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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:不幸、痛み、辛さを誰かに訴えること)

不幸や痛みを訴えることは駄目?誰かに頼ることは駄目?

このQ&Aのポイント
  • 不幸や痛みを抱える人が、その問題を解決するために頑張っても、必ずしも成功するとは限らないと考えられます。
  • 自分を騙し抱え続けた不幸やストレスは、次第に耐えられなくなり、絶望感や発狂などの強烈な感情を抱くことがあります。
  • 他人には不幸話で解決するなどと都合良く考えず、黙って我慢せよという声もありますが、痛みを訴えることや頼ることは決して駄目ではないと言えます。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#208590
noname#208590
回答No.6

失礼致します。回答としてではなく、私はこう思うという、一つの意見として読んでいただければ幸いです。 「痛みを訴えることは駄目なのですか? 誰かに頼ることは駄目なのですか?」 とのことですが、それ自体は「してはいけない」ことではないと思います。ただ、人と場所は選んだほうが良いと思います。訴えられたほう、頼られたほうに、「それ」を背負い込む力や覚悟がないと、それは邪魔な重りにしかならないと感じてしまうでしょう。少なくとも私は、自分が背負いきれない荷物を背負うことは避けたいです。 質問者様が声をかけた方も、あなたの苦痛に「自身が背負うべき価値」を見出せないから「我慢して涙堪えて黙ってろ。身勝手すぎ。それが正しい。他の人間も、俺もそうしてる。」と云われたのではないかと愚考します。 また、日本人の美徳は耐え忍び、我慢することと考える方も多いのではないでしょうか。助けてと叫びたい気持ちをぐっと堪えて、立ち尽くすことに美を感じる民族性があるように思うのです。 だから、それに反して助けを求める人には反感を覚える。厳しく当たってしまうのではないでしょうか。こちらから手を差し伸べるまで待っていろ、ということだと思うのです。 後、私の実感としては、頼られることの怖さがあります。助けたいけど自分にはその覚悟がない。手を差し伸べると自分も引きずり込まれてしまう。だから突き放し最初から、関わることをしない。その代わり自分から助けを求めることもできるだけしない。自分が相手の恐怖の原因になりたくないから。 最後に、この手の問題は「正しい」を考えないほうが良いように感じます。正当性はそれを実行できない人には嫌な感じがします。でも実践できない「正しさ」も多いのですから。

setuno_057
質問者

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お礼が遅くなって申し訳ありません。ご回答有難うございました。 ベストアンサーにさせていただきます。

その他の回答 (6)

回答No.7

>>痛みを訴えることは駄目なのですか? 誰かに頼ることは駄目なのですか? 痛みなら医者に。 頼るのは親がいるなら、親に。 その他は無しです。 あ、医者の範疇はカウンセラーなども含みます。 冷たい様ですが、自分の事は自分で・・なのです。 もちろん、お手伝いはしてくれるでしょう。 一番良いのは専門家に・・つまり医者とか・・ しかし、最後は自分で・・です。 不幸? こればかりは訴えられてもねえ~ 頼られてもねえ~ 思考癖を変えるしかないでしょう。

setuno_057
質問者

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お礼が遅くなって申し訳ありません。ご回答有難うございました。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.5

訴えたヒトが幸せな人なら、あなたは不幸を脱し始めている証拠だ。同じ不幸者なら、キズの舐め合いしかできないから、意味はないだろう。

setuno_057
質問者

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お礼が遅くなって申し訳ありません。ご回答有難うございました。

回答No.4

「神は、解決出来ない問題は与えられない」ともいいます。 その人に、解決できる力があるから、その問題があたえられるのです。 でも、どうしても、苦しかったら 「三十六計逃げるに如ず」ともいいますから、逃げたい時は逃げましょう。

setuno_057
質問者

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お礼が遅くなって申し訳ありません。ご回答有難うございました。

  • bari_saku
  • ベストアンサー率17% (1827/10268)
回答No.3

>不幸により生まれた人生の問題達を解決しようと頑張っても、絶対にそれらを乗り越えるとか、打ち勝つことはできるとは限らないと思います。 そうですね。 でもそういう時は、立ち向かわずに逃げるのもアリだと思います。 こりゃ自分の能力ではどうにもならん、このままここにいたら病んでしまうと思ったら、さっさとケツをまくって逃げるのが吉でしょう。 何よりも優先させるべきは、心身の健康です。 「生きるための逃げは有りです。 有り有りです。」と、私の好きなマンガにも書いてあります。

setuno_057
質問者

お礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。ご回答有難うございました。

  • Gusdrums
  • ベストアンサー率39% (699/1787)
回答No.2

痛みを訴えること、これが押し付けでなければ、否定はしない。 誰かに頼ること、信頼出来る人、ただその人に対しては少なからず負担がかかることもある。 依存という言葉に置き換えるのなら、それが依存症にならない一線というものを意識すること。 ただ、他人の中には、頼られることを快く受け入れてくれる方も居るが、打算的なヤツもいるから、その辺は注意すること。 いずれも、駄目だ、ということなんて無い。 原則は、痛みを訴える相手、頼る相手に対して、不快感を抱かせないことと、迷惑を掛けないことだ。 補足するなら、貴方の訴え、貴方が頼って、貴方の為になれば、感謝の意が自然と湧き上がるのなら、それはお互いにとって心地よいものであろう。

setuno_057
質問者

お礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。ご回答有難うございました。

noname#188683
noname#188683
回答No.1

時と場合と相手と立場を考えろ、って感じですね。 頼りたい相手に頼るのではなく 頼らせてくれる誰かに頼るのなら、良いと思いますよ。 痛みを乗り越えたいという訴えなら聞けますが 痛みを訴えるだけの人は相手に出来ません。(場合によるけど) 痛みを訴えることによって、訴えた相手に重荷を背負わせることになるかもってことを まるっきり考えてない感じですね。 だったら、同情もされないでしょう。 幸せな人と不幸な人の差は 幸せを感じ取る能力の差ですからねえ。 砂漠にいて、コップに半分の水がありまして… っていう心理テストでよくわかる。

setuno_057
質問者

お礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。ご回答有難うございました。

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