• 締切済み

年を重ねて気付いたこと・知ったこと

たまに過去の自分を振り返ってみると、 何て未熟で視野の狭い考えを持っていたんだろう…と思うときありませんか? やっぱりそれは年齢を重ねて、様々なことを経験したことにあるのだと思います。 中学生の頃の自分を思い出してみると 自分から特別な努力もせず、踏み出しもせず、 他人に大きな見返りを求めていたことに気づきました。 友達が欲しかったのですが、自分から行動を起こそうとしなかったので 当然周りの人々は自分に対して特に何かをするのでもなく、意地悪をされたわけでもないのに、 世の中は嫌な奴で満ちている…と自分勝手にも思い込んでいました。 でもしばらくそうして過ごしているうちに、父から 「他人は自分を写す鏡」 という言葉を貰い、その時、 ただ周囲に期待しているだけで、何も自分から変化を起こそうとしない自分に原因があると気付かされました。 勿論自分ではなく環境に問題がある場合もあるかもしれませんが、それ以来、 自分と周囲の間に問題が生じた時は、周りのせいにしたり、周りからの変化を求めずに、 まずは自分から状況を変えていこうと考えられるようになったと思います。 皆さんも、人生を過ごしていくうちに、何かハッと気付いたことや、 教訓のようなものを得たことはありますか?

みんなの回答

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.3

>皆さんも、人生を過ごしていくうちに、何かハッと気付いたことや、 >教訓のようなものを得たことはありますか? 面白いことに今しがた気がつきました。 「考えることが出来る」ってことは「考える課題があるから出来る」ことなんですね。 当たり前といえば当たり前なんだけど…そういう「教訓というものを知る」瞬間の「衝撃」みたいなものを、忘れていましたね。 ある程度年をとると、教訓というものは「自動ダウンロード状態」に近くなってきます。 勝手にインストールされるという感じです。 これは「慣れ」なんですね。 でもそれには「衝撃」が付与されて来ませんから、どちらかというと表層的なところに留まりやすい。 使い勝手を心得ているから、その分「浅く」なるんですね。 臆病さと狡猾さというものが両立してるという、大人ならではの特徴でしょうか?。 …でもねー(笑)。 時には滝から落下する様な事しないと駄目ですよね(笑)。 心に杭を打ち込んでやらねば。 ふにゃふにゃになりやすくなったら駄目。 …あ、これ「姿勢」の話ですからね(大汗)。 教訓になりました。 ありがとう(ペコリ)。

noname#181117
noname#181117
回答No.2

いくら考えても、決めることが出来ず、悩んで交錯するばかり。 周囲に振り回され、ストレスに疲れ、自分を見失う。 そんな時って、頭の中は余計なものでいっぱいです。 正しい答えはどこに? 自分の心の中に。

noname#154428
noname#154428
回答No.1

そうですね。 子供の頃は 自分で精いっぱいで 他の人も皆色んなことを背負っていたり することを 自分ばかりが辛いような気持ちになったことはありましたね。 大人になると 例えばお金持ちには お金持ちの悩みとか エリートならエリートの 悩みがあって 何もない人なんて いない、ということでしょうね。 あの人は こうだから良いな~というのは 良いな~と思うところしか見ていないから。 ということが 大人になると 分かってきて 自分の人生 この先どう生きていこうか 老後は、、、なんて 真剣に 考えますね。 子供の頃は 無防備、無敵状態だったなあ、 しかも世間を知ったような口きいたな と思います。

angel_4_4_
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私も今より若い頃、といいますか今でもたまに、自分と比べて他人を羨むことがあります。 たとえその人がどんなに優れて恵まれているように見えたとしても、その人にはその人が抱えている辛さ、悩みがあるのにも拘わらず… だから私は人と深く話す時、彼らから悩みを打ち明けてもらうと、 特に私がその人のことを何て充実した人生を送っている人だと思っているほど、いつも自分は他人の目立つ一面しか見えていないんだな…と気づかされます。 しかし子供の頃は、といってもまだ高校生なので自分はまだ全然子供でしょうが、 自分のこのような視野の狭さに気づくこともせず、 今以上に何事も一見しただけでその全てを判断していましたね… hs-meet-uさんの言うように、世間を知ったかのような、でも全く未熟な口をきいていたのだと思います。