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漠然とした不安
毎日不安を感じています。 平常心を装うことはできますがいつも不安定です。 これから先、楽しいことがあると思えません。30分後、もしかしたら5分後にはまた気分が沈んで嫌な思いをするんじゃないかと思ってしまうんです。 水の上に浮かべた葉っぱをひっくり返さないようにするような感覚で自分の感情を落ち着かせていようとするのですが、本当に突然気分が悪くなって、どうしようもないです。 人と話すと気分が悪くなるのですが一人になると不安が深くなります。 正直どうすれば良いのか分かりません。 親や周りの人に相談しても『そんなことはみんなある』と言い、病院で薬を貰うことには反対されます。 薬は良くないからやめたほうがいいと。 もうずっとこのままなんじゃないかって思ってます。 もし、みんなこうなんだとしたらどうやって改善しているんでしょうか。
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- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
酷な言い方になるかもしれませんが、『人間は悩み、苦しむように出来ています』此処のところが判った場合『悩みや苦しみや疑問は氷解します』 此処がわかるようになるヒントのみを書いておきます。 漠然とした不安は『自分の、もう一つの心からの情報』です。 不安になり易く、神経質な性格は『自分自身に対する不安、或いは自分自身に敏感と言う意味になります』 この不安の完全解消を望むなら『禅』を学ぶ事が有効です。何故ならば不安になり易い人達がその不安の解消を求めてきた歴史が、禅の歴史になっているからです。 或いはキリスト教とも重なっています。 仏教の涅槃もキリスト教における『神と和解する事』も同じ心的境涯を言っているからです。 天国の住人であった『幼子=赤子』が大人になって悩み苦しむようになって(心の矛盾に苦しむ事)その悩み苦しみの果てに、又『幼子=赤子」の心を取り戻す(心の矛盾の解消をする事)という意味が在ります。 貴方が感じている漠然とした不安をキリスト教では『原罪』と呼んでいます。仏教では『業』です。是は『心の矛盾』を貴方が感じている事を意味します。 幼子は『脳の発達が未完のために』心が一つしかないという意味です。思春期頃に脳の機能は完成されることになります。この脳の機能分化の結果を『失楽園』と表現しています。 自分自身を知る事が『悩みの解消した姿です』その事を簡潔に禅では『生死の問題が解決した』と表現しています。ですがその直接的な事は、何処にも書いていません。 只禅の歴史の中に『その人の個性によって』如何いう人が如何いう機縁があってその機が熟したと云う事が書いて在ります。 昔の本で学ぶ事は『言葉の壁にあって』難しいと思いますので、鈴木大拙博士の本をお奨めします。私の場合には14歳からの貴方と同じ疑問を、32歳で解消した経験が在ります。 この経験は誰も教える事が出来ない部類に入ります。自転車を乗る事を言葉で教える事が出来ない事と同じ部類に入るからです。身体で覚える『体得』という経験以外には、どうしても出来ないからです。 意識の根底で『不安そのものの正体を知る経験です』その結果『意識の根底で不安は解消されます』その結果『心身脱落、脱落心身』となります。 絶対の安心が手に入る経験です。人間はこの事が判るまで『身体中に知らないうちに力を入れて生きています』不安になり易い性格の人には『大きな安心が手に入る事』を示唆しています。
- d194456
- ベストアンサー率27% (423/1524)
平常心を装うことが出来るなら、常に平常心を装うことで、それが平常のあなたになります。 不安が深くなるあなたは、平常心の陰に隠れ、表には出なくなりますよ。 平常心で話すあなたが他人と話しても気分が悪くなることはありませんから安心して下さい。 あるのはあなたが作り出す不安感と、あなたの思いのままに作り出される未来の姿だけですよ。 10代のお嬢さんなら、白馬に乗った素敵な王子様の登場を考えて、改善すると思いますよ。 あるいはシンデレラになる夢を見るのかも。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
貴方はなぜ自分という人間を理解しようとしないのですか。 自分を理解しないまま不安の解消方法を他人に聞いて回ることに意味がありますか。 自分を、他人を、社会を、世界を理解することが生きる上で必要な事です。 貴方はその基本ができていない。