※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:旧閣僚の手から逃れたマスコミ)
旧閣僚の手から逃れたマスコミ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110826-00000090-san-pol
首相きょう退陣表明 原発対応再検証 全ての不信、東電はけ口
東京電力福島第1原発をめぐる動き(写真:産経新聞)
「東電のばか野郎が!」。首相の菅直人が、福島第1原子力発電所事故をめぐり東京電力への怒りを爆発させたのは3月15日、東日本大震災の発生から4日後のことだった。
本紙は同月11日の大震災から1週間後の検証記事で「東電が後ろ向きな姿勢だったことに、菅が不信を募らせた」とした。だが、その後分かってきたのは、現場を理解しない上スタッフも信用せず、イライラを「東電不信」という形でぶつける最高指揮官の姿だ。冷静さを失った菅が自ら作り出した「東電不信」-。菅は26日、正式に首相退陣を表明するが、東日本大震災を「天災」から「人災」に変質させた首相の混乱ぶりを改めて検証する。(今堀守通)
≪海水注入≫
■「再臨界ないと言い切れるか」
「海水注入を止めるような指示はしていない。真水がなくなったら、海水を入れるのは当然の判断です」
菅は週刊朝日のインタビューで、3月12日夜の1号機海水注入について「首相が注入停止を指示した」との報道を改めて否定した。
だが、関係者が異なる菅の姿を証言し始めた。
同日午後に起きた1号機の水素爆発。菅はこれですっかり狼狽(ろうばい)していた。東電や原子力安全委員長の班目(まだらめ)春樹ら原子力の専門家さえ、格納容器が破裂する可能性はあっても建屋の水素爆発は「想定外」。菅は水素爆発の可能性を進言しなかった班目らへの不信感を強めていた。
そこに海水注水が持ち上がる。
東電は原子炉注入用の真水がなくなる12日午後2時50分すぎに海水注入を行うと決め、首相官邸にファクスで通報した。ところが官邸内の危機管理センターに届けられたファクスは書類に埋もれ、菅の手元には届かなかった。
東電側は「官邸の反応がない」。菅は「東電は何も言ってこない」。双方がイライラした。こうして、海水注入をめぐるドタバタが始まる。
午後6時前。首相執務室隣に用意された原発事故用の対策室。菅の前に経済産業相の海江田万里、班目、東電関係者らが集まった。
海水注入開始を知っていた東電関係者が「海水注入しかない」と説明。全員が菅の顔色をうかがった。
菅は「すぐにしろ」とは言わなかった。
「安全委はどうだ。保安院はどうだ」
矢継ぎ早にただす菅。班目らが「それしかない」と返事すると、しばらく沈黙してから「爆発」した。
「海水を入れると、再臨界になるという話があるじゃないかっ」
さらに、班目らに視線を向けると言い放った。
「君らは(建屋の)水素爆発はないと言っていたな。だから、再臨界はないと言い切れるか!」
負い目を感じた班目らが「ゼロではない」と答えると、菅は「その辺をもう一度整理しろ」と怒鳴り散らした。
その場の東電関係者は、「この状況で海水注入はできない」と判断。慌てて部屋を出ると、携帯電話で東電本店に連絡を取った。
「首相の了解が得られていません」
本店は海水注入作業の一時中止を福島第1原発所長の吉田昌郎に指示。対策室にいた一人によると、首相補佐官の細野豪志(現・原発事故担当相)も電話で吉田に「首相了解が得られるまで作業をやめろ」と伝えた。
吉田も含め原子力の専門家からみれば、不純物の少ない真水のほうこそ再臨界の可能性があり、海水注入による再臨界を指摘する菅は「ナンセンス」だった。
吉田が、菅の「指示」を無視し海水注入を続行したのは奇跡的だった。菅は後に、この日の経緯がなかったかのように「注入を続けたこと自体は間違いではない」と、白を切り通す。
首相の指示なしでは動けなくなった東電。そして、菅はハリネズミのように、周囲すべてに不信の目を向け「東電は海水注入に後ろ向きだ。これは廃炉を恐れているのだ」と、東電不信にはけ口を求めていくようになった。
≪水素爆発≫
■映像確認は民放頼み
首相、菅直人が受けた最初の衝撃は、12日午後3時半過ぎに1号機の建屋が水素爆発で吹っ飛んだことだった。
当時、菅は官邸に各党党首を集め、第1原発について「危機的な状況にはならない」と楽観的な見方を示していた。それだけに、会談を終えて首相執務室に戻った菅は「一報」に震え上がった。同時に「現地から『大きな爆発音がした』という情報がありました」との東電からの曖昧な情報に「正確な情報が来ない」と不満を抱いた。
現場では、発電所長の吉田昌郎らが重要免震棟に詰めていたが、爆発した1号機全体を映し出すモニターがない。「外に出て確認します」と部下はいうが、放射線量が高く、外に出るのは容易ではなかった。
だが菅は、数時間前に現地視察したにもかかわらずそれが理解できず、「情報が遅い」の一点張り。
「どうなっているんだ」
東電のオペレーションルームに再三にわたって催促するが、爆発から1時間が過ぎても正確な情報は来ない。テレビ局が第1原発に向けたカメラを設置しているのを知っていた経済産業相、海江田万里が「NHKから映像を借りたらどうか」と提案。NHKには「諸般の事情」で拒否され、最終的に民放テレビ局の映像を借りた。
菅は、民放からの映像を見て水素爆発を確認するしかなかった。
「どうなっているんだ」菅はすべての責任を東電に押しつけつつあった。官邸が見ることのできる第1原発の映像は、その後も民放局が提供したものが使われ、東電側が独自のカメラを設置したのは数日後のことだった。
11日午後3時半すぎ、大震災による津波を受けた第1原発は、1~3号機の電源が喪失した。停止した原子炉を「冷やす」作業ができなくなったことを意味する。温度上昇による炉内の圧力上昇が確実になる中、菅は午後7時すぎ、原子力緊急事態宣言を発令、「原子力災害対策本部」を設置した。
しかし、現地は地震と停電の影響で混乱し、東電本店も社長の清水正孝(当時)が出張先から戻れず、同様の状況だった。
官邸内も混乱していた。危機管理センターでは、危機管理監の伊藤哲朗らによる津波被害の状況把握が優先されていた。原発事故対応は首相執務室の隣室と危機管理センターの別室を充て、菅自らが陣頭指揮を執ることにした。
菅の意向は、官邸に詰めていた東電関係者を通じて東電本店のオペレーションルームに伝えられ、さらに現場に行く形になった。後に菅らは「伝言ゲーム」と自嘲するが、現場の状況が自らの思う通りに入らず、「東電は何か隠しているのではないか」という思いに駆られ、徐々に冷静さを失っていった。
午後10時、原子力安全・保安院が、2号機について12日には炉内の燃料棒が溶け出し、爆発が起きる可能性を指摘する報告書を作成、数十分後には菅に届けられた。原子力安全委員会委員長、班目(まだらめ)春樹も格納容器が破裂する可能性があると菅に指摘した。
-----------
松本龍前復興相の名言
「書いたらその社は終わりだから」
ずっとマスコミは東電を批判し、政府の対応は二の次だという姿勢で報道し、
国民もそれに釣られて東電しか批判しないような状態でしたが、
総理が変わり、閣僚も総入れ替えとなった途端に
菅直人の当時の対応ミスを具体的に批判する内容がこんなに出てきました。
やはり菅直人政権のときは「書いたら終わり」だったから書けなかったんですかね?
お礼
一つの失態を見てすべてを信用しなくなるのは典型的な馬鹿の発想だと思います。