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3年間補欠で球拾いに意味はある?
よく野球部やサッカー部など運動部に入っても向いてないので 補欠で球拾いで3年終わって試合には出られない人がいますが、 こういうのは意味あると思いますか? その後の人生に良い影響、悪い影響などありましたら 教えてください。
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世の中には美味しい料理を食べる人と、他人が食べ残した料理の残飯を漁る人の2種類が居ます。 これを残飯整理などという綺麗な言葉で表します。 球拾いは、残飯整理に相当するものですね。 たまに、あまりかじってない美味しそうな残飯が来ればラッキーと言って喜ぶ。 好きな人の残飯が来れば、その人と間接キッス出来て嬉しいと思う。 そういう、わずかなことで幸せを感じることが出来るのが残飯整理の醍醐味です。 補欠で球拾いで3年終わった人ですと、鍛えられていて残飯整理のプロです。 突然風が吹いてきて女子高生のスカートが捲れて生足が見えた・・ などという些細なことでも一生の宝物のような美しい思い出に出来るのです。 そして、その美しい思い出を胸に抱いて一生を独身で過ごすことが出来るのです。 3年間の球拾い人生は決して無駄では有りません。 骨の髄まで負け犬根性を叩き込まれて、 どんな逆境でもヘラヘラ笑って人生を過ごすことが出来るようになるのです。
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- hyuuma8579
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陽の当たらないところ(舞台裏)で、黙々支えてくれている人がいるから、表舞台が一層輝きを増すのです。 そういう人がいなかったなら、役者(=レギュラー)は舞台にすら上がれなくなってしまうでしょう。 自分で打って投げて球拾いまでしてたら、集中力や効率を欠き、それこそやってる意味がないでしょう。 適材適所、役割分担・・・とても重要なことです。役割がみんな同じということはありません。 光と影、これも同じです。光があるところには影はつきものです。表裏一体なのです。 どちらが素晴らしいという関係ではなく、どちらも切り離せない、必要とし合う関係なのです。 栄光を掴んだとして、それは、表の者だけで得られたのではなく、裏の者の頑張りなくしては得られないのです。だから一つの栄光は、表も裏も喜びをひとつにしてくれるのです。 そして、学校も嬉しいし、地域もうれしいし・・・直接やってない人にまで栄光は分かち合えるのです。 白鳥やアヒルも同じです。水面から上を見れば、如何にも優雅に悠々と泳いでいますが、水面下では、その優雅さを保つために激しく水掻きしなければなりません。 もし、球拾いという裏方しか知らないのであれば、それは貴重な体験となるでしょう。 いつの日か、自分が表側で活躍するような立場になったとき、「お陰様で」という感謝の気持ちが誰よりも身にしみてわかるはずだからからです。 裏を通過した人は、本当に苦労した経験があるから、反対の立場に立ったとき、感謝の気持ちもわかるのです。 形や言葉だけの感謝は誰にでも言えるのですが、心からの感謝は、誰でもが言えないのです。 そういう貴重な体験があればこそです。 また、表しか知らない人は、あとで裏側の立場に立ったとき、どちらかと言えば、不満な方向に流されてしまいやすいのです。 「若いときは苦労は買ってでもしろ!」というのは、それが役立つ時が必ずくるからです。 年取ってからの苦労は、悲しすぎますが、若いときの苦労は、清々しいですね。 ある意味、甲子園の勝利者よりももっと凄い役者かもしれません。 だって、選手に選ばれず、三年間球拾い・・・ある意味こっちの方が役者が上ですよ!! 陽の当たるところでなら、そりゃ誰だって頑張れますよ! 三年間球拾い・・・誰でもできることではありません。・・・本当の主役ここにありです! くだらないからやめる・・・意味がないからやめる・・・やめる言い訳はいっぱいあるのです。 だが、それをやり続けることで、初めて見えてくる風景があるのです。 やり通した者にしか見ることのできない素晴らしい景色があるのです。 その景色が見えた時こそ、真の栄光を掴んだといえるのです。
お礼
必要以上に下積みを美化しているように感じました。 野球部に入るのは、試合に出て緊張感の中でプレーして 技能と精神力を磨くのが第一義的な目的で、 球拾い礼賛は、どこかで道を間違えているように思います。
- larrymiz
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2軍まであって、練習でも出来れば、意味があるでしょう。でも、本当に優れた指導者、監督がいれば、3軍4軍以下なら、他の運動適正のある部に転部することを勧めるでしょうね。 私も、3年間運動部にいましたが、最初にトライアルで入った部長に転部を勧められて、少しでも楽しめる3年間になった経験があります。 また、同級生で、3年間野球部で、補欠の補欠で過ごしていたのが、3年生末の水泳大会で、一位で、水泳部部長が、あと数ヶ月早く分かっていたら、進路が大きく変わっただろうと嘆いておられました。レギュラーの補欠未満なら、本当は、進路を変える決断をしないと、本当に良い道に進めるか分からないような気がします。
お礼
回答ありがとうございます。 本人の適性、相性というのは重要ですね。
- Marco0123
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初めまして。 3年間球拾いとは…。恐れ入りますね。 与えられた役割をきっちり熟されて忍耐、自信が培われたかと。 人生には忍耐が必要な時も、少なからずあるかと。 私的には、悪い影響として捉えてはございませんね。 (~_~)
お礼
人生には忍耐が必要な時もあるのは確かですが 人格形成期の若いうちにそれを体験する必要があるのかは 疑問です。。
こんにちは! >補欠で球拾いで3年終わって試合には出られない人がいますが、 こういうのは意味あると思いますか? はい!大いにあると思います。というか、逆に三年間も続けられること自体が評価に値するものだと自分は思います。 野球などでは勿論ですが、会社にだって裏方さんは絶対に必要なんです。どんな職場にでもです。華やかに見えるテレビの世界だって大勢のADさんなどの裏方さんの力がなければやっていけないと思います。 「石の上にも三年」といいますが、三年間同じことをチームの為に続けられた方は社会に出てからも必ず必要な人材になると思います。少なくとも球拾いが嫌で投げ出してしまうような方々よりは絶対に上のランクの方々だと思います。
お礼
テレビのADさんの実態をご存じでしょうか。 睡眠は2、3時間で休み無し、給料は激安 人材は育たず使い捨ての世界ですよ。 自分が使い捨てされる側になりたいですか?
そりゃ、本人の心がけ次第でしょ。 レギュラーでエースだって、、堕落する奴は堕落する。
お礼
レギュラーでエースの人間と3年間球拾いの人間 どっちが腐る可能性が高いかというと それは球拾いではないでしょうか。
お礼
> 骨の髄まで負け犬根性を叩き込まれて、 たかがと言っては失礼ですが、たかが球遊びの野球の部活動で その後の人生に悪影響を与えてしまいかねないのが 気になります。 人生の主人公は自分なんだという気概が削がれるようで。