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人の優しさ

私はいつも自分の事でいっぱいいっぱいになります。わかっているのに周りが見えなくなったり,自分中心な考えです。 ですが優しくされるとすぐ涙がでてきます。涙の訳は自分がこんなに押し付けた考えなのに赤の他人でもみんな優しくて嬉しいとともに自分が情けなく思えます。 こんな性格どう改善すれば良いでしょうか? 人はなぜ見返りも求めず優しくできるのですか? 私はどうしても見返りを求めてしまいます

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  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20252/40150)
回答No.1

そうやって人の気持ちは回りまわってるんだよ。 見返りとかね、そういう小さな部分だけじゃない。 それを肌に感じるから貴方は涙が出る。 貴方がこうして書き込んでる時点で、貴方は自己中では無いんだよ。 本当の自己中は自分が一杯一杯になってることさえ判らない。 それ位視野が狭い。 貴方は貴方なりに優しくされた気持ちをお返ししたい意思を持ってる。 でも直ぐに自分の事でテンパってしまう。 そうなると、とにかく自分を保たないの、どうにかしないと~という気持ちが最優先になる。ただね、そういう風な自分がいる事を貴方は既に理解してるんだよ。理解している貴方は変わっていける。 最初はゆとりが無い。でも直ぐに一杯一杯になる自分に気がつける、もう一人の自分を自分の中に創っていけるようになるんだよ。 そういう貴方で相手を受け止めていけば、今までとは違う感覚が生まれてくる。今までは考えられなかった他者に対しての優しさのお裾分けも出来るようになってくる。少しずつね。 貴方はどういう人間になっていきたいですか? 貴方なりに良いなと思える自分自身に近づいていけるように。 貴方なりの一歩を。そこには必然的に他者への感謝や敬意も含まれてくるはずだからね☆

その他の回答 (3)

  • hiro_0404
  • ベストアンサー率43% (23/53)
回答No.4

見返りは誰にでもどんな事にもあると思います。 誰かに感謝を伝えられるのが嬉しい、誰かが喜んでる姿を見れる事が嬉しい等、実はその人にとって価値のある見返りと言う意味では、どんな無償の行為にも、見返りは存在すると思います。 具体的な金銭や行動も見返りなんでしょうが、お礼を言われる事も見返りですし、自分に出来る事をしなきゃ気が済まないと考える方は、自分のスッキリ感が見返りになってるのでは無いでしょうか? 直接、相手から貰う見返りも有れば、廻り廻って施した人を通じて、人の繋がりを経て、ある時、誰かの好意として自分が助けられる事も有るんじゃないでしょうか? 因果応報と言う言葉も有りますし、きっとそれを理性じゃなく、感覚として理解してる方は、無意識に出来るんでしょうし、得が無きゃしないと考えるから、もっと貰える得が、実は限定されてる事に気付かないとか。 確実に見返りは存在してても、見返りが返って来てる事にさえ気付けない人だって居ると思います。そんな風に考えれば、どんな行為であれ、実は全て自分の為かも知れません。 どんな些細な事にも感謝出来る気持ちを持てる様になれば、きっと、見返りを求めるより、先ず借りがあると思って、何か出来るかも知れません。それが、別の好意として自分に返ってくるかも知れません。 何時か?とか、どんな?とか考えず、まとまってかも知れませんし、細切れかも知れません。そう言う見返りに気付く為にも、感謝する気持ちを持てると良いんじゃないかな?と私は思います。 自分じゃなくて、自分にとって大切な人に返るかも知れませんしね。

  • zapper_o
  • ベストアンサー率36% (32/88)
回答No.3

時給600円で喜ぶ人もいれば、1200円でも文句を言う人がいます 親切や優しさに対し、ありがとうの一言や笑顔だけで自分まで幸せになれる人がいます 100人に優しさを振る舞い、99人に嫌な顔をされても、一人の笑顔で全て忘れられる人がいます 少しだけかもしれませんが、みんなそんな見返りを求めているのだと思います その見返りを欲する量が人それぞれなのでしょう 見返りを求めるのなら、その求める見返りと自分のした事を天秤にかけてみてはどうでしょう あなたが受けてきた優しさを基準にしてみてはいかがですか? あなたが受けたことに対し、あなたがどう見返りを返したか 相手が笑顔になるくらいの事からしていけば良いのではないでしょうか そのうち、このくらいなら笑顔すらなくても良いやと思える日が来るかもしれません ただ、あなたがすごいお礼をし続けていたのならこの回答は意味を成さないかも知れませんね

  • bakeratta
  • ベストアンサー率24% (317/1288)
回答No.2

気づかないで出来ないのと、あなたのように気づいているのに出来ないのでは違うと思います。 気づいて、がんばっているのに出来ないのであれば、いつかは出来るようになる気がしませんか? 気づいていない頃のあなただと、そのまま何も疑問に持たずに生きていたはずです。 下記のブログ・・・、「あすなろの木」、読んでみて下さい。   http://blog.livedoor.jp/okeichihousing/archives/50701190.html