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投了!その後は?
内藤九段がおっしゃってました。 谷川浩司九段の投了図はきれいだって。 きれいとはどういう意味なんでしょうか? 皆さんはご自分の投了図をどれくらいの時間見つめますか? 敗着、悪手、疑問手・・etc そんなことを反省しながら見ますか? 私は投了直後は悔しくてあまり見ていられませんが。
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NO.1の続きです。 >負けパターンがわかるようになると以後の対局にどう役立つのですか? 「負けパターンがわかった」だけでは以降の対局に役に立ちません。それを克服する戦略を立て、その戦略をマスターしてこそ役立つのです。 例えば「急戦が苦手だ」とするなら、徹底的に急戦の将棋を研究して得意に変えるか、逆に急戦を回避して持久戦に持ち込む戦い方を身につけるかどちらかしか対処の方法はないのです。弱点を克服するか、弱点が表に出ないようにカバーするかです。短所をなくすか、長所を活かすか。何事も二方向の対処の仕方があるわけです。場合によっては指しなれた戦法を捨てる場合もあります。新たに得意な戦法を開発する場合もあります。 将棋は心・技・体の総合ゲームですから、必ずしも技が弱点とも限りません。心に弱点があるのかも知れないし、体に弱点があるのかもしれません。「どうも自分は楽観しすぎる癖があるようだ。」「自分はどうも長時間になると集中力が続かないようだ」そういう弱点に気づくために、敗因を分析する必要があるわけです。 弱点に気づいたなら、それを克服するにはどういう手段があるのか。あるいはそれをカバーするにはどういう方法があるのかを立案しなければなりません。新戦略を盤上にどう表現していくか。 以上は一般論として述べていますが、棋力が低いうちは、どれも独力で解決するのは困難な課題ばかりなのです。場合によっては高段者のアドバイスを得たほうが良いのです。としても高段者のアドバイスを活かせるかどうかも本人次第です。個人が持っている様々な制約条件がそれを邪魔してしまうからです。 確かにその先にも多くの困難なテーマがあります。しかしだからといって負けパターンに気づくことは決して無駄ではないのです。
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- ceemaa
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昔の人の意見ですね。 事前研究は卑怯だという時代です。 将棋は対局中に考えればいいと、対局時間以外は、遊び惚けていた時代でもあります。 今のちゃんとした将棋をさせる人で、「投了図がきれい」なんていう人は、居ないでしょう。 内藤九段は、華麗な攻め将棋の気風で、名人も時間の問題といわれた人でしたが、受けの達人の大山名人にかなり痛い目に合わされて居ます。 今の将棋は、既に指された対局は、研究する価値の無い対局を除いて、全て研究した上で対局に臨むのが、プロの最低限の仕事であるという時代です。 相手が、弱いとか、研究していないとかでもない限り、華麗な攻めなんていうのは、決まりません。 将棋はそんな単純なゲームじゃないからです。 将棋は「勝ちに結びつく手」を指すべきでありますから、「勝ちに結びつく手」が盤上に無くなった時点が、投了すべき局面です。 内藤九段のいう「きれいな投了図」というのは、相手の持ち時間が無限大と仮定した場合に「勝ちに結びつく手」が、盤上になくなって時点で、投了した、投了図でしょう。 内藤九段がトップ棋士だった時代は、将棋の指し手にたくさんの縛りがかかっていました。その縛りの中で将棋をさせば、事前研究なんかしなくても、対局がはじまってから考えて、十分な程度に将棋は単純化されます。 けれども、そんな縛りに意味なんかありません。 その縛りを解くと、将棋は人間にとって、生きているうちにはとっても解明できない複雑なゲームになります。 ですから、考え出したら、時間は無限に必要になります。 なので、実際の対局は、時間を限って、その中で指し手を決断するのがルールになりました。 持ち時間も勝負の中に入っていますから、この局面で勝ちを読み切るのに、相手の残り時間の1分じゃ到底無理と、判断したら、受けの手を指して、なんら問題ありません。 内藤九段の時代は、時間切れ負けなんて、無かった時代です。 今は記録係に7,8,9、10とよまれたら、負けです。 内藤九段の時代は、時間が切れても、新聞掲載ができなくなって困るからと「お指しください」って、記録係が懇願していました。 「きれいな投了図」よりも、「プロとして恥ずかしくない将棋」が大切です。 ま、でも、それまではノータイム指しなのに、自玉が詰まされてから、初めて考えるようなレベルの人にとっては、「きれいな投了図」というのは、とっても大切なことです。 で、将棋で記憶しておくべきは、敗着の直前の局面です。 敗着の代りに指すべき手を研究しておきましょう。 敗着から数手先の投了図には、そんなに価値はありません。
お礼
「敗着から数手先の投了図に価値なし」・・まさにその通りです。 投了図そのものにそれほどの意味があるとは私も思いません。 投了!その後は? 私たちがすべきは投了にいたった原因(敗着など)を突き詰めること。 敗着は、そのときはその手で勝とうとしているからわからないけれど、 あとで調べればどの手が敗着であったかはわかる。 それをしっかり究明しておくことが大切なんですね。 ありがとうございました。
- mekuriya
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谷川九段の将棋は概して短手数が多いです。勝つときはスパッと斬り、負けるときもスパっと斬られるのです。見苦しく詰まされるまで玉が逃げ惑うという将棋も無くて、勝ち目が無い将棋をひたすら糞粘るということもしないわけです。だから短手数であっさり負けるときもあります。 http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=73982 http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=73346 これらなんかそうですが、まだ詰まされたわけではないが、全く勝ち目が無いということで投げるわけです。まだ指そうと思えば指す手がないわけでもないが、どう指したところで到底逆転しそうもないと感じ。これがきれいな負け方ということなのです。 自分の投了図は、見つめるというわけじゃなくて、敗因を探すためだけに見ます。例えば彼我の遊び駒の状況や無駄手を探すわけです。反省するのは反省するのだけど、投了図を見つめるというわけでもないのです。あくまで敗因に気づくためのヒントを得るためにみるだけです。「相手に遊び駒がないなあ」とか「2手掛けたけど、端歩伸ばしたのが裏目になってしまった」とかです。敗因は多様な原因が考えられるわけです。作戦負けだったり、相手の好手を見落としてたり、勝手読みだったり、頓死負けだったり、指しすぎだったり、手順前後だったり、急所の局面で緩手を指していたり、有利な局面で決め損なっていたり。敗因が分かればそれでいいと思っています。 反省するのは勝ったときも同じです。なんとか逆転勝ちできたけど、途中までは負けだったという時も多いですから。勝ったといっても相手の頓死で勝ちを拾っただけで、実は負けだったということもあります。 敗因を探すのは自分の負けパターンにきづくためです。どうも特定の戦法が苦手だ、とか、悪癖がある、とか、読みが甘いとか。自分の欠点、弱みをどう克服するか。それが課題なわけです。もっと研究しないと、この戦法は使いこなせないなあということもある。 誰でもそうだと思うけど、勝ちたいから指すわけですよね。これがなかなかそうはいかない訳で。 それは相手も同じなのだから、仕方の無いことだけど、そうそう勝ち続けられる道理はない。 でも勝ちたい。将棋は本当に難しい。
お礼
投了図を見るのは、、、 敗因を探す為 → 自分の負けパターンに気づく為。 負けパターンがわかるようになると以後の対局にどう役立つのですか? 以前、私は自分の負け将棋の原因をノートに記録して集計していました。 しかしその統計を対局に生かしきれず、その集計も止めてしまいました。 もう一押し(詰めが甘い)できなかったのです。 ありがとうございました。
お礼
ご回答、とても勉強になりました。 負けパターンを知り、対策を立案し、それをマスターすべく努めます。 ありがとうございました。