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なぜ「殺す」ことが頭に浮かぶ?

「犯罪の低年齢化」に世間は頭を悩ませていますが、若い人に限らず、何かにつけて「殺してしまおう」と考えることに疑問を感じます。 色々考えてそれ以外に方法がなかったのか、それでも「人を殺める」ことが頭に浮かぶのはなぜでしょう。 憎くて憎くてたまらないとか敵討ちとか、「情状酌量の余地」ってのがある場合にしても、だからといって許されるわけではないのに、自分のことだけ考えて「邪魔だから殺す」とか「言うこときかないから殺す」ってまったくもって納得いきません。 「じゃああんたはそういう理由であんたを殺そうとする人がいてもいいんだね」って聞きたくなります。 でもそういう風な考えがおこるのは、やっぱり社会とか家庭に原因があるのでしょうか。自分が「人を殺す」なんてこと思わないのは、環境にそう影響するものがなかったせいなのでしょうか。 これから子供を作って育てていこうと思っている私にとって、とても考えさせられることです。漠然とした答でもかまいません。「もしかしてこういうのが原因となるんじゃないのか」というものがあれば、お願いします。

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noname#6248
noname#6248
回答No.3

一言で言うと、解決法が『殺す』しかなかったのでしょう。 電車内のトラブルで… 殺してしまった、殴ってしまった、言い争いになってしまった… どれも不器用だったんだろうな… とかくこの世は便利な世の中ですから、『考える脳みそ』がなくなってきているのかもしれません。 筋道立てて考えればもっと良い方法がいくらでもあるのに… 『与えられた問題にしか答えられない人間』『与えられたゲームにだけ反応する人間』 こんなのが山ほどいる世の中です。それを踏まえて行動しないと いつか自分も殺されてしまうでしょう…

meinan
質問者

お礼

確かに「邪魔だから殺す」とか「ムカツクから殴る」とかってのは、考えがあまりにも短絡的だと思います。そしてそういう風にしか考えられない人に対しては、まともにやりあってもケガをするだけで・・・。 たとえ後になって「あの時は相手の言ってることのが正しかった」と反省しても、犯した罪は消えないのに、そんなことさえも感情が高ぶってる瞬間には考えられないんでしょうね。 なんだかちょっぴり不憫な気もします。 ありがとうございました。

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  • cse_ri2
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回答No.7

XX年前、まだ少年だった頃を思い出しました。(笑) 中学生の頃は、いじめっぽいことや様々な人間関係で行き詰まった とき、相手を殺すことを真剣に考えましたね。 小心者で気が弱かったので、刃物で相手を傷つけてわが身 を守ることしか考えられませんでした。 まだ子供で視野が狭かったこと、相談できる大人が身近に いなかったことが最大の原因かと思います。 幸いなことに当時は小心者すぎて(笑)、傷害沙汰を起こす ことはなかったのですが、10代後半になる頃には少しだけ 賢くなり、今に至っております。 少年は、大人が想像できないような小さなことで、容易に 追い詰められます。 そういうとき、身近に相談できる人がいると、だいぶ事故を 防止できるでしょう。 社会を生きる知恵を持っているのは男性ですので、父親・ または男性の教師の役割が重要かと今は考えています。

meinan
質問者

お礼

「あいつを殺してやりたい」と思っても実行に移さないのがほとんどだと思います。それは決して小心者ゆえとは思いません。 結局人の命を奪う恐ろしさ、実行した後の自分の人生、失敗したときの自分の立場、その他色々、無意識かもしれないけど頭をよぎって、殺すのを思いとどまるのではないでしょうか。 そんなことを考える間もなく、実行に移してしまう短絡さは、感情の高ぶりをコントロールできなくなっているせいかと思います。 確かにもっと大人がしっかりしなくては、子供に正しいことを教えられっこないですよね。 ありがとうございました。

  • myeyesonly
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回答No.6

こんにちは。 多分ですが、昔は「死」が身近にあったような気がします。 家には舅、姑がいて父、母がいてその子供がいました。 そして普通は歳をとったものから死んでゆき、その末期は大抵自宅だったでしょう。 今は病院で見に行かなければ見えない状態で死ぬ事がほとんどで、そうじゃなくても核家族化で老人を看取るのは老人だけ、良くて父、母の代で、子供がそれを見ることはまずなくなりました。 また、各種の進歩で中々死ななくなった為、「死」を見ることがなくなり、「死」が実感できなくなった?という事があるかなと思います。 結果、「死」とはテレビの中やゲームの中の出来事であり、自分自身にふりかかるものではないと思うのかもしれません。

meinan
質問者

お礼

こちらも「死への実感の不足」が原因だと思われますか。 現実の「死」を目の当たりに出来ず、擬似的な「死」ばかりが自分を取り巻いているのが、悪影響を及ぼすのでしょうか。 でも正直自分も暴力シーンが含まれる映画やゲームが好きです。だから子供に見るなとは言えません。 では現実と非現実の区別をちゃんとつけるように、教えたらいいのでしょうか。 ありがとうございました。

  • Fukutarou
  • ベストアンサー率30% (193/641)
回答No.5

小家族化 親を見ない環境などがあり、祖父の死とかに直面する機会が激減して、実感も感情も経験してないからでしょうかねぇ また、高年齢化でも同じことが言えますね。 身近な人の死と言うことを経験しろとは言いませんが、そういう世の中になってるひとつの理由でもあることは否定できないと思います。

meinan
質問者

お礼

例えば飼っていたペットが死んでしまったという悲しみでも、死というものの実感を得られるのでしょうね。 やたらとゲームやテレビとかで人が傷ついたり死んだりするシーンを見せられると、余計に現実味が遠ざかってしまい、簡単に「死んじゃえ」って思えるのかも知れませんね。 ありがとうございました。

回答No.4

命の大事さ、重さについての教育不足からくるものだと思います。 現在はテレビをはじめとするメディア、ゲームなどで、殺人や暴力などを取り上げることが多いですよね?暴力や殺人をあたかもゲームのように取り上げる現在の社会に問題があると思います。 加えて、今の子供達は外の自然で遊ぶ機会も減っていますよね。私が子供の時はまだ自然がたくさんあって昆虫などの生き物に接する機会がたくさんありました。 昆虫遊びをして殺してしまったりして今考えると残酷なこともしましたが、そういうことが命の尊さを学ぶ勉強になったと思います。 現在は物が溢れかえっていて、我慢をすることを知らずに育ってしまい、ちょっと気にいらないことがあったりすると、気に入らないから殺してしまえという短絡的な考えもありますね。 私も実は最近子供が産まれまして、子供の教育をどうやっていこうか考えています。命の尊さを教えることは親としての義務ですね。

meinan
質問者

お礼

以前マンガ本でなんですが、ある親が自分の子供がゲームでゾンビをめためたに打ちまくっているのを見て、「そんなに殺してゾンビがかわいそうじゃないの?」と聞くと、子供は「全然、だってこいつら悪い奴だし、やらなきゃこっちがやられるもん」と平然と答えるのを聞いて複雑な気持ちになるというシーンがありました。 子供は特に悪いことはすぐに吸収し影響されます。 なるべくなら自分の意思で善悪の判断をきちんと出来る人間になるよう、教育できたらと思います。 ありがとうございました。私も早く子供欲しいです。

noname#17844
noname#17844
回答No.2

やはり、両親の愛情の注ぎ方の問題でしょうね。 我が家では、子供が小さいときから「○○ちゃんはお父さんとお母さんの大事」と何度も何度も言って聞かせました。また、子供にも「○○ちゃんはお父さんと母さんのなんだっけ?」と質問し、子供は「大事!!」と返事をしてくれました。その会話は、近所でも有名(?)でした。 そのお陰か子供達は優しい(親ばかは先刻承知)子供に育ってくれました。 また、いまだに小さい子が大好きな小生がTVを見ていると、すっかり大きくなった息子が「ほら、おとうが好きなちび(可愛い赤ちゃんのCM)が出ているぞ!」と言って私をからかいます。

meinan
質問者

お礼

こちらも「親の愛情」いかんが原因と思われるのですね。 ただ、最近異常に自分の子を守ろうとする親が増えてきてる気がします。言い換えてみれば「自分の子さえよければいい」みたいな。 それも一つの愛情なんでしょうが、そうして痛みというものを知らない子になっちゃったというのもあるのかなあ。 ありがとうございました。

回答No.1

「キレる」世代のちょい上としては、ほんの少し下の世代が理解できない行動に出ることに本当に驚いています(自分は22歳で、10代の犯罪が騒がれ始めたころはまだ高校生でした)。ただ、当たり前ですが今の高校生にだって私たちと同じように人を殺すなんて思いもよらないような子供たちはいっぱいいます。かと思えば、気に入らないとすぐ「あんな奴いらない」「あいつ死んだほうがいいよ」というような発言をする子もいます。 やはり、そのような差の裏には親から受けた愛情の差があるのではないでしょうか。私はこの「いらない」という言葉、結構ポイントかと思います。要するに自分という存在が唯一無二の大事なものであること、生きているだけで大事にされるべきであること(親にとって、というのもそうでしょうが自分にとってもですね)を十分に教えられていないから、自分が「いらない」存在であるかもしれないと思っている。だから、他人に対していらないと思ってしまう、もしくは自分と比べてあいつのほうがいらない、だから自分はいる価値があると考えて安心するのでしょうか。 本来人間の存在価値というのはその能力だとか容姿だとかには関係ないはずなのですが、最近の若い人にはわりと「私はこんなことをしてる、だから価値がある」という考えの人が多いような気がします。年配の人とはあまりお話しないのでわかりませんが、これって以前からそうなのでしょうか? 長くなってしまってすみませんでした。

meinan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 やはり親の愛情は関係してますか。確かに親はいくつになっても絶対的な存在ですものね。 でも高校生位からは、友達とか先輩とかからの影響で、また考え方が変わってくるのではとも思います。 案外親御さんは普通のサラリーマンってことよくありますよね。 ただ、環境がどうであれ、善悪の判断はきちんとつけられるよう、しっかり教えていけたらと思います。