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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自分の内面を探求する人って・・)

内面を探求する人とは?ネットオークションでの体験から考える

このQ&Aのポイント
  • ネットオークションでの落札者のIDを検索した経験から、自分の内面を探求する人の特徴について考える。
  • 自己探求の投稿をしている人は自分にしか興味がないのか、一般社会の常識や公共心が劣っているのかについて疑問を持つ。
  • 自分に対して人一倍興味がある人の行動は、自己中心的な傾向に繋がるのかについて検討する。

質問者が選んだベストアンサー

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  • genmai59
  • ベストアンサー率45% (1214/2675)
回答No.5

自分に興味があること=自分勝手とは言えないと思います。 自分を探求することで、自分の長所や短所、自分と世界との関わりなどについて考えられることもありますよね。自分の内面を追求していると、人に腹が立ったときでも、「ああ、自分はこんな体験があるから、この人のこういう行為が許せないのだな」と冷静に分析することもできます。 自分の心の動きに感心がない人は、何か気に入らないことがあれば、すべて「他人が悪い」で片づけてしまうこともあります。そういう人を何人か知っています(笑)。 つまり、自分を探求するというのは、性質のひとつにしかすぎず、それが自分勝手な形で現れるかどうかは、その人次第でしょう。

その他の回答 (9)

回答No.10

まずね、質問者さんのおっしゃる >一般社会の常識や公共心などが劣っている タイプの人っていうのは、どこにでもいると思うんです。 社会的スキルの低い人、といったらいいんでしょうか。 要は、自分が社会の一員として生きているんだ、っていう自覚に欠けている人。 電車の中で足広げて座る人だって、ゴミの日を守らない人だって、そのタイプの人だと思うんですね。 だから、自分の内面を探求する人=社会的スキルの低い人ではないと思います。 #9さんが言ってらっしゃるのと一緒なんだけど、簡単に言うと、ラーメンが好きな人と、アイスクリームが好きな人、みたいなもんです(こんなまとめ方して#9さん、怒らないでね)。 その一方で、生徒(いまバイトで小論文指導やってるんです)の中にも、それこそ「自分って何だろう」っていう問いに、がんじがらめになっているような子がいる。 そんな子に文章書いてもらうと、ニーチェとか、デリダとか、ユングとか、はたまた宮台とかかじってる子もいて、まぁそれっぽい用語がいっぱい出てくる。 はたまたニューエイジに染まってる子はそっちの用語。 そんな用語使って何を言うかっていうと、自分のことを一生懸命、説明しようとしてるんです。 自分はいかに特別か。 世の中がどれだけ生きにくいか。 周りとうまく折り合えないか。 なんか違うな、って思う。 構造主義も、あるいはユングの内向的直観タイプも、自分のことを説明するためのツールではない、と、少なくとも私は思ってます。 考えるのは、とってもいいことだと思うんです。 だけど、そんなふうに考えてると、しんどいだろうな、とも思う。 自分って何か、っていうことを考えるのは、それこそタマネギの皮を剥いていくもののようなところがあって、どこまでいってもキリがない。 また、別の観点から考えると、たかだか19年だかそこら生きてきた人間を掘り下げていったって、たかが知れてる、とも言える。 たかが知れてるからキリがないのかもしれない。 「たかだかこれくらいの自分」に我慢できないから、よけいにああでもない、こうでもない、って考えてるんじゃないか。 十代半ばから二十代の初めにかけて、って、そういうことを考える時期ではあると思うんですね。 一回も考えたことない、みたいなヤツなんかとは、自分自身ちょっとお友達にはなりたくないかもしれない。 だけど、それを考えるのは、社会の中で生きていくっていうことと、どこかで結びついていなくてはいけないような気がするんです。 まぁこれは私の考え方なんだけど。 自分のことを考えるのにあまりに夢中になってしまって、外界とのギャップに苦しんでる子がいる。 そういう子がみんな社会的スキルが低いわけではない。           むしろ、一面ではものすごく洗練されていたりもする。ただ、切り捨てている部分もある。どうでもいい、と思う部分は、極端なまでに無頓着っていうか。 質問者さんが感じられた部分って、こういうところだったかな、と思ったりします。 過度に一般化する必要はないけれど、まったく個人的なケースとして片付けてしまっていいのかな、という疑問が残るのです。 そんな子とどんなふうに話していくか。 そんな子に通じる言葉があるのか。 これはまぁ、私の問題意識なんですけどね。

  • selfer
  • ベストアンサー率76% (104/136)
回答No.9

こんにちは.普段はこのカテゴリで回答はしないのですが,質問内容にいろいろと興味が引かれましたので回答させていただきます.性格心理を研究している者なので,以下「かたい」文章になっていますが御了承下さい. 偏見かどうか,に対する結論を述べると偏見です. 断言的な結論を言いましたので,それなりの証拠を説明したいと思います. 内面世界に対して関心を向ける人というのは一般には「内向性」と表現されます(反意語は「外向性」であり,外界世界に対して関心を持つ人のことです).「外向-内向」という概念を提出したのは,かの有名なユングです. さて,心理学的に性格とはどのようなものであるのかとして長い間研究がされてきています.そこでのアプローチは「人の性格にはどのような側面が,いくつぐらいの側面があるのか」と,性格はいくつかの側面(専門用語では「性格特性」といいます)から構成されていると仮定して研究が行われています. 長い研究を経て,現在では性格というのは 1)外向性:元気かどうか? 2)協調性:協調的かどうか? 3)勤勉性:真面目かどうか? 4)情動性:感情的かどうか? 5)開放性/知性:ひらめきがあるかどうか,知的かどうか? という五つの側面から構成されているのではないか,という共通認識が得られています. この結果は多くの人数データから得られたものです.私が知る限りでは,数千ぐらいの人数をもとにしたデータで,しかも世界の多くの国々で同じ結果が得られています(具体的な研究データを見たいというのならば,書物や論文などの具体名を示しますので補足要求してください). さて以上の研究成果を踏まえて,質問者さんの質問に回答すると,「哲学や人の内面世界に関心を持つ」というのは先の「外向性(が低い,すなわち内向性)」の性格側面に相当し,「一般社会の常識,公共性がない」というのは「協調性(が低い)」という性格側面に相当します. 質問者さんはこの「外向性」と「協調性」は,ほぼ「外向性≒協調性」ではないかと考えているわけです.しかし本当に「≒」であるならば「外向性」と「協調性」は別個の性格側面ではなく「外向+協調性」という一つのまとまった性格側面として,研究データに現れるはずです. しかし,多くのデータから「外向性」と「協調性」は別個の性格側面である,ということがかなり明確に示されています. 以上のことを理由に,質問者さんの「偏見かどうか」に対して「偏見である」と回答しました. 追加として. 以上のように本来別個の性格をあたかも「同じような・関連があるような」性格として捉えてしまうのは,自分にとってインパクトのある情報から得た関連性や法則性を「過度に」一般化してしまうという人間の認知的な特徴によるものです. このような人を認知する場合の心のメカニズムなども,長年心理学的に多くの研究者が参加しています.関心があるようでしたら心理学の本などを読んでみて下さい.

回答No.8

No.4のものです。 私はNo.6の方の意見に賛成です。 また、No.7の方の意見にも賛成です。 関心が自分に向いている人が誰でも 自分勝手だと認識されるとしたら とても辛いことです。 私がそういうタイプだからと言うのもありますが、、。 私は極端に(極端だと言うことがよくないのですが。 何事もほどほどでバランスが取れているのがいい。) その傾向が強いですが、 常に自分を向上させようという意識が働きます。 大して向上もしていませんが、、、。 性格の中のどんな性質もいい面と悪い面両方を 持っていると思います。 悪いばかりでもないと思います。

  • alchera
  • ベストアンサー率45% (209/457)
回答No.7

偏見の可能性が高いですね。 というのは、 >こういう事を深く考えている人って、興味の対象が「自分だけ」に向けられていて、一般社会の常識や、公共心などが劣っているんではないのかな・・って。 この部分に関して、サンプルがあまりにも少ないからです。ご質問の中であげられているのは、当該の人物と、ソフィーの世界の知人の方だけ。まあ書いた他にも何人か思い当たる人がいるとしても、せいぜい10人20人。何百人とはいないでしょう? 更に、○=×である、ということが正であるためには、 ○ノットイコール×の存在がないことを確認しなければなりません。この場合は「自分の内面を深く考えている人で公共心の高い人はいないのか?」です。 どうですか、けっこういそうな気がしませんか?それを割合として確認して初めて、○=×が成り立つのです。 もし○=×?ということを思いついたら、必ず「逆はどうか?」と考えて下さい。それで偏見かどうか気づけます。 心理学か何かを専攻している学者さんが、相当の規模で心理テストを行って「という結果が出た」というなら、それ相当の説得力はあるかもしれませんが、今の状態では単に質問者さまの主観ですね。 こういう否定的な法則には縛られない方がいいですよ。 「偏見」は自分の経験で出来上がってくるもので、人間みんな持っているし、そもそも生きる上で必要だったりもするわけですが、でも反面質問者さまの人間を小さくします。 まあ偏見だと認めた上で「自分の内面を深く考えている人には注意して接しよう」という意見を持ち続けるのは、他人がどうこう言う性質のものではありませんが、だからこそ自分の内心に収めておく方がいいでしょう。その方がグッドマナーです。

noname#155689
noname#155689
回答No.6

自分の内面を探求する人と 自分の心の内面を語りたがる人と 人の為に自分が犠牲になるのが耐えられない人とでは それぞれ違うと思います。 う~ん、でもまあいずれも 基本的には「自意識」が強い傾向はあるかな? でも、私は内省的なタイプですが 自分は何、どこから来たの?なんて、恥ずかしくて語れないな。 あと、自己犠牲だってナルシズムに通じるものがあると思うし。 さらにいえば「自分の存在価値」みたいなことに 悩まない人なんてほとんどいないでしょ? ということで、そんなに単純ではないと思いますよ。 私はむしろ、自分の内面を探求しない人って 要するに自分を見ようとしない人って 自分から逃げているように感じます。 自分を見つめる行為は絶対必要だと思います。 ただ、自分をよりしっかり見るためには 周りを見ることも必要なのではないでしょうか。 つまり、両方必要な筈。 片一方しか出来ない、というのは 即ち其れを「未熟」と言うんだと思います。

回答No.4

こんにちは。 私もその落札者の方と同じタイプです。 同じ所は、興味の対象が常に自分にあると言うことです。 これはなんともしがたいところです。 興味が自分にあると言うことが、適度であればよいのですが、 私のように極端だとあまりよい結果にはなりません。 ただ、自分でそれを何とかしようと努力しても なかなか直りません。 その努力こそが関心を自分に向ける行為自体にもなると言うことは皮肉なことです。 しかし、それで人を困らせるかどうかはまた別問題です。 関心の対象が常に自分にあっても、 それが今回のように、自分さえよければ良いとの 行動に走る人もいれば、 私のように他人から見た自分、、 というものに走り、 いつも人のために何かしてあげたい、 人をキヅつけたくない、 人から愛されたい、 人からよく思われたい とばかりおもうたいぷもいます。 その場合でも、人を大変キヅつけることは ありませんが、 かといって人との付き合いがスムーズに行くとも 限りません。 ちょっと話がまとまりませんが、、。 一つの性質がある特徴を呼ぶと言うのは そう多くなく、大抵は幾つかの特徴が重なり合って 例えば今回のような結果をもたらすと思います。 お気持ちはよく分かります。 極端に自分に意識が向きすぎている人は 確かに自分勝手だとか、 社会性に乏しいと見られがちだとは思います。 そして私も社会性に乏しいです。

  • yu-taro
  • ベストアンサー率39% (3209/8203)
回答No.3

   kawabatantanさんこんばんは。オークションのトラブルは多いですね。ここにもときどきいろいろな方が質問しています。私はオークションの仕組み自体に問題があり、最初から信用おけないと思っているので、物の個人売買は現物を確認した直接の手渡しだけなので、トラブルは一度もありません。  さて、話は本題になりますが、いわゆる自己中心的な人というのでしょう。そして、考え方が大人に成りきっていないと感じました。  考え方は人それぞれですが、kawabatantanさんの考え方は偏見ではないと思います。  私は自分の事を分析すると、ある意味でお人好しだと思いますし、そう言われた事もあります。自分は確かに大切ですが、何か人のためにしたいという気持ちがいつもあります。ボランティアという事に似ているのかもしれませんが、献血なども時々しているし、古切手を集めて慈善団体に送ったりしています。つまりは自分の出来る事をして他の人に役に立てられたらと思っています。この教えてgooに回答を書いて、人に役立ってお礼の言葉がもらえるととても嬉しいです。  自分を大切にしながら、自己中心的にならず、他人にに迷惑を掛けないで生きて行く。そして、いろいろな経験から、僅かでも他人に役立てれば良いなと思っています。こんな感じが良いと思いますがいかがですか。

noname#7627
noname#7627
回答No.2

 一概に「自分に対して人一倍興味がある」という事は…(省略)と言うこと ばかりでは無いと思います。 もっと~な方もおられたり、逆の方もおられます。  kawabatantanさんのご意見は「偏見である」とは言い切れないですが、 ただ、「相手が劣っている、~である」ではなくて、おせっかいでも 一般社会の常識や、公共心を教えてあげる気持ちで接してあげることが 大切かなぁ~って思います。  それだけ、現代社会がドライだと言うことを物語っていますね。  他人の子が悪いことをして、人前で注意できない大人が多いですから。 (私もその一人ですけどね…。ちょっと愚痴。)  『ソフィーの世界』まだ未読ですので、また読んでみたいと思います。

  • upas
  • ベストアンサー率15% (24/155)
回答No.1

私はその落札者さんに近いのですが・・・ 自分を考える事も大切だと思うんです(私の場合は年齢的にもそんな年齢なんだからでしょうが) >「自分が一番大事」 人間誰しもそうだと思います。そういう人に限らず kawabatantanさんは違うのですか?誰かも知らない人のために不利益が生じるかもしれないのに何か出来ますか? 私はむしろ、そういう人が社会に適応で着てないのではなく、社会に適応しなかったから、自分と向き合う機会が増えてそういうことになったのだと思います。 かなり偏った意見ですが・・・

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