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哲学的、宗教的にみれば北朝鮮への食糧支援問題は単純

北朝鮮へ食糧支援を行うべきかについていろいろ意見があるようですが、 哲学的、宗教的に見れば話は単純ではないでしょうか。 私たち人は善と悪どちらをなすべきかと考えたとき、当然善を成すべきだという選択になります。 北朝鮮に飢えに苦しむ人がいるならば我々は善性に基づいて食糧支援をおこなうべきではないでしょうか。 食糧支援に反対する意見の多くは、その支援が権力者の私服を肥やす事につながるのではないか、独裁政治を持続させるだけではないかとの危惧のようですが、それは別のこととしなければならないのではないでしょうか。 善悪とは結果の属性ではなく、人の心の属性であるはずです。 結果を恐れて善を成さないという事は本末転倒ではないでしょうか。 要するに善性に基づいて行動するか、結果に基づいて行動するかということです。 哲学的、宗教的には善性に基づいて行動するべきでしょう。 経済、感情、理論に基づくなら損得を基準にするべきではないでしょうか。

みんなの回答

noname#176957
noname#176957
回答No.7

支援問題の善悪の両面性を 経済学の用語で 「サマリア人のジレンマ」 というそうです。 つまり善の面のみに着目するのは、名前がつくほど典型的な誤謬であるということかと。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 支援をどう受け止めるかの問題は北朝鮮にお任せしませんか。 我々の心配することではないと思います。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.6

私たち人は善と悪どちらをなすべきかと考えたとき、当然善を成すべきだという選択になります。 ○「当然善を成すべき」は正しいことですね。ただ善悪の判断が問題なのです。 北朝鮮への食料支援は、人の心の属性として絶対善であると考えておられるのでしょう。 それが正しいかどうかなのです。神の考える善とはそのように単純なものではないというのが本当のところなんですよ。 あなたの「人の心の属性として絶対善」は「悪」として認定される場合があるのです。それが神から見た善悪なのです。神の大善は個人の小善を悪と見るということなのです。神の大善を自らの善としない限り、何をしようとも救えないのですね。一時的な空腹は満たされるでしょう、でも神から見た悪は必ず滅ぶようになっているのです。食料難の次は疫病、天変地異と果てしなく続くのです、この世から消えていくものはさらなる食料を医薬品を望むでしょう。それにあなたの小善がどこまで耐えられるかということですね。 何故そうなったかを反省し、悪しきをたださない限り、改善はしないのですね。つまるとこと反省できない者や国家はとことん困ってみるしかないのではないですかね。地獄の釜の底をわって初めて見えるものもあるということでしょうね。その釜を背負っているのは神ですね。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 正直、神の出る幕ではないと思います。 善の大小も関係ありません。 支援を行ってもあの国が滅ぶかどうかはあの国が決めればいいことです。 それは支援国にとっては或る意味関係のない話です。 目の前に老人が立てば席を譲ればいいのです。 その老人がどんな人間かは関係ありません。 それが席を譲る者の善性ではないでしょうか。 ※絶対善とは行為や結果ではなく、必ず最善を選択する法則の事です。

回答No.5

どうも今日は。 これは以前私がした質問に端を発していると思います。 質問内容のようなご回答を期待していたのですが、 実務的な回答が集中したので締めました。 http://okwave.jp/qa/q7046446.html   食糧支援をするべきが善であり、良策だと思います。 では、私の立場はshift-2007さんと同じかといえば実はNoなのです。 故にあのような質問を立てました。 既に我々は何度か行動しています。残念ながら結果に結びついていません。 何故なのかを考えた時、民族という大きなカルマに行き着きました。 彼らが本気で自立を考えれば、自ずと解決の道は開けてくるでしょう。 本当に悔い改める気があるのなら、援助する国に対して ミサイルなど向けないでしょう。 厳しい態度で見守るのも慈悲の心ではないでしょうか。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうです、この質問はyasyatenguさんへの私なりの回答なのです。 私は一つはっきりさせておきたい事項があります。 それは私たちが求めているのは結果なのかそれとも、善性に基づく行動なのかという事です。 >既に我々は何度か行動しています。残念ながら結果に結びついていません。 結果(ここでは北朝鮮という国のより良い変化でしょうか)を求めるのであれば支援を行わないという選択もありです。 それは否定しません。 しかし哲学的、宗教的な生き方を求めるのであれば私は結果ではなく善性に基づく行動を選択するべきだろうと思うのです。 今後千年北朝鮮が何の変化もしなかったとしてもです。 善性とは結果の属性ではありません、人の心の属性です。 良い結果が善ではありません。 私が寄付をしたからといって私が善人であるという事にはならないのです。 結果が出なかったからといって善性を無価値とするべきではないのです。 もしあの国にカルマがあるのであればそれはその国の問題であるはずです。 支援する側の問題ではありません。 お年寄りに席を譲るのにそのお年寄りのカルマは関係ないと思いませんか。 食糧とカルマは別の話ではないでしょうか。 お腹がいっぱいになったとしてもカルマは消えません。 空腹だとしても同じです。 カルマはその程度のことで消えたりはしませんでしょう。 食糧援助はカルマの解消ではなく、空腹を満たすために行う行為でそれ以上もそれ以下もないと思います。 物質的に豊かな日本の自殺者数は年間三万人です。 豊かさがカルマの解消につながらない例ではないでしょうか。

noname#145142
noname#145142
回答No.4

 わたしはそうだと思います。善意性に元ずくならば、ぞうすべきでしょう。 東日本大震災だって同じ、略奪が起こるかもしれないのに支援しましたね。 同じでしょう。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私もその通りだと思います。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

善悪はそう簡単な事ではないでしょう。 1,食料支援をしても、それが餓えた人の処に  届く、という保障は何もありません。  日本に向けた核ミサイルが増えるだけかも  しれません。 2,仮に届いた、それで救われた、としても  それがどうだというのでしょうか。  彼らは日本に感謝などしませんよ。  元気になって、日本に銃を向け、反日活動に  励むだけです。  もしかしたら、支援が原因で拉致が増えるかも  しれません。  日本におけるスパイ活動が活発になるかもしれません。 3,支援は結構ですが、それが日本に跳ね返って  日本人に損害を与える、ということは考えないのでしょうか。  彼らは敵なのです。  敵を利すれば、日本に被害が及ぶことは充分にあり得る  でしょう。  それでも善なのでしょうか。

shift-2007
質問者

お礼

結論からいえばそれでも善です。 保障、感謝の有無、犯罪の増加、自身への不利益・・・・善にとっては全く関係ないです。 それが善はないでしょうか。 善は結果の属性ではないというのは宇宙の法則だと思いませんか。

回答No.2

共同募金で集めたお金を 主催者が自分のふところに入れているとわかっていても それは別のことだから 募金しなさいということかな

shift-2007
質問者

お礼

そのような結果になるかもしれないが恐れるなということですね。 ご回答ありがとう御座いました。

  • kikitetsu
  • ベストアンサー率19% (24/125)
回答No.1

あなたが本当に北朝鮮の人民の貧困、人権抑圧を考えているのなら先に北朝鮮の独裁政権を倒し国民を解放する方向へと行動すべきではないでしょうか?敵国の私腹を肥やすことは、間接的に日本国民の生命を危険にさらす行為になるのではないのでしょうか? まず自衛隊を軍隊とし、軍備を増強させ、核を持ち、北朝鮮に侵攻するべきなんです。 北朝鮮国民を解放してあげましょう。 北朝鮮は日本の属国として支援してあげればいいじゃないですか。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとう御座いました。