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キリスト教の復活の意味
キリスト教、又は聖書では「復活」ということをいっていますが、どういう意味なのでしょう。輪廻転生や生まれ変わり(再生)とはどう違うのでしょう。
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>「復活」ということをいっていますが、どういう意味なのでしょう。 キリスト教に限らないのだけれど、一神教の基本的な世界観として、来世を定義しています。 「神」の教えに従って生きれば、死後は永遠に安泰が保証されるという設定です。 仏教宗派の一部にありがちな「極楽浄土」という設定も、じつはこの一神教の教えを参考にしています。 (「仏像」も、キリスト教的な布教方法を参考にしてるんですよ) この「来世」という定義を民衆に分かりやすく説くためには、肉体そのものの復活劇を演じてみせなければなりません。 当時も今も、民衆とはそういう分かりやすさに感動する「愚か者たち」だからです。 一時的に甦ってみせて、ありがたいお言葉を伝えた後、来世たるあの世(すなわち天国)へ召されていく寸劇です。 キリストそのものは神ではないので、神のおつかいとして、民衆に「神と来世」を解り易く説明するのが使命ですから。 (これを使途といいます) >輪廻転生や生まれ変わり(再生)とはどう違うのでしょう。 「輪廻」というのは初期の仏教宗派があみ出した例え話(説話)です。 仏陀の「悟り」とはすなわち「食物連鎖の法則」ですから、これを科学的考察法の何も無い当時、 あまねく人々に分かりやすく説明する為のお話です。 仏陀は仏教の設立には何も係わっていないので、彼の定義した設定ではありません。 仏陀自身は「食物連鎖」を上手く民衆に説明する能力はなかったのですから、 彼がこの「輪廻転生」という説話を方法論として追認したかどうかは不明です。 さらに時が流れ、ある教団の中には来世の設定として、極楽や地獄や畜生道という設定もあみ出しました。 多分にキリスト教の影響を受けているのですが、仏像による布教法との類似点が認められます。 宗教を考察するにあたっては、一つの宗派を妄信するのではなく、 それがどういう位置にある教団で何が目的なのかを見極めなくてはいけません。 もし高名な教祖様たちが、自身の教団の優位性のみを主張するなら、それは偽物の証です。 ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も仏教も、右派は国の政治を巧みに操り、民衆を戦争に駆り立てています。 つまりそれらは全て、偽物の宗教であるということです。 この場に書き込む人の中にも妄信者は沢山います。 何が正しく何が間違っているのか、自分の頭で考えられない人たちです。 どうかそういう偽物の言葉に騙されないように、心を強く持ってください。 あの世なんてありません。 一度限りの人生です。 どういう世界が理想なのか、どういう未来であって欲しいか、ご自分の頭で考えてくださいね。
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- agripapa
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虚妄 ・
お礼
簡潔な回答ありがとうございます。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 ▼ (ローマ書 6:4-11) ~~~~ わたしたちは洗礼によってキリストと共に〔* 十字架じょうに〕葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。 もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。 わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。 死んだ者は、罪から解放されています。 わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。 そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。 キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。 このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。 ~~~~~~~~~~~~ ☆ ひとつの例としてこのような説明が あたえられています。 よく分かりません。言いかえると 将来すべきコトとして臨むのがただしい。こう思われます。 けれども問題は そのコトがどういうことなのかが現時点では分からないというのが 重要です。 それは その将来のコトが 分からないというかたちで 現時点においても実現しているということだからです。 いま・ここなる《わたし》の現実として――未来のことがいま・ここなるわたしに現在するかたちで―― 復活はある。こういう意味です。 天国に行けるとか地獄に落ちるとか そういう子供だましではありません。(そのたとえは いわゆる大自然あるいは人間という存在や生命にたいするおそれの重要性を示すものです)。
お礼
ありがとうございました。キリスト教の説く救いの論理はわかるのですが、わかるがゆえにこどもだましのようなきがしてなりません。そもそも原罪の設定に無理があり。死をことさら忌避すべきものとしていて、その原罪に結び付ける強引さがなじめません。限りなく不自然を感じるのは私だけでしょうか。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
今は不幸でも文句を言うなよ、だって復活があるんだからね、、、。
お礼
ありがとうございました。
- kusirosi
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輪廻転生・・・ヒンズー教や、仏教で成仏する前の衆生 死んだら、しばらくして何かに、また生まれる(でも、悪いことしていると地獄や動植物に(>_<) 生まれ変わり・・・どこかで、また人間に(普通は前世のこと覚えてない) 再生・・・何らかの方法で、肉体を蘇生させる(劣化してることもあり) (キリスト教の)復活・・・聖書の、よみがえったイエス様のように、生前の記憶人格を継承し、外観は似ていても、不老不死の強靭な体を、与えられ、イエス様の近くで生きる。
お礼
ありがとうございました。
- gadovoa
- ベストアンサー率28% (835/2909)
下記URLにキリストの復活に関して詳しく書いてあります。 しかしこれは信者が書いた説でしょう。 教団者がどのような意図で「復活」という言葉を使うか。 「信者獲得」でしょう。 なんといっても神がかりで神秘的ですからね。
お礼
ありがとうございました。キリスト教でいっている「復活」とは結局、イエスキリストが十字架上で死んでも生き返ったという話なのですね。それが、神とつながっていて、イエスを通じて信仰するものはあるときに至ったら生き返ることができるという信仰に対する保障のようなものなのですね。 それにしても、生命保険と違っていつどのように保障されるのかが定かでないのが気になります。
- datchi417
- ベストアンサー率27% (515/1904)
輪廻転生や生まれ変わりは、また赤ちゃんから成長していきますが、キリストの復活はRPGの復活の呪文と同じようなもんです。
お礼
ありがとうございます。ところで、RPGとは何の略でしょうか。参考に教えてください。
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お礼
ありがとうございました。仏教もキリスト教の布教の仕方を参考にしているといわれているのは興味深いことです。確かに元祖(教祖)の意図に関係なく教団が発展していくとケースは多くあると思います。信者を獲得して支配するためには魅力的なグッズ(小道具)を用意するのが効果的ですが、「復活」などもその魅力的なものとして掲げているのでしょうね。