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無能な者は努力しない方がいいのですか

永六輔さんの本に、 「無能な奴が努力しているのは、見ているだけでも疲れます。 努力は有能な奴がやればいいんです」 と書いてありましたが、 無能な者は本当に努力しない方がいいのでしょうか。

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  • 05051036
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回答No.11

こういう話を思い出しました。 ゼークトという人の組織論の項にこうあります。 軍人は4つに分類される。 有能な怠け者。これは前線指揮官に向いている。 理由は主に二通りあり、一つは怠け者であるために部下の力を遺憾なく発揮させるため。そして、どうすれば自分が、さらには部隊が楽に勝利できるかを考えるためである。 有能な働き者。これは参謀に向いている。 理由は、勤勉であるために自ら考え、また実行しようとするので、部下を率いるよりは参謀として司令官を補佐する方がよいからである。また、あらゆる下準備を施すためでもある。 無能な怠け者。これは総司令官または連絡将校に向いている、もしくは下級兵士。 理由は自ら考え動こうとしないので参謀や上官の命令どおりに動くためである。 無能な働き者。これは処刑するしかない。 理由は働き者ではあるが、無能であるために間違いに気づかず進んで実行していこうとし、さらなる間違いを引き起こすため。 No10さんが言う >使用者、雇用者として人間を見る場合には、確かに無能な働き者、というのは危険な存在になり得ますが ってことです。 他人事だからこそ疲れるだけで済みますが、とばっちり食う立場ならたまったものではありません。 だから努力するなというのではなく、間違いがないかどうか慎重になれってことだと思います。

その他の回答 (10)

noname#159190
noname#159190
回答No.10

>「無能な奴が努力しているのは、見ているだけでも疲れます。努力は有能な奴がやればいいんです」 あなたを「使っている人」からすればそうかもしれませんが、何にせよ適当にやるより努力した方があなた自身にとっては楽しいでしょう? 無能だろうが有能だろうが努力(工夫研鑽といった方がいいかもしれませんが)した方が良いんじゃないですかね。 「好き」だけど「向いていない」ことを一生懸命やるのもなかなか乙なものです。 「好きじゃない」けど「向いている」からやる、というのは悲惨なものです。 また、使用者、雇用者として人間を見る場合には、確かに無能な働き者、というのは危険な存在になり得ますが、友人として見る場合にはむしろそういった人間のほうが魅力的に見えることもあります。

  • nahaha55
  • ベストアンサー率21% (274/1301)
回答No.9

何処の職場でも、努力しない奴は要らないって言いますよ。 努力しない奴って反省しないから学習しない。 だから無能なんでしょ。 正確には、学習しない奴の努力は努力になっていないどころか 周りにとって迷惑でしかない、という意味では。 同じ失敗を何度も何度も繰り返しますからね。

  • 05051036
  • ベストアンサー率22% (114/508)
回答No.8

無能な人間ってのは努力のつもりで見当違いのことをやらかしがち。 畑に水のたとえがありましたが、無能な人は水だと思い込んで除草剤をまくようなことをやっていたりするんです。 努力は大事だとよく言われますが、果たして頑張ってやってることは、本当に目標の達成に繋がってるかどうか? それを見極める必要があります。 その本の内容はわかりませんが、努力しているという状況に自分を置き、それで満足してしまってるような人に対して「見ているだけでも疲れます」と述べてるのではないでしょうか? そんな、形だけの努力だったら確かにやらないほうがいいでしょうね。

  • mimi3030
  • ベストアンサー率8% (15/180)
回答No.7

「種を植えていない畑にいくら水を撒いても、芽は出ない」 ということでしょう。 自分自身にどんな種(才能)が有るか、見極めよ!! その上で、水(努力)を撒け! と言いたいのではないでしょうか。

  • shorinji36
  • ベストアンサー率17% (406/2382)
回答No.6

ペーパーテストが苦手な人間は大抵、要領が良いです。 逆に要領が悪い人間はペーパーテストが得意な傾向にあります。 これは要領の良い人間は頭を使わなくても大抵のことができ、 また逆に要領の悪い人間は小さいころから何でも良く考える ように教育されているためだと考えられます。 質問のヒントにでもなれば…

  • fujitapari
  • ベストアンサー率20% (240/1199)
回答No.5

有名な小説家が言っていました。 「愚直の一念が怖い」と。 永六輔も、自分がそう見ていた人間に追い抜かれるのが怖いんでしょう。 本当に能力のある人と同じだけ努力しても敵わないでしょうが、その人以外の大勢には既に勝っているでしょう。 更に努力を続ければ、能力のある人もギブアップするかもしれません。 また、人が嫌がることや辛いことを努力すれば、より優れた立場になることは間違いないと思います。 スポーツや芸や技術も、努力すれば必ず人並み以上にはなれると思います。 そしてそれが自信になり、自分の成長にきっと役立つと思います。 何でもいいので、これと決めて努力してみることです。

  • troml
  • ベストアンサー率17% (561/3166)
回答No.4

人には向き不向きがあるし、どんなに努力してもダメなもんはダメってこともありますから、自分に向いていないことは、ある程度のところで見切りをつけて諦めることも大事ですよね。 でも、10年ダメだったのに11年目に花開くってこともないとは言えないですから、他人に無能呼ばわりされようと、他人を疲れさせようと、本人がやりたいならやり抜いたっていいでしょ。 それと、やってみたことがたまたまダメだったとしても、全てにおいてダメってわけじゃないので、自分に向いてることを探す努力までやめることはないんじゃないですか。

回答No.3

私は無能で努力しないやつに分け前を与えようとはしませんよ

  • 8ry0ox8
  • ベストアンサー率11% (38/332)
回答No.2

こんばんは! まぁそりゃ一理あるかもわかりませんが、 その 有能無能 を、 いったい誰が判断するか ってのが目下の問題でありますね^^

noname#193571
noname#193571
回答No.1

永六輔さんならではの表現でしょうね。 その前後の文脈はどうなってますか? 「才能がある分野に努力しなさい」とか言う事ではないですか?

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