか、そういう話は本当に騙されていると警察に言われてから心配することです。宗教法人が潰れたり・・・そういう場合です。 ちなみに、千の風になっては、そもそも日本の詩ではありません。米国の作者が不明(厳密にはおおよその予測は付いています)な詩を日本語に訳し、音楽をつけたものです。そして、これはお墓(墓標)の前で泣かないでから始まります。ただ、これは実際には、親の墓標の前に立てなかった人の話とされます。しかも、死に目に会えなかった人の話を書いたものとされており、本当は墓標の前に立てて追悼すべきところを、できずに泣いていた人を救うために書いたとも言われます。しかも、それはユダヤ教か、キリスト教か、そういう宗教観を持つ人が書いていると思われます。そして、最後の一説は死んでいませんで締めくくっています。 これは、友人を癒やすために書いた詩であり、本来すべきこと(したかったこと)が出来なかった哀しみと不甲斐なさを慰めるための詩です。そもそも、その気がないものが、そうだよねという詩でもないのですよ。 だから、特に予期せぬ死などで亡くなられた人の親族や友人などには、この詩を聞くととても強くイメージに残る傾向があるとされます。エンターテイメントで歌詞の流れや旋律がよいといった話とは、全く別の話です。 これを知ると、全く考え方は変わるはずです。 宗教観や倫理観、自分のやるべき事の姿というのは、それを故人や自分が使命として持ち与えられたと思うなら、法令などに触れない限りは、それを通してよいと思います。むしろ、通すべきです。周りが何を言おうが。ただし、それを通すがために、人に酷い悪い仕打ちをすることがあるなら、それはよい結果にはならないでしょう。その場合は、見直した方が良いかもしれませんが、今回の場合は、単純に、自分で勝手に回りにいらついているだけと思われます。 単純に、誰にも影響はない。自分たちが出来ることを出来る範囲でするというのであれば、人がとやかく言うから、自分もそうしないといけない理由はありません。私は、親にこういう風に言われて育ったのだから、私のやり方はこうだと言えばよいのです。 もし、周りがそれがどうしても嫌でも、親が何か望んでいるなら、それで出て欲しい親族には、土下座してでもお願いすべきでしょう。どうでもよい人は、考えなくてもよいでしょう。 それだけです。 人の意見を不快に思っても、親や故人は喜びはしません。喜ぶのはその意見を言った人です。ほら、怒った。やっぱり変な宗教に金を出したのだと思うだけでしょう。逆にいえば、淡々とそれは聞き流し、自分は、先祖のためにこれを行うのだと、清く思うことが重要です。 何にしても他所は他所、家は家です。
え、なんでそんな周囲の言うこと気にしなきゃならないの? うちも普通にやりますけど。出来る範囲で。 17か23くらいまでですけどね。 あとは小さくお経上げてもらうとかそういう程度になりますが(曹洞宗です) 他人にそういう人がいるのはわかってるから、別になにも気にすることはないですし 「そういう人たちも増えたね(法要やらない)」ってくらいでは。 あと、大都市住まいなら大都市の事情も考えるべきでは。 土地の人間だけで発展する都市ってあんまないでしょ。 いろんな関係が希薄になり、思考もそうなっていくのは都市部アルアルだと思います。 法要のために仕事先に迷惑かけるとかだったらイヤミ半分で言われてもしょうがないですが。 ただ >親は生前に、菩提寺で葬式をあげて欲しい と言っていましたが、それは、こちらが大変。 ここが一番気になりました。 いろいろな壁はあるんでしょうが故人の意向を大切にすべきでしょ。 事前打ち合わせとか、綿密にね。
お礼
有難う御座います。質問本文に書き漏らしています。 菩提寺での葬式要望 これについては、生前によく相談しました。菩提寺に行ってまでは葬儀は困難。 ・親はわびしい葬式を望んでいなかった。 ・しかしながら若くして郷里を離れており、郷里にはそれほど交友がある人がいない。 ・私の会社は、遠方の場合二人まで会社の費用(交通宿泊費)で参列して良い。 ・私の会社(これでも一部上場企業です。)は葬式はできるだけ参列しなさいという考え。 社員の親 配偶者 子が亡くなると社内の業務システムで通知されます。 (オンラインになる前は、掲示板に訃報の掲示) ・部署では「葬儀委員会」が立ち上がります。何人もお手伝いが来てくれます。 とある部長さんの親御さんが亡くなった時は、自宅での葬儀に600人の人が参列しました。 (うちでも200人) このこともあり、住んでいる地で葬儀を行う。お坊さんは菩提寺から呼ぶということで話をつけていました。 >法要のために仕事先に迷惑かけるとかだったらイヤミ半分で言われてもしょうがないですが。 私の休みの日に行う法要で仕事先に迷惑などかかりますか?? 不思議です。 ただ、子の代になると、どこに住むかわかりません。海外かも知れません。 それでも墓は何らかの形で大切にして欲しいと願っています。 むしろ、墓を動かすべきではないと考えています。
補足
私が特に不快に感じるのは、 風になった 星になった 墓などどこでも良い 私の家はかた苦しいという人たちです。 千の風になって が流行ってから、ますますその傾向を感じます。 http://plaza.rakuten.co.jp/siawase1style/diary/200608130001/ 檀家がいなくなったらお寺はどうなるのでしょう、お墓はどうなるのでしょう。 過疎化進んだところなら仕方がないでしょうが。 個人的にやめて欲しいのは、海への散骨です。 砕いた骨を、近くの魚が食べてそれが我々の口に入るのかも? 海域を選んでも海洋汚染だと感じています。 あまり広げて欲しくない。 仏教の考えでなく、「死はケガレ」とする神道の影響も受けたのかも知れません。
お礼
No.1さんへのお礼をしているうちに、ご丁寧な回答を有難う御座います。 「千の風になって」に関しては、No.1さんのところで書きましたが、墓参りを省きたがる人の口実ソングになっているような感を感じております。 最近はテレビやマスコミで、簡単な葬式 はいいよ みたいな世論形成をしているような感があり不快です。 大変お世話になった方の葬場直行の火葬式 出席したことがありますが、「こんな弔い方でよいのか?」 「この人は可哀想」と 心の中でつぶやきました。 ゼロ葬のこの本のプラスのレビューを読んでいると、空恐ろしく感じます。 街の声が都合の良い方に進んで行くのか?? http://www.amazon.co.jp/0%E8%91%AC-%E2%80%95%E2%80%95%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%95%E3%82%8A%E6%AD%BB%E3%81%AC-%E5%B3%B6%E7%94%B0-%E8%A3%95%E5%B7%B3/dp/4087815323 ご先祖様を大切に この気持ちが希薄化して行く・・・これが怖くてたまりません。 跡継ぎがいない人はともかく。いなくなるならきちんと永代供養して欲しい。無縁墓なんて・・・。 但し、今お墓を持っていない人は、無理に大きなお墓を立てないで良いとは思います。 祀る人がいなくなったら永代供養のシステムが良いのかも知れませんね。 子どもの時から墓参りをしないから今の大人があるような気がしてなりません。 この風潮がどんどん進んで行くことに危惧を感じます。 簡単に人を殺す これは身近に人の死がない状態で育つ人が増えたのも一因では?と考えることもあります。 (高齢家族の死 親戚の死 縁のある方の死に接し葬儀に出ない。葬儀がコンパクト化) キリがなくなりましたが、先祖参りすることが、煩わしいし、ダサイというような風潮を感じます。 お寺を支える人がいなくなったらどうなるのでしょう。