• 締切済み

専門からかけ離れた講義

よろしくお願いします。 とある大学の講義科目一覧を見ていて、気になることがありました。 A分野の業績がまったくない人が「A論」の講義を持っていたり、 B分野が専門の人なのにBの講義は持っていなくて、DやGなどの(隣接分野ですらない、畑違いの)科目を担当していたり こういう事はよくあるのでしょうか? 気にしすぎでしょうか、私・・・

みんなの回答

回答No.4

よくあることです.大学にもよりますし,学部/大学院でも違います. 1.科目メニュー: まず大学の科目というのは,事前に学部/学科ごとに文科省に届ける必要があります.また,文科省の指導で,提供すべき科目を指定される場合もあります.したがって,畑違い(極端ですが)の科目を担当しなければならなくなる教員も出てきます.もちろん,大学に余力があれば,そのために新規で教員を雇うこともあります.そうした背景で,必ずしも専門でない科目を担当する教員が出てきます.その場合でも,できるだけ専門に近い教員にお鉢が回るのは常識です. 2.科目レベル: たとえば,学部の科目と大学院の科目ではレベルが違うのはご理解いただけるでしょう.つまり,学部レベルになると,学問の最先端の内容や学会レベルの内容ではなく,これから積み上げる学問の<基礎>を教える内容で科目が提供されます.そのレベルでは,教員数にもよりますが,同じ科目を複数の教員で担当できることはざらにあります. また,「XXX 論」という名前の科目があっても,別に高度な内容とは限りません.大体,大学の科目名は 「XXX 論」とすることが多く,何にでも付けられるので便利ですが,また安易でもあります. 3.科目範囲: 業績(学会論文・発表,著書,等)と担当科目は必ずしも一致しない方が一般的です.一つの理由は,学会などでの発表は,ごく狭い範囲のことが多く,学部の授業で,科目として教えるには,自分の専門が難解でもあり適当ではありません.大学院でも研究と授業は別です. しかし,教員の研究といっても,世界で評価されるとか,ノーベル賞が取れそうなものはほんのわずか,ではありますがね. 4.社会状況: 高校卒の半数が大学に進学し,定員割れの大学が多い状況では,無試験で入れる機会が増えています.つまり,学力が問われずに入学する学生が多くなったということです.今や,高校でも定員割れがあり,十分な教育が望めません.その結果,大学では,かつての学生のレベルにノスタルジアを感じて,リメディアル教育という補習教育が増えています.たとえば,高校で行う数学を大学で復習したりしています.そうなると,教員総動員で基礎の基礎の教育を施さざるを得ないのです.専門など言っておられないのです.このことは,言わば,大学が高校化していることを示しています. それでも,日本では,とくに私立大学では入学したものは卒業させるという傾向が強いので,ますます,大学のレベルが低下しています. 余談ですが,文科省は留学生30万人計画を進めています.中国からの留学生から見ると,日本に留学すると,入試や授業料に日本人学生よりも優遇措置があり,また,卒業も楽ですから,容易に学士号がとれると評判です.

commede
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。よくあることだ、というお答えで疑問は氷解しました。 >できるだけ専門に近い教員にお鉢が回るのは常識です. 常識的な大学であれば、より適切な教員が他にいればそちらに回すという事ですね。 そうせずに、明らかに適任者がいるにもかかわらず無理な担当科目を付けてくる、というのは、非常識な大学だと考えてよさそうですね。 リメディアル科目やメイクアップコースを設けるのは致し方ないという気もします。 留学生優遇措置は・・・海外の大学の「日本文学専攻」で学位を取ってくる日本人学生もいますので、、まあお互い様という事にならないでしょうか。 いろいろと詳しいお話をありがとうございました。

noname#232424
noname#232424
回答No.3

>これらについては「畑違い」でしょうね。 よく考えてみると,ほかにもずいぶんやってますね: 一般教育  情報処理  写真撮影実習  ほとんど関係ないテーマで頭数に加えられたオムニバス講義  キャリア形成 専門教育  分野は伏せますが,教員免許の必須科目 大学院教育  無断で押しつけられた留学生の指導(笑) これで給料は一人前だから,すいぶん安く使われているもんだな。

commede
質問者

お礼

それほど多岐にわたる教材の研究と授業準備をなさるのは並大抵の努力ではないと思います。 確かに、自分の専門のみを講じている先生より、おそらくはるかに多くの時間と労力を要求されていることがわかります。 (しかし逆も又真ではありませんよね?自分の専門のみを講じる先生が怠慢だとか無能だという証明にはなりませんよね。) ありがとうございました。

noname#232424
noname#232424
回答No.2

加筆。 それから,科目の性格にもよりますね。どういうことかというと,たとえば専門教育科目の「認知心理学」を,認知心理学を専門とする教員が担当するのは,順当です。いっぽう,この教員が一般教育の「心理学」を担当することになれば,認知心理学だけでなく社会心理学やら発達心理学やらたくさんの細分野をふくむ,心理学全般を概論的に講じなければなりません。 両者を比較すれば,全般的に講じるほうが桁違いの勉強量を必要としますので,難しいのです。だから,不勉強な教員ほど,一般教育科目でも自分の狭い専門分野しか講じないことになります。シラバスを見れば一目瞭然です。

commede
質問者

お礼

なるほど、確かに異分野を教えるためには人一倍努力を必要とするでしょうね。 現状ではそのような教員が、熱心で有能な先生方であることは疑っておりません。 私の質問の意図は、「それはよくある事なのか」という点と、「教学上、特に問題はないのか」という点にありました。 重ねてのご回答ありがとうございます。

noname#232424
noname#232424
回答No.1

「自分で論文が書ける」という意味での専門分野とか,「修士院生までは指導できるが博士院生は心許ない」という研究テーマとか,「大学院ではきついが正規に勉強していて学部の授業ならできる」とか,いろいろなレベルがあります。大学の開講科目はたくさんあり,それぞれに教員を雇う予算はありませんので,自分が論文を書けない分野の科目でもたくさん担当します。講義を聴くほうからいえば,その道の専門家がむちゃくちゃ高度で詳細な内容を話すよりも,多少門外漢の教員が「自分にわかるぶんだけ」をかいつまんで話してくれるほうが,むしろいいかもしれませんね 笑。 また,教員の役割を分担するとき,ある教員が学部長や入試作問などで多忙であれば,あるいは体調がすぐれなかったりすれば,隣接分野の教員が代わることもあります。 ぼくは英文学や英語学を専門にしていませんが,一般教育の「英語演習」や,専門教育の「論文講読」(かなりが英語の授業になってしまう)を担当したりしますので,これらについては「畑違い」でしょうね。

commede
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど、私が見たのもそのような「畑違い」でしたが、特に珍しいことでもないのですね。 >多少門外漢の教員が「自分にわかるぶんだけ」をかいつまんで話してくれるほうが,むしろいいかもしれませんね 笑。 参考になります。ありがとうございました。

関連するQ&A